後編
第12話
「――ならばその祭壇に、私の魂を焚べましょう。この欺瞞という牢獄の中で慄然と輝く、マメルティヌスの祭壇に!」
右の指先を滑らかに伸ばし、声をおさえて読み上げる。だがその声がかすれているのを聞き、シモンは所在なさを感じながら、深く溜息を吐いた。と同時に、隣から壁を殴る音。恐らく隣人が、抗議のためにそうしたのだろう。
シモンのために用意された仮暮らしのこの家は、壁が薄く、少しの物音ですら、隣の部屋に筒抜けてしまう。先程までは静かだったものだから、てっきり今日は留守にしているものと思っていたのに、どうやらそうではなかったらしい。シモンは外套を羽織り、台本を手に取ると、窓が一つに寝台と書き机しかない狭い部屋を後にした。
音の響く暗い階段を降り、馬車の行き交う大通りに出る。冬を迎えた都の道には霜が降り、足早に歩く人々は、皆顔を伏しがちにして、肩を丸めて歩いている。
薄いマフラーを口元にまで巻き、シモンはまたぶつぶつと、台本に書かれたセリフを諳んじた。いつもならこのまま、広場にでも行って稽古をするのだが、今日が休日であるせいか、町中は何かと人で賑わっている。仕方がない、今日は川べりにでも行って、そこで稽古をすることにしよう。この寒いさなか、風が吹き晒す運河の淵であれば、きっと人も少ないだろう。
稽古を重ねなければ。なにせ、時間がない。シモンの臨むオーディションは、もう三日後にまで迫っているのだ。それだというのに、この出来栄えは一体何だというのだろう。そう考えればシモンは、頭を抱えて叫び出したいような思いにすらなった。依然として調子を戻さない、喉だけが問題なのではない。シモンの心がちっとも、与えられた役に向き合えないのだ。
イサクと言い争ったあの日、イサクの信じるものの存在を否定したあの日からおよそ三週間、シモンは故郷を飛び出したまま、家に帰る事はしなかった。
都での生活は順調であった。努めて順調であろうとした。
雲の上の舞台とさえ思っていたマクペラ劇団の劇場を、取り繕った笑顔で見学し、オーディションに向けて稽古に専念したいと理由づけて、そのまま都にとどまった。マクペラ劇団の稽古場を借りることはできなかったが、部屋を貸してもらえただけ、幸運だったといえるだろう。
「罪を問われ、投獄されてまで、あなたは何故信仰を貫こうとするのです。そうまでしてあなたを奮い立たせるのは、一体何だというのです」
古い時代、信念を持って己の信仰を説いて回る男に、シモンの演じる少女が問う。問われた男は少女に対し、「お前の心を救うために」とだけ答えるのだが、少女に真意は通じない。
独りきりでセリフを読み、簡単な身振りをつけながら、シモンはふと、幼いころのことを思い出していた。シモンが舞台に上がり始めた頃、彼が自宅で稽古をしていると、イサクは決まってその側をうろうろとし始め、何か手伝うことができやしないかとシモンに問うた。シモンも一度、ならば相手の役を演じてみてくれと言って、イサクに台本を渡したことがある。結果は散々だった。イサクの、演技とも言えないつっかえつっかえなセリフに集中力が続かず、これなら一人でセリフを読んでいる方が余程マシだと告げて、イサクを稽古から追い出したのだ。あの時はイサクも、己の演技の不味さを自覚せざるを得なかったのだろう。「俺はかえって邪魔しちゃうな」と言って、すごすごと引き下がったのをよく覚えている。
そう、同じ親から生まれた兄弟とは思えないほど、イサクは演技が下手だった。そんなことを何故だか今、ふと、思い出す。
その時だ。
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