第9話
(あの人達は、俺の実力を認めて、声をかけてくれたんだ)
助演女優のオーディション、受けて立とうではないか。団長もああ言って背を押してくれた。ガリラヤ劇団一の人気女優の実力を、シモンの実力を、都でも存分に見せつけてやろうではないか。
「マクペラ劇団で、役をもらえるかもしれないんです。だからとりあえず数日だけ都に行って、もしオーディションに受かれば、そのまま数ヶ月は戻ってこられないかも」
「マクペラって、まさか都の劇団かい? あんた、凄いねえ。あそこは国王陛下ですら通うっていうんで有名だよ。そんなところで上り詰めたら、あんた、貴族のような生活ができるかもしれないねえ」
リブカが言うのを聞いて、シモンはなおさら気を良くした。彼女はシモンたちがこの貸家に移り住んだ頃から何かを気をかけ、シモンの舞台を見に来てくれたこともあるが、演劇については初心者だ。そんな人ですら、マクペラ劇団のことは知っているのだ。
戸棚をあけ、着替えなど最低限の生活用品を引っ張り出す。気の利くリブカが自宅から持ってきてくれた布の鞄を広げて、そこにひとりで、どんどん荷物を詰めていく。
イサクには、どんな手紙を残していこう。シモンの演技を賞賛する彼は、それが都の人々にまで評価されたことを、喜んでくれるだろうか。
今度こそ、シモンを頼ってくれるようになるだろうか。病弱なくせに無理をして、いつまでもシモンの兄でいようとする彼は、――今度こそ本当の意味で、シモンを認めてくれるだろうか。
ペンを取り出したが、インク壺が見当たらない。机にペンを置いたまま、インクを探していると、かつんと涼やかな音がした。ペンが転がって、床に落ちてしまったのだろう。しかしそれを拾おうと振り返り、シモンは思わず瞠目した。
ペンを拾う必要は、最早なくなったようであった。そこにゆらりと現れた人影が、黙したまま、ひょいとそれを拾い上げたからだ。
「イサク、……」
現れたのは、イサクであった。どうやらたった今、出先から戻ってきたらしい。シモンは彼に告げるべきことを告げようとし、しかし何故だか言葉が続かないまま、ただその場に立ち尽くす。
そこにいたのはイサクであった。いつもどおりの兄であった。だがその表情は陰鬱で、視線は床に落ちている。
「何してるの」
問われてから、はっとした。そうか、イサクからすれば、いつもなら劇場で仕事をしているはずの弟が、突然戻ってきて旅支度を始めていたのだ。それは当然驚くだろう。
説明をしなければ。しかし何やら悄然とした様子のイサクを前に、うまく言葉が出てこない。
「イサク、その……実はさっき劇場に、マクペラ劇団の人が来て、俺に、オーディションを受けてみないかって、」
「うん」
「だからそのためにも、しばらく、……都へ行く必要があって」
「そう」
気の入らない様子で、イサクがそう言い椅子に腰掛ける。一体何だというのだろう、いつもの様子と随分違う。
「都は嫌いだよ、俺は」
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