第4話

 溜息を吐いてとぼとぼと、暗闇の町を歩いてゆく。冬を迎えたこの町に、ひゅるりと細い北風が吹く。熱気に包まれていた劇場とは大違いの、物枯れた寂しい道である。外套の裾が風になびくのを感じながらしばらく歩き、シモンは途中、馴染みの果物屋の扉を叩くと、そこで幾つかのリンゴを買った。

(――似て非なる物を演じるのは、骨が折れる)

 最後にひとつ、深い溜息。シモンは自宅の扉に手をかけると、「ただいま」と声をかけた。

「おかえり、シモン、」

 シモンの名を呼ぶ声が聞こえたが、言葉はそれに続かない。激しい咳が遮ったのだ。「イサク、大丈夫か」逆にシモンが声をかけ、リンゴを無造作に机へ置く。狭い室内から延びる梯子を駆け上がれば、暗い室内に人影がひとつ転がっていた。寝台から這い出たような姿勢で床に手をつき、肩を揺らして咳き込むのは、シモンの兄、イサクである。

「落ち着いて。ほら、水を飲んで、……今日の薬は飲んだの? 食事は?」

 イサクの側に跪き、彼の背をさすってやりながら、出来る限りの穏やかな口調でシモンは言った。差し出された水を飲む兄の姿はいかにも弱々しく、しかし医学の心得のないシモンには、彼に処方された薬を飲ませ、こうして背をさすってやるくらいのことしかできやしない。

 その代わり、ようやく顔を上げた兄と目が合うと、シモンは存分に、気遣わしげな笑みを浮かべてみせた。

「イサク、無理せずもう休みなよ」

「大丈夫、薬も飲んだし。夕方頃、熱が出てしまったんだけど、それも随分収まってきたところなんだ」

 そう語るイサクの顔は、しかし依然として青白い。手を貸し、寝台に座らせてやると、彼もようやく人心地ついた様子であった。

 ふと見れば、足元に小振りのナイフが転がっている。イサクのものだ。とこに臥せがちな兄は、このナイフで紙に模様を刻み、図案通りに切り絵をこしらえる内職をしては、商人を通じてそれらを売っているのだ。今日も発作が出るまでは、ここで作業をしていたのだろう。

「あまり根を詰めるようなことは、するなって医者に言われてるのに、……」

 シモンがそう呟いた声は、イサクの咳に掻き消された。だがどうせ、この声が届いていたところで、イサクはシモンの言うことなど、ちっとも聞きやしないだろう。

「リンゴを買ってきたんだ。摺り下ろすから、少し待ってて」

「……いつもごめん、シモン」

「気にするなよ。そうだ、劇場の余り物も貰ってきたんだ。パンもあるし、少しだけどワインもある」

「そうか。それは、ありがたいな」

 シモンが背を向けると、この兄はようやく、ふふ、と微かに笑い声を上げた。自嘲の色の滲む声。シモンはそれに振り返らぬまま、リンゴを手に取りその皮を剥き始める。

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