第3話

「拾ってくれた団長にも、育ててくれたあんた達にも、心底感謝してるよ」

「はは、たまには可愛いことを言うじゃないか。ああ、ところで――お前の兄貴、結局今回の公演には、一度も顔を見せなかったな。お前の演技をいつもあんなに楽しみにして、毎日のように通ってきてたのに。昔から身体は弱かったが、最近また酷くなってるんじゃないのか」

 問われて、シモンは曖昧に頷いた。最前列の空席はいつだって、シモンのたったひとりの兄のためにあった。この劇団の人々は、みなそれをよく知っているものだから、こうして続けて席の主が訪れていないのを見るや、シモン以上にそれを心配して、兄はどうしているのかと、寄ってたかってシモンに問うのだ。

 「でも、まあ、……いつもの事だから」うまい言葉が見当たらないままシモンが言えば、グールドは眉をひそめてこう返す。

「そう言わず、早く帰ってやりな。臥せってるならなおのこと、お前の顔が見たいだろう」

 果たして、そうだろうか。内心でのみ自問して、しかしシモンは己の問をおくびにも出さず、「そうだな」と微笑んだ。善意から心配をかけてくれる人々に、余計なことを言ってはならない。シモンの内心の葛藤など、この善人には、ちっとも関係のないことなのだから。

 手元のグラスにワインを注ぎ、口の中のものを押し流す。そうして席を立ち、同時に、シモンはひとつ、咳払いをした。舞台の間は声を張らせて凌いだものの、最近、どうにも喉の調子がおかしいのだ。

 「風邪か?」問われて、シモンは首を横に振る。「いや。ここ最近ずっと、喉の調子が悪くてさ」それだけのことだ。しかしグールドが何気なく続けたその言葉に、彼は思わずぎくりとした。

「声変わりか?」

 恐れていたその言葉に、シモンは慌てて「まさか」と返す。

「俺、こう見えてもう十七だぜ? 今更変わらないだろ」

「だがまあ、個人差ってのがあるからな。渋い低音が出るようになったらおまえ、演れる幅が広がるぜ」

 人のよい笑みを浮かべて言う相手に、シモンはまた曖昧なまま笑みを返した。そうして余り物の軽食を鞄に詰め、団員達に声をかけると、そそくさと劇場を後にする。

(渋い低音だって、……? やめてくれ、冗談じゃない)

 演技の幅が広がるなどと、よくぞ言ってくれたものである。幅が広がるのではない。今までの演技が通用しなくなるのだ。十三で入団してからのち、シモンは今まで女優として、女の役ばかりを務めてきた。元は劇団内にそれを演じる人数が少なく、素人であったシモンにも演技を許されたからこそ始めたことであったが、しかしシモンにとっても、その役割は天職であった。

 ドレスを纏い、カツラを載せて舞台にあがるシモンは、その瞬間から『シモン』とはまるきり違う、別の生き物になれる。当たり前のように息をして、物を食べて生活するシモンとは、一線を画した何かになれるのだ。

(俺が演じるのは『女』じゃない。『観客達が求める理想の女』だ。それを演じるために、どれだけ努力をしてきたか――。男の役だって、やれと言われればやってみせる。けど、)

 異物ならば演じきれる。しかし、似て非なる物ならば、どうだ。

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