浮気者の噂
浮気者の噂(提起編)
「
冷え込みは窓ガラスを曇らせ、外界の気温ばかり気にしている今日この頃。
「え? な、なに?」
思いがけずペットボトルのお茶を落っことしそうになった。狼狽え過ぎだろ、俺。いや、誰が俺を責められようか。
木霊木さんからの先日の急な告白から数日が経ち、以降初めての彼女との会話である。クリスマスを間近に控えた教室の喧騒の中、俺は身構えずにはいられない。
ただでさえ、秋心ちゃんにどんな風に告白すればいいのか考えあぐね、やがて来る聖夜に備え憂鬱をはべらせた俺である。ここに来て木霊木さんの相談とやらは嫌な予感がしないでもない。
何より気不味い。
俺の心の準備が整っていないことを感じ取ってか、木霊木さんもなかなか口火を切らない。やっとのこさ訪れた言葉は消え入りそうに小さかった。
「ここだとちょっと……放課後、少しだけ時間もらえるかな?」
教室で話せない内容なの?
ちょっと前の俺なら小躍りして喜んだ提案であるだけに不安は鰻の滝登りである。
想像を巡らせていると、こう付け足された。
「出来れば秋心さんのいないところで話をしたいんだけど……」
滝を登りきった鰻は龍に昇華した。普通鯉じゃね? 鰻が元の龍なんて嫌だ。なんかヌメヌメしてそう。願いも叶えてくれないだろ、その龍。
「秋心ちゃん……いない方がいいの?」
あの子のいないところで彼女と密会したとなれば、バレた時が怖い、怖すぎる。
クリスマスが血染めになってしまう。知ってるか? トナカイの鼻が赤い理由。あれ、サンタクロースに引っ叩かれたからなんだよ。
「出来れば……だけど」
神妙な面持ちに俺は頷くことしか出来なかった。相変わらず弱っちいなぁ、火澄くん。でもそれは木霊木さんに対する負い目があった事もひとつの要因だろう。
男子諸君から人気のある彼女からの告白を無下にしてしまったことへの罪悪感。俺が憧れていた台詞を今ここで言わせてもらおうかな。勿論心の中でだけど。
モテる男は辛いぜ‼︎
念願叶ったのにこんな憂鬱なのはなんでなんだろうね? 言わずもがな秋心ちゃんのせいだよ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
秋心ちゃんや
かつて秋心ちゃんに白状した木霊木さんへの想い――木霊木さんを好きなふりをしていたと言うおこがましさ――と言うのは嘘ではないけれど、自分を見つめ直した上で彼女と対峙してみれば、世界が違えば本当にこの子の事を好きになる未来もあったのかも、なんて考えてしまう。
自分の事を特別だなんて自惚れる気はさらさらないが、普通の人間なら誰しもこの子に恋をするんだろうなという客観的感想が漏れる。それだけ木霊木さんは魅力的な女生徒なのだ。
あ、別に浮気心があるわけじゃないよ? ほ、本当だよ? そんな結果的に自殺願望につながる様な事、微塵も思っちゃいないんだからね⁉︎ 秋心ちゃんってめっちゃ怖いんだから‼︎
イノチ……ダイジ。
「ごめんね火澄君。時間取らせて」
教室からクラスメイト達が姿を消すのを見届けて、木霊木さんはそう口を開いた。
夕淀む教室に女子と二人きり……。男子高校生なら誰しも羨むシチュエーション。秋心ちゃんとなら毎日のように陥っているこの状況も、人が違えばこれ程心臓が高なるものなのか……。
確かに何か起こりそうだな。青春物語なら、ほったはれたの起承転結第一部。木霊木さん、可愛いし。
……気を確かに持て火澄! 死にたいのか⁉︎
「えーっと、それで相談ってのは……?」
平常心を保つ為、早速本題を急かす。生き急げ火澄。決して死に急ぐことなく。
この場を誰かさんに見られでもしたら、と言う焦りもある。秋心ちゃんに対する罪悪感や木霊木さんと二人きりと言う高揚感よりも命が大事です。僕も生き物なのです。
「うん、これを見て欲しいんだけど」
そう言うとともに差し出されたスマートホン。画面には一枚の写真が映し出されている。木霊木さんがマネージャーとして所属するサッカー部の男と並んで笑っている写真だ。
「か……」
『彼氏?』と口に出そうになったのをとっさにキャンセルした。
流石にデリカシー無さ過ぎだろ、俺。いくら鈍感男の汚名を着せられている俺でもわかるわ。そんなこと言った日にゃ、天女木霊木さんでもグーで殴ってくることくらい。
……それはそれで良いな。
「ぶ、部活の写真?」
「そう。昨日撮ったんだけど」
俺の愚行未遂には気付かれなかったみたいだ。惜しい。
安堵の息は細く舞う。木霊木さんの形の綺麗な爪が一点を指差して、彼女はさらに続けた。
「ここを見て欲しいの」
画面を覗き込む。
昨日の彼女は少しだけ困った様に笑っているのがわかった。隣の男子部員の笑顔でその物寂しさはより強調されて見える。
そして、木霊木さんが指差した部分。彼女の肩越しに見える背景。そこには……。
「これ、人の顔みたいに見えない?」
そこには確かに苦悶に満ちた顔が映っていた。
つまるところ心霊写真である。
「言われてみれば、そう見えなくもないな」
スマホを彼女に返しながらそう答える。
受け渡す際、少しだけ木霊木さんの指先に触れた。あ、深い意味はないです。ただの情景描写です。
「恥ずかしいんだけど、私怖くなっちゃって……。火澄君オカルト研究部だから、何かわかるかなと思ったんだ。他に相談できる人もいないし……」
不安そうに眉の端を下ろし、彼女は俺を見つめる。少しだけ紅葉した頬を見返すと、慌てて目をそらされてしまった。
「ご、ごめんね」
何に対する謝罪だろうか。
つられるように俺も顔を背けた。口をつくのは月並みな言葉。
「あ、あんまり気にしない方が良いよ」
僅かな西陽のショータイム。全く、お天道様よ良い仕事しやがるぜ。良い雰囲気過ぎるだろ。
なぜだかわからんが顔を合わせるのがすごく恥ずかしい。背けた目は薄い紅の空に引き寄せられていた。
「そ、そうだよね。ごめんね、変なこと言って」
木霊木さんがそう小さく呟くと、空間には僅かばかりの静寂が舞った。
波風を避けるべく漏れた俺の言葉。紛れもなく此岸で俺を睨むのは秋心ちゃんだった。
瞼の奥の彼女の鋭い目付きは、木霊木さんとの密会を咎めるものではない。純粋に俺に向けられた叱咤だった。
実は怪異が嫌いな彼女。出来ることなら触れる事を望まない非日常に、自ら触れる事を選んだ秋心ちゃん。
今、目の前にいる物憂げな少女に『気にするな』と会話を締めくくるのは簡単だ。でも、それは許される事なのだろうか。そんな俺の姿を見て、あの子はどんな息を吐くだろうか。
俺はそんな風になりたいのだろうか。彼女に、そんな顔をさせたいのだろうか。
「……でも、気味が悪いよな。そんな写真」
目を背けるのは、木霊木さんに対する気恥ずかしさだけだ。
ここにある不安は視界から逃すべきじゃない。
「俺で良ければ、力になるよ」
オカルト研究部の存在がなんたるかを俺に教えてくれたのは、紛れもなく彼女だったのだから。
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