名前の無い幽霊の噂(調査編)
秋心ちゃんの教室は茜色の日差しで暖かく色付いていた。
生徒達は各々の部活へ、帰宅部生は己の自宅へと赴いた後でこの空間には俺と秋心ちゃんの二人きり。秋の訪れは寂しさをより強く縁取っているように思える。
「先輩は自分の持ち物を無くしたくないなら、そんな時どうしますか?」
秋心ちゃんが腰を下ろしたのは、彼女が普段授業を受けている席である。
放課後前の彼女の姿を目にする事は稀だから、こうして教室にいる我が後輩を見るのは新鮮だった。
「そりゃあ……名前を書くかなぁ」
名前書いてても盗まれる事あるけど。秋心ちゃんのプリンみたいに……盗ったの俺なんだけどね。
「そうですね、珍しく正解です。
ではそれを前置きにして件の噂について話しましょう。
最近、あたしのクラスでは名前を書いていない持ち物を盗まれる事件が多発しているんです。それが幽霊の仕業だと言う事になっています」
「えーっと、それってただの手癖が悪い奴がいるってだけなんじゃ……」
それならそれで大問題だけど。即ホームルーム延長事案だな。
「それがですね、不思議なことにずっと身に付けていた筈の物まで無くなってるんですよ。そんなこととても人間にできる技ではありません。幽霊でもなければ盗めるわけないんだと皆思っています。
で、何故『名前の無い幽霊』と呼ばれているか……ですが、その幽霊には名前が無いから、名前が書いていないものは自分の物だと認識しているんじゃないか、だから名前の無いものばかり盗むんじゃないか……と言うのが理由です」
例えばずっと持ち歩いていた手帳だったり、胸ポケットに差しっぱなしにしていたボールペンだとか、秋心ちゃんはいくつかの例をあげながら説明してくれた。
確かにどんなに手慣れたスリ師でも気付かぬ間に盗み取るのは難しそうな物ばかりだ。
「先輩、なんかノリ気じゃないですね」
今まで俺がオカルト探索に気乗りしたことがあっただろうか……。
いつもいつも無理矢理お化け探しに付き合わされて辟易としてんだよ。こんなことしてる暇があったら家に帰って漫画でも読んでる方が幾分かマシだ。
秋心ちゃんも花も恥じらうお年頃なんだから、青春の貴重な時期の使い方はよく考えたほうが良いんだけどなぁ。
「あープリン食べたかったなー」
「よっしゃ! 幽霊探そうぜ!」
今日という日はこの言葉一つで全て捩じ伏せられてしまう……まさにパワーワードだ。
プリンって言葉が嫌いになりそう。
「でもおかげでみんな持ち物に名前を書くようになったんだろ? それって良いことじゃないか?」
「嫌ですよ、小学生みたいで」
確かになぁ。鉛筆一つ一つに名前シールを張っていたあの頃が懐かしい。
小学生の頃は母親にパンツにまで名前を書かれて赤っ恥をかいたことがある。それ以来俺のパンツはずっとノーネームだ。
……まてよ? 肌身離さず身に付けているものが盗まれた事例があるって、さっきそう言ってたよな? じゃあ、パンツに名前書いてなけりゃ知らぬ間に幽霊に盗まれてしまうこともあるってことか⁉︎
つまり、知らない間にノーパンになっちゃうなんてことが……。
こうなってくると話は別だ!
「秋心ちゃんはパン……」
この時俺に超常的能力が芽生えた。
見えたのだ、息をしていない血だらけの俺の姿と、拳を真っ赤に濡らした後輩秋心ちゃんの姿が……確かに脳裏によぎったのだ。
これは予知能力に違いない……なんの特徴もない平凡な男子高校生に突如として特殊能力的が芽生えるアレだ!
いや、単なる経験則から来る危機感知だろうね。
「パン?」
「……いや、何でもない」
危ねぇ……ちょっとした思いつきのせいで命を無駄にするところだった。踏みとどまった俺、グッジョブ!
この世にも恐ろしい後輩ちゃんに『パンツに名前書いてる?』なんて質問した日にゃ、避けられない絶命が待っている。
「なんですか?」
「い、いや……秋心ちゃんはちゃんと自分の持ち物に名前を書いてんのかなーと思って。
えーと……例えばそう、パンとかにも」
下手くそか。
取り繕うスキルが足りなさ過ぎるだろ、俺。
しかし秋心ちゃんは訝しげな顔をするだけでこれ以上の追求をしてこなかった。
命拾いした……後で交番に届けとこう。取り分は一割かよ、結局寿命縮んでんじゃん。
「一応、なるべく書くようにしてますよ。流石にパンには書きませんけど。
え、もしかして火澄先輩は食べ物に名前書くんですか? 意地汚いですね」
君だってプリンに名前書いてただろ。
教室をぐるぐる歩き回って見るものの、幽霊の手がかりなど見つかるはずもなく秋心ちゃんの隣の席に乱暴に腰掛けた。
去年は俺もこの一年生の教室棟で授業を受けていたんだなぁと懐かしく思える。二年生になった今、特に何が変わったわけではないけれど、取り敢えず存在する過去を振り返ってみたりなんかして少しだけセンチな気分になった。
秋とはそう言う季節である。
「じゃあ、秋心ちゃんは何も盗まれてないんだな」
「いえ、実は結構盗まれてるんですよ。ヘアゴムとか飲みかけのジュースとか、後は使いかけのノートとか……」
眩しそうに顔をしかめ、窓を背に俺を向く彼女は白い指を一本ずつ折り曲げて首を傾げる。
なんとなくだけど、秋心ちゃんの言葉に違和感を覚えた。
「……使いかけのノート?」
「はい、日本史のノートです。
ほんと腹が立ちますよ。眠たい授業を我慢して書いた傑作四コマ漫画が水の泡です」
授業聞けよ。
取り敢えずそんなツッコミを心の中で噛み殺して、憤る秋心ちゃんの様子を見つめながら胸につかえるモヤモヤの正体を探った。
この話、明らかな矛盾がある。
「秋心ちゃん、ちょっと机の中身見せてくれる?」
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