秋心ちゃんの噂(後日談)


「お疲れ様です、火澄ひずみ先輩」


 秋心あきうらちゃんの白いマフラーが揺れる。

 なんとなく十二月より年が明けてからの方が寒いという事実に疑問を抱いている俺としては、その姿を見れるのも後少しなんだと勘違いをしてしまう。


「なんですか? あんまり見ないでください。先輩の熱い視線を受けると、恥ずかしくて腐ってしまいます」


「そこは溶けるとかで良いんじゃね? 俺は腐ったミカンじゃないんだから……」


「腐ったミカンでも直接触れ合わないと伝染しない分火澄先輩の方が勝ってますよ。誇らしげにしてください」


 比べられてもなんも嬉しくない。


「これからの季節、ミカンが美味しくなりますね。触れるたび腐らせてしまう先輩にはわからないかもしれませんが……」


「腐らせんよ!?」


「なんならあたしが剥いてあげましょうか? 特別オプションとしてあーんまで付けますよ」


 ……それはそれで断る理由もないな。


「こたつに入って食べるアイス……想像しただけで舌鼓を打ちたくなります」


「ミカンの話はどこに行ったの?」


「……ちっ」


「舌鼓を打つと言うか、舌打ちだろそれは」


 秋心ちゃんは静かに椅子に腰掛けてニヤリと笑った。

 俺のツッコミ力が足りなかったら、ただの不穏な空気だぞここ。空気が美味いだけが取り柄のこのベッドタウンに環境汚染の魔の手が迫る。


「なんやかんやで、もうすぐ冬休みじゃないですか。先輩、ご予定は?」


「予定っつっても、家族で年越して親戚回りして、餅食ってテレビ見て終わりだろ。毎年そうだよ」


 夏休みほどのボリュームもないくせにやたらと忙しいからな、年末年始。楽しみなのはお年玉くらいのもんだ。

 そのくせ宿題はしっかり出るから嫌になる。まぁ、休暇をもらえるだけまだマシなんだろうけど。


「その前にビッグイベントがあるじゃないですか」


「……終業式?」


「誰が校長先生の話を待ち望んでるって言うんです? 馬鹿ですか? それともアレですか、火澄先輩ですか?」


 いやそうだよ。俺は火澄先輩だよ。

 誰だと思ってたんだ今まで。


「クリスマスです」


 あぁ、そういやそんなのあったな。

 サンタクロースの正体を知ってからと言うもの楽しみでもなんもなくなった他国の宗教行事。あんなもんはカップルが浮かれるためだけのただの平日だ。俺には何も関係がな……。


「予定、あるはずがありませんよね?」


 秋心ちゃんは笑う。しかし、その目は笑ってはいない。


「あたしより、優先する用事なんてあるはずがありませんもんね」


 何故だ、脅されている気分だ。

 この子の言っている意味くらい理解できるけど、デートのお誘いってもっと甘酸っぱいものじゃないの? なにさ、この泥を舐めたみたいな味は。


「……無いっすね」


「よかった」


 笑みは本物に変わったように見えた。


「あたしですね、ずっと後悔してたんです」


 二人の体温しか存在しない煤けたオカルト研究部の部室で、相変わらずマフラーを首に巻いたまま秋心ちゃんは言った。


「後悔?」


「はい。先輩なんかに告白してしまったことです」


 おっと、ここにきて衝撃のカミングアウトか? やめてくれ……まだ正式に付き合ってすらいないのに。


「しかもあんな色気の無いシチュエーションで……。

 自然の摂理に従うのなら、先に先輩があたしに愛を告白するべきだったんです」


 どこの自然界の話だ。自然の五要素に秋心ちゃんが加わって六要素になってんじゃんか。


「そして土下座して付き合って欲しいと言うべきだったんです」


 待て待て、また話が変な方向に進んでんぞ。

 秋心ちゃんはポケットを弄り俺の目の前に突き付けた。


「知ってますか? この御守り、祈願成就の効能があるそうです」


 俺が渡した修学旅行のお土産だった。

 やばい、厄災払いのお守りは家の机の上だ。今撃たれたら偶然ポケットに入っていたお守りのおかげでなんとか一命を取り留めたぜ……的なパターンも通用しないこと請け合い。


「そ、そうだね。お願い事叶うといいね……」


「催促してるんですよ。

 クリスマス……絶好の機会じゃないですか。先輩はどんなロマンチックな告白の言葉を、愛の言葉を用意してくれるんでしょうね」


 お守り関係なくない? 脅迫だろこれは。

 君は神に祈らなくても生きていけるよ。


「あたし、早く淡笹さんに追いつきたいんです」


 その御守りを見つめながら秋心ちゃんは言う。

 赤いお守りに照らされてか、彼女の頬も僅かに朱に染まっているように見えた。


「……聞いていますか? ちゅーの話をしているんですよ?」


 その赤さは俺にまで伝染して、真っ直ぐ向けられた視線を送り返すことが出来なくなった。

 痛いほどに突き刺さるそれが瞼の奥でホロホロと痛む。

 放課後の静寂を誰か掻き消してくれと望むけれどそれも無駄な足掻きだと、自分で打ち消すことにした。


「……ぜ、善処します」


 秋心ちゃんの微かな笑いが耳をくすぐった。


「楽しみにしています」


 その笑顔は悪戯に俺を見つめている。

 放課後の限られた時間はゆっくりと流れて、こんな時間がいつまでも続けば良いと心からそう願った。


「……ところで先輩、こんな噂話を知っていますか?」



おわり

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