秋心ちゃんの噂(解明編②)


「少しだけ付き合え、火澄」


 秋心ちゃんを自宅に送り届けた後、雪鳴先輩は少し強くアクセルを踏み込んだ。どこに行くわけでもない、遠回りして話をしようと雪鳴先輩は言った。

 いわく付きの軽自動車は冷えたアスファルトを駆けて行く。

 シートベルトの付け根が弱くなっているのか、キシキシと揺れる助手席のシートに浅く腰掛ける。


「やっと終わったな。何はともあれお疲れさん」


「雪鳴先輩……」


 労いの言葉には優しさを汲み取れた。今更になって殴られた頬が痛みだす。

 誰よりも俺を心配し、感情を露わにした彼女はとても穏やかな横顔を街並みに重ねる。

 波音にも似た静寂は心地良い様な、俺を責める様な不思議な旋律を奏でた。


「あの……どこまで先輩の思惑通りだったんですか?」


「さぁなー。とりあえず、お前を殴るとこまでは決めてた」


 予定調和のパンチだったのか、通りで腰が入っていたはずだ。

 忘れていた血の味が生を実感させる。この冬の夜にも血液は確かに温かい。吐き出す息は白く濁るだろうけれど、ヒーターの熱でそれは透明に漂う。


「俺が本当のことを知るべきだと思ってましたか?」


 鞄の深くに収めた昨年の活動日誌。

 その存在に先に手をついたのは秋心ちゃんだった。いつか、先輩はそれを正解だと言っていた。


「ぶっちゃけどっちでも良かったわ。結果良ければ全て良し。

 でも、今回の結末がベストやったと今なら思う。

 火澄はどうや?」


「俺は……」


 開き直れる立場にない。

 犠牲にするものは余りに多く、それは時間をかけても補うには余りに大きい。


「まぁ、嘘なんやけど」


「えぇっ!?」


「前も言ったかいな。全部、ちゃんと清算して全てを終わらせるのが一番良い……それは本当よ。でも、その代償はやっぱり大きい。あんたが思っとる通りな」


「うちはその気になればパンチ一発で終わらせられる。大元を絶って仕舞えば、楽に解決できる。

 じゃあ今回、そのパンチ一発とあんたを殴った一発は同じ重さやったんやろか。

 あんたは、もうわかってるやろ」


 心の呵責を抱えることが悪だと決めつけることは無理な話だと、今はもう言い訳に聞こえる言葉も反対に俺を肯定する言葉になり得る。

 後悔することと背負うことは似ている様で実は違い、でもやっぱり切り離せないものなのだと納得することしかできない。


 もしかしたら、まだ前向きに生きるには早すぎるのかもしれないけれど、それを秋心ちゃんのためだと言うのは都合が良すぎるのかもしれないけれど。


「さぁ、おもろない話はこの辺にして、お前にもうひとつだけ言っておかないかんことがある」


 赤信号で停止して、雪鳴先輩は俺をじっと見つめて言った。


「ちっちゃいおっぱいも、それはそれで良いもんやぞ」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 俺は自宅ではなく、淡笹の家で車を降りた。

 遠く消えるテールランプを見送って呼び鈴を鳴らすと、彼女の母親が出迎えてくれた。

 仏壇に手を合わせた後、淡笹の部屋に通してくれと言うと、すんなりとそれは承諾された。


 母親曰く、部屋はまだ彼女が使っていた頃のままらしい。

 未だ淡笹の影を追い続ける彼女に昨日までの自分を重ねて少し寂しくなった。その想いを共有できないからであろうか、目尻を拭う彼女の母親にかける言葉は見つからない。


 学習机の上に、病院で見かけた中学英語の参考書を見つけた。


 淡笹が俺に残してくれたもの。

 何かひとつでも、形となって残るもの。


 パラパラとそれをめくる。かつて込められていた淡笹の将来への微かな希望が綴られている気がして、少しだけ目頭を抑える。


 はらりと一枚の便箋が溢れた。


『幸せだったよ』


 そう一言だけ綴られたその手紙を見て、俺は泣いた。

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