秋心ちゃんの噂(調査編①)
型の古い中古軽自動車のシートの硬さだけが居心地の悪さの原因ではない。
黙ってハンドルを握る雪鳴先輩と、流れ行く該当の残像を目で追う秋心ちゃんの作り出した静寂はエンジンの低い音を気付かせる。
向かう先は際界病院。
視線はぼやけでも焦点はハッキリとしていた。
今俺は、淡笹の記憶と秋心ちゃんとの思い出を交差させながら時の流れに身をやつしていた。
思い出される二つの笑顔。
揺れる髪。
また笑顔。
寂しげな表情。
憎まれ口。
涙。
言葉。
嘘吐き。
交わりを見つけては、その違いに蘇る匂いにむせ返りそうになる。
確かにここにある後悔ばかりの月日を精算などできるのだろうか。
いや、まずはその必要性すら疑わしくなる。
今から起こることが、俺の中で後悔にならないと断言すれば、きっとそれは嘘になる。
俺はそう言う生き物なのだ。そう言う人間なのだ。
そう開き直ることが出来れば、いっそ気が楽になるだろう。
でも、楽になる事は逃げなのだと知った今、できる事はただひとつ、覚悟と言う言葉に他ならない。
秋心ちゃんの好意を、淡笹への供物の安らぎだと考える事自体が誤りなのだ。
苦しみを塗り潰すつもりでいた事自体が間違いだったのだ。
人は悲しみや苦悩を抱え、背負っていく生き物だと格好つける事は、あまりに使い古されたフレーズ。人間はそこまで単純になれはしない。
それでも、想いを露わにするのは些か難しすぎるから、心の奥を濁している。
「火澄先輩、今喋りかけてもいいですか?」
秋心ちゃんは静かに口を開いた。
「いえ、これは独り言だと言うことにしましょう。返事は要りません」
変わらない口調で続く言の葉を聞き逃さないように耳を澄ませることにする。
「あたしは、先輩が格好良いなんて思った事はありません。いつもぼーっとしていて部活にも積極的ではありませんし、いざという時には頼りにもなりませんし、変なことには巻き込まれる割りにちゃんと解決した事はありません。作り話の主人公みたいに活躍しているところなんて見た事もないですね」
雪鳴先輩の踏み込むアクセルが少し浅くなったことを感じた。
「それでも、あたしはあなたの事が好きなんです」
今はただ耳を傾ける。
「あなたは嘘が下手くそです。
あたしや、木霊木さんの気持ちに気付いていないフリをするのだって、下手くそです。
あたしはあなたの事なら何でもわかる……と言うのは言い過ぎですね、本当は何もわかりはしません。それでも、あたしの中には確かにあなたがいます。格好悪い火澄先輩がいます。
だから、格好付ける必要なんて本当はないんですよ。
さっき、あたしに言った酷い言葉も傷付かなかったとは言えません。正直、とてもショックを受けました。
必死に格好付けて、あたしに嫌われようとしている事も見え見えでした。
でも、その真意がわかっているからこそあたしはショックでしたし、同時に嬉しくもありました。格好付けようとすることは、格好良く見せようとすることです。格好悪いところを隠そうとすることです。
先輩があたしに格好悪いところを見せたくないと思ってくれていたのであれば、それはとても嬉しいことです」
雪鳴先輩も同じ言葉を聞いている。ただ、今は気恥ずかしさはない。
秋心ちゃんの本心が知りたい。
「でも、あたしは格好悪い先輩が好きです。格好の悪いところを見せてくれるのは、格好付けてくれる事よりも勇気がいることなんだから。
正直な話、なぜ先輩の事を好きになったのかなんてわかりません。それがいつからなのかも、もう覚えてはいません。でも、あたしには今がとても大切に思えます。この気持ちを持つ事ができた今を、とても愛おしく思えます」
過去を否定するような言葉は、悪く言えば俺への当てつけなのかもしれない。
それでも、その理屈に不満はない。
「一人の人を好きになり、それをずっと胸に秘めて生きていく……それはとても素晴らしく尊い事です。ただ、あたしはやっぱり大切な人の一番になりたい。
考え方を変えると、あたしは淡笹さんと同じくらい火澄先輩に想ってもらえる可能性がある。そう考えることにしました。
だから、先輩が過去にとらわれること自体悪いことだとも思えません。ほら、よく言うじゃないですか、登った山が高く険しいほど、頂上の景色は素晴らしいものなのだと」
信号の赤は闇に鈍く染まっている。対向車のヘッドライトは、今走ってきた道を眩しく照らしていた。
「昨日先輩は言ってくれましたよね? あたしのことを好きだと。あの言葉はあたしにとって、他のどんな酷い仕打ちよりも、先輩の酷い言葉よりも、気持ちに気付かないフリをされることよりも意味のあるものだったんですよ。
好きだからこそ蔑ろにしたり、傷つけたくなったり、でもその傷付けたい気持ちすら覆したくなったり……先ほどの先輩はそんな風に見えました。
先輩、それをなんと呼ぶか知っていますか?」
言葉を飲むように吐き出される声はとても優しい。
「あたしはそれを『天邪鬼の呪い』と呼びます」
秋心ちゃんの声が聞こえる。
「オカルトでもなんでもない呪いです。きっと、あたしのそれが移ってしまったんですね。風邪と同じです。誰かに移せば治ってしまうものなのかもしれません。
あたしがそれを治すきっかけになったのは、紛れもなく今から会う人のおかげなんです。
好きな人に好きだと言うことは簡単な事ではないけれど、こんなにも気持ちの良いものだったんですね。勿論、恋が叶えばそれが一番良いんでしょうけれど、たとえ実らない想いでも伝えることは素晴らしいことなんだと反省しました。
伝える身になって、今まで何度も断ってきた告白への罪悪感が少しだけ薄れた気がします」
乾いた笑い声が静かに響き、彼女は更に続ける。
「それとですね、実を言うと、あたしはオカルトなんか好きではありません。幽霊なんて、いなくなればいいとさえ思います。恋のジンクスも占いも、信じたくなんかありません。
毎日毎日、お化けや妖怪やおまじないや呪いを探すのは溜息が混じります」
いつも考えていたこと。
秋心ちゃんがなぜオカルト研究部なんかにいるのかと言う疑問。
「小さな頃から、怖がれば怖がるほどそれらはあたしの前に姿を表しました。慣れることはあっても、好きになることなんて出来はしませんでした。
オカルト研究部に入ったのは、そんな非日常な存在を少しでも必然に近付けることで諦めようと考えたからです。
偶然足を運んだあのオカルト研究部の部室で火澄先輩に初めて出会った時は思いもしませんでした、こんな日が来ることを。
今日、初めてあたしの力を誇らしく思えます。誰かの為にこの力を使う日が来る……そんな日が来ることを」
オカルトを現実に引き入れる力。それは彼女にとっての苦悩。
そして多分、雪鳴先輩も同じ苦悩を持っている。
持たざる俺は、それを僅かばかりでも羨んだことを恥ずかしく思った。
言葉が途切れると同時に見慣れた街に見慣れた明かりが映る。
車は路肩で停車した。
雪鳴先輩が乱暴にサイドブレーキを上げ、秋心ちゃんの言葉を制する。
「さぁ、着いた。ここで待っとってやるからさっさと行ってこい」
開いたドアから冷たい風が吹き込んだ。
思わず身震いするような寒さは澄んだ空から降り注ぐ。雪鳴先輩は早く閉めろと言わんばかりに俺を睨みながら言った。
「……あんたは、ちゃんと幸せになれ。この子の為にも」
その言葉を聞き逃したであろう少女は、俺が隣に並ぶのを星空の下待っていた。
いつの間にか白いマフラーに顎を埋めた秋心ちゃんが俺に手を差し出しながら言う。
「……少しだけ、手を握ってもらえないでしょうか」
僅かに震える指先。
これまでとは違う、本物の淡笹の幽霊に対峙する瞬間に、彼女はきっと恐怖を隠しきれていない。
俺が淡笹と出会う事で起こる可能性に少なからず不安があるのだ。昨日の再現が起こるのではと、きっと心の底にはそんな恐れがある。
それでも彼女は俺を信じている。信じてくれている。
そっと彼女の細い指に手を重ねた。
「……秋心ちゃんの手、あったかいな」
「ほら、よく言うでしょう? 手の冷たさと心の温かさの関係がどうだとか」
手と心の温度が反比例すると言うジンクスは、幼い頃から皆んなが知っている世間話にもならないくだらない迷信だった。
「それだと、秋心ちゃんの心が温かくないみたいじゃんか」
「違いますよ」
その手は、確かに俺を掴んで離さない。
「先輩の手が冷たいって言う意味です」
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