秋心ちゃんの噂(提起編①)
「えっと……どうして高校に来てんですか?」
「こっちの台詞や。何であんた帰ろうとしとるん? はよ部室行くよ」
襟首を掴まれて今来た方向を引き返す。通り過ぎる大勢の部活生、下校生の視線が痛い。
「あの、先輩ちょっと……」
「あぁ、何しに来たかって? そんなん決まっとろうが。昨日の結果を聞きによ」
嫌な予感は的中するもんだな。懸念事項のひとつとして、俺が部活を辞めてしまったことを雪鳴先輩にどのような形で報告するかというものがある。
どんなシミュレーションをしても、烈火の如く怒られるビジョンしか見えないから、しばらく逃げ回ろうとか考えていたところだっただけに、焦りは隠せない。
「いや、俺ちょっと用事があって……」
「心配しなさんな、時間は取らせんし、なんなら送っちゃるから。うち、車で来とるし」
勘弁願いたい。あのボロ軽自動車に乗るたび寿命が縮むんだよ。死因に明記してもいいくらいだ。
今のところ累計三年分くらいだろうか?
部外者入校手続きも取らずにズンズンと進んで行く雪鳴先輩。今ほど教員連中の登場を願った事もないけど、そんな希望虚しく部室の前まで辿り着いてしまった。
「おつおつー! あっきー久しぶり!」
元気よく扉が開け放たれる。秋心ちゃんがそこにいるはずもないのに。
「え、ゆ、ゆきちゃん!? どうして部室に!?」
いた。
何故君がここにいるんだ。昨日ちゃんと言ったじゃないか。もうオカルト研究部は終わりだと。
秋心ちゃんひとりでここにいる理由なんて何もないはずなのに、彼女はいつもの椅子に腰掛けて俺達を見る目を丸く見開いている。
その大きな目も、俺を見るなり俯いてしまうことに罪悪感を感じ得ない。
「いやな、昨日の調査の結果を確認したくて来たんよ。あれはなぁ、いわゆる因縁の事案やからね、うちとしても心残りではあったわけや。
んで、どうやった?」
沈黙が流れる。
秋心ちゃんは言葉を発しなかった。それが何を意味しているのかなんて、明らかだ。
雪鳴さんがそれを察する事が出来ないはずがない。ただただ心地の悪い空気は湿って物語を妨げる。
「……えっと……どういう事?」
溜息すら許されないような気不味さだ。
秋心ちゃんはカバンから一冊のノートを取り出し、珍しくもきょろきょろと落ち着かない雪鳴先輩に差し出した。
「ゆきちゃん、これお返しします。せっかくのヒントだったんですが……あ、勝手に見てしまってごめんなさい」
古い大学ノートには『オカルト研究部活動日誌』と題うたれている。いつか秋心ちゃんが俺にその存在を語ったものだ。
雪鳴先輩はノートと秋心ちゃんを交互に見ながらも、まだ驚きを隠せていない。
「それは別にいいんやけど……え……ダメやったんか?」
「……はい。色々とご迷惑をおかけしました。」
深々と下げられた頭はしなやかな黒髪の流線を描く。
その明朗さは、はっきり言って痛々しい。
「そうか……残念やったな。なんとなく、上手く行く気がしとったんやけど、中々甘くはないなぁ。
。それはそれで仕方のないことや。
事の顛末を説明してもらっていいか? 火澄」
もう観念するしかない。
報告の最後に付け足さなければいけない『オカルト研究部をやめた』の一言までが俺の寿命である。
深く息を吐き、立ち尽くしたまま昨日の出来事の次第を告げる。
「先輩の言う通り昨日、際界病院に行ってきました。
結果は今の通りなんですけど……」
それを知る権利は彼女には確かにある。
一年越しのオカルト調査は生憎のものだったと、そう口にするのは些か気がひける。それでも、仕方の無いものだったと開き直るしか無い。
「……淡笹に、言われたんです。『嘘吐き』って。俺、やっぱりあいつのことを置いていけません。あいつがこの世に縛られてたのは俺のせいだったんだから……俺だけ先に進んで良いはずが……」
バン!
先輩が机を叩く音が雑然とした部屋に響く。
「火澄、お前今なんて言った?」
怒りだろうか。その瞳は血走り、確かな恐怖を撒き散らしている。感情の意味もわからないままに、ただ驚きを隠せない。
しかし、その矛先が向いているのは俺ではないようだった。
「……あっきー、これ、ちゃんと読んだんやろ?」
今度はノートを机に叩きつける。また乾いた音が鳴り響いた。
俺も秋心ちゃんも口を噤んだまま息を殺した。
「最後まで読んだんかって聞いとるんや!」
「……読みましたよ」
「なら、なんで火澄からあんな言葉が出るんや!?」
秋心ちゃんが唇を噛み締めているのが目に映った。
わけがわからない。
二人のやりとりには何かしらの意味があるようだけれど、当の俺にはそれがなんなのか見当も付いていなかった。
「……言ってないんか?」
「……言う必要があったんですか?」
秋心ちゃんのそれは先輩とは対照的な感情であったかのように思える。しかし、言葉には怒りによく似た色が宿っていた。
「それを言ってしまうと、全てが終わってしまうじゃないですか。確かに、簡単ですよ。真実を教えてしまうのが一番簡単です。でも、火澄先輩の何も救えないじゃないですか。
ゆきちゃんだって、あのことを言わなかったのはそれがわかっていたからでしょ?」
感情的になりやすい雪鳴先輩でも、こんな風に赤黒い思いを吐き出すのは珍しいものだった。ただ、必死に漏れ出す想いを抑え込もうとしているように見える。それはあまりにも切なかった。
「うちとあんたは求めるものが違うやろ……。
見てみなや、その結果がこれやんか。あんたが全部悲しい思いしとるだけやんか」
雪鳴先輩は寂しげな影をまつ毛に落とす。
秋心ちゃんは拳を握りしめ、俯きながら震えていた。
雪鳴先輩は未だそれを隠すことなく言う。
「もういいわ。あんたらの馬鹿さ加減には愛想が尽きた。
秋心が言わんのなら、うちが全部教えちゃる」
雪鳴先輩はノートを手に取りパラパラとめくる。とあるページで手を止め、それを俺に差し出した。
重大な事実がそこに記されている。それがどんなものがわかりはしないけれど、震える指でノートを受け取り視線を落とす。
秋心ちゃんがそれを止めることはなかった。
「……読んでみろ」
そこには次のように記されていた。
『淡笹薫の幽霊の噂
対象は病院の中庭に十二月〇日にだけ現れる少女の幽霊である。
幽霊の正体は淡笹 薫と言う少女である模様。享年十四歳。亡くなるまで同病院に入院。上記日付の翌日が命日である。
淡笹 薫は、火澄の小学校からの幼馴染であり、初恋の人である旨、火澄本人から聴取。
なお、火澄は彼女に対し強い執着心を示し、普段見られないよう取り乱す場面があった。
二人の関係性をこれ以上追求することは出来ないものと判断する。
思うに、件の幽霊は火澄に強い呪いをかけている。幽霊は火澄を縛り、人との触れ合いから隔絶せしめんとしている。
つまるところ、この呪いによって火澄は人を好きになることはできない。加えて、人から好かれることを認めない。
彼のためを思うのであれば、今すぐにでも解決すべき由々しき問題ではあるが、後述を理由として今回の件については調査を打ち切ることとしたい。
解決を私は望まない、いや、私には解決は困難であると言い換えようか。この噂に関しては、現状のオカルト研究部による解決は出来ないものと判断したからだ。
その理由としては、私には淡笹 薫の姿が見えなかった。つまり、彼女の幽霊などこの世には存在せず、火澄の妄想に過ぎない為であるからだ。』
最後の一文に目を通したところで言葉が見つからなかった。
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