秋心ちゃんの噂

秋心ちゃんの噂(序章)


火澄ひずみくん、どうしたの? なんか……元気ないね」


 教室にはいつもの喧騒。

 木霊木こだまぎさんは眉に影を落として俺を覗き込んだ。


「あぁ……色々あってね。部活やめちゃったんだよ」


 どうしてこんな事を口にしているんだろう。彼女は何の関係もないはずなのに。

 机に張り付いていた頬を引き剥がした俺に木霊木さんは驚きの声を漏らす。


「えぇっ!? どうして? 秋心さんと喧嘩でもした?」


 近からずも遠からず。ただの喧嘩なら仲直りもできるけれど、これはそんなに単純なものじゃなくて、しかしとてもわかりやすい答えだった。


「まぁ……そんなところかな」


 苦笑いさえ上手くできている自信がない。

 適当に繕った言葉は、人を誤魔化せてもこの目にはあまりにほころんで見えた。


「早く仲直りしたほうがいいよ」


 木霊木さんは困ったように言う。

 なんとなく、その言葉は意外だった。


「ありがとう。でも大丈夫だよ」


「そう? なら良いけど……」


 大丈夫だなんて文字にはなんの意味もない。きっと多くの人が使う、ただの空虚な空間の埋め立て行為に過ぎない。

 しかし、とりあえずの安堵を見せようとする木霊木さんに対しては些かの申し訳なさがあった。


「私は、あの子と仲良くお化けを探している火澄くんのことが好きだな」


 眉をハの字に枝垂れて笑う彼女の目元が、何処と無く暖かい。


 それはとても寒い冬の日のこと。



 淡笹あわざさの命日の朝のこと。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あ、こんにちは。珍しいですね、こんなところで」


「いや、別に珍しくもないと思うけど……」


 昼休み。

 校内のベンチに腰掛けてボーッとしていると、見慣れた顔が近寄ってきた。

 俺の知人の中で最も掴み所の無い人物、後前のちまえ後輩である。


「あ、珍しいって言うのはですね、そこはわたしのお昼ご飯スポットなんです。普段誰もこない場所だから好んで来てたんですが、人がいたのでびっくりしたという意味で、他意はありません。

 しかも、それが火澄先輩ときたものですから、驚きも二倍と言うヤツですよね」


 確かにこんな日当たりの悪い場所にどうしてベンチなんかあるんだろうといつも不思議に思っていた。まぁ、とりあえず需要はあったらしい。


「あぁ、ごめん。すぐにどくよ」


「あ、別に良いですよ。わたしもお弁当食べるだけなんで」


 彼女はそそくさと俺の隣に腰を下ろして弁当箱を広げ、行儀よく手を合わせた後箸を口に運び始めた。


「……あ、一口食べます?」


「いや、いいや。あんまり食欲なくて」


 気を使って見せられたのは色鮮やかな弁当箱だった。

 大概失礼な話だろうけど、なんとなくミートボールを頬張る後前さんには違和感しかない。煮物とか佃煮とか好きそうだしこの子。


「なんだか元気がないですね。秋心さんと喧嘩でもしましたか?」


 みんなそう聞いてくるんだな。一瞬驚きにも似た瞬間が流れた。

 沈黙の意味を見破り彼女は続ける。


「だって火澄先輩が落ち込む理由なんて、秋心さんのこと以外に考えられませんから」


 言葉を失う。

 秋心ちゃんの存在が当たり前になっているのは、俺の主観的なものだけではないのだと思い知らされた。


「あ、図星ですね」


「……秋心ちゃんはどんな風だった?」


「いつも通り、教室にいましたよ。いつもよりも口数少なく、いつもよりも近付き難い顔して」


 それは想像に難くない風景だった。

 俺にそんな態度を見せたことなどないのに、彼女の性格や佇まいを勝手に想像してしまう。

 彼女を近寄り難いなんて思ったことはない。それでも、あの子には孤独が似合い過ぎた。


「あ、喧嘩は良くないので、なるべく早めに仲直りすることをオススメしますよ」


「別に喧嘩なんかしてないよ。だから仲直りすることも無い」


「あ、嘘ですね」


 間髪入れない指摘に、いつかの嘘爺さんのことを思い出す。


「私くらいになるとですね、あなたたち二人のことは何でもわかるんですよ。

 秋心ファンクラブの会長と言うのは、彼女と同じくらいあなたの事も見てきた……と言う事ですから」


 見張られていたの間違いではなかろうか。


「そりゃあまぁ、ご苦労なこったな」


「私達秋心ファンクラブの使命は、彼女を幸せにする事です。でもそれができるのは私達ではない……それくらい、もうわかっているでしょう?」


 俺にだってできないよ、そんなことは。


 今は誰も幸せになることなんてできないんだ。でも、秋心ちゃんには次の幸せがやってくる。それは今望んでいるものよりも大きくて、もっと温かなものだと信じたい。

 きっと先日から続く時間も、くだらないものだったと笑えるくらいに幸せがやってくる。


 彼女にはそれだけの価値があるのだから。


「……あ、そうだもうひとつだけいいですか?」


 後前さんはまだ中身の残った弁当箱の蓋を閉じながら言う。


「火澄先輩、あんまり調子に乗んなよ。お前のことなんか、どうだっていいんだよ私は。

 てめぇが不幸だろうが悲しかろうが辛かろうが知ったこっちゃねぇ。でもな、んなもん犠牲にしたって守りたいと思えるものがないうちは、何も終わんねぇし、始まりもしねぇんだよ。

 そこんところ、よーく考えてみろ。

 ばーか」


 普段の口調とは裏腹なドスの効いた声に思わず二度見を繰り返してしまった。

 それ以上の感想は、現時点で導きようがない。


「あ、以上です。では、頑張ってください」


 何事もなかったように去っていく後前さん。

 その後ろ姿はやっぱりあの、飄々とした彼女のもので間違いなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 放課後。

 教室からまっすぐに下足箱に向かう。午後の授業は木霊木さんと後前さんの言葉を反芻するのに費やしてしまったから、全く学生の本分は全うできていない。

 そもそも、まともに授業を聞いていた経験なんてあまりないのだけれど。


 そんな一日に辟易としていた。

 昨日の行いを悔いてなどいない。それが正解だと、今でも思っている。

 それでも、昨晩したばかりの誓いを忘れてしまいそうになる自分が憎い。


 結局、秋心ちゃんはのことばかり考えてしまう自分が憎い。


「おい火澄先輩! 何しとんのこんなところで」


 聞き慣れた声。思わず背筋を正すのは条件反射だか否か……。

 何故だか校門には雪鳴ゆきなり先輩が立っていた。

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