初恋の人の幽霊の噂(解明編)


 しばらく虚空を眺めていた。


 何度も木霊する言葉を噛み締めることが出来ずに、ただ何度か瞬きをして空に光る淡い星を見つめる。

 空気が冷たいと空は映えるものだろう。

 薄い雲の向こうで朧な月が俺を照らし、その代償として弱い星の光は掻き消されている。


 もう隣には誰もいない。


 淡笹がこの世を去ってしまったのだと言う実感だけが、まるで嘘の様だった。


 二度目の別れ。


 彼女の葬儀で枯らしてしまったせいなのか、不思議と涙は出なかった。

 本当に、もう二度と会えなくなってしまった。


 そんな淡笹に、あんな言葉を言わせてしまった。


 驕りだった。


 淡笹は俺が幸せの為に歩み出す事を喜んでくれると、望んでくれるといつの間にか勘違いをしてしまっていた。


『嘘吐き』


 絶望感。


『嘘吐き』


 喪失感。


『嘘吐き』


 後悔。


『嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き』


 視界が暗くなった。空から注ぐ月の光も、星の瞬きも存在なんてしていない。


 約束を果たせなかった。

 繋ぎ止めておきながら、彼女に痛みを背負わせて、それで手を振ってサヨウナラ。


 ただ彼女を悲しませてしまう為だけに長い間その姿を追いかけていたと言う結末に、絶望以外のどんな言葉を添えよう。

 自分勝手な想いは徒らに大切な人を悲しませて、そこに愁いを飾り付けて、最後には何も残さなかった。

 いや、後悔だけを残していたと言い換えよう。


 淡笹は、どうして笑ったんだ。

 皮肉なことに、俺が最後に見た表情は俺が一番好きだったあの笑顔で、突きつけられた言葉は胸を深く抉るものだった。


「……火澄先輩」


 近付いてくる足音にも気づかないほど呆けてしまっていたのか。

 空を仰ぐ俺の元に、秋心ちゃんは心配そうに声を掛けてくれた。


「あの……」


 慎重に言葉を選んでいる様に見える。

 その必要はもうないということを突きつけられた様な気分だ。


「あぁ、全部終わったよ。終わっちまった」


 今度はつま先に視線を移す。

 笑い者のシューゲイザーが思い出の地でうなだれている姿はさぞ滑稽だろう。

 俺には天を仰ぐ権利すらないと、秋心ちゃんにそう言ってやりたかった。


「……俺、勘違いしてた。浮かれてたんだ、きっと」


 力が入らない。立ち上がることもできなかった。

 だから、ベンチに座り込んだまま言葉を続ける。


「俺、秋心ちゃんに告白された時、本当はすごく嬉しかったんだ。

 ずっと前から、秋心ちゃんと一緒にいる時間がとても幸せだった。

 なんていうかさ、俺も結局のところ……」


 やっと、遅れてきたかの様に目頭が熱くなる。そこから雫が溢れてしまう前に、乱暴な言葉を吐き続けた。


「結局のところ、俺も秋心ちゃんのことが好きだったんだよ」


 静けさに木の葉が擦れる音が際立つ。

 彼女がどんな表情をしているのかなんて、想像することもできなかった。

 それだけの余裕がなかった。


「だから、だからさ……なんか、色々履き違えてたんだ。

 あり得ないんだよ、俺が幸せになっていいなんて理屈は。

 好きな人と一緒に笑ったり、泣いたり、あまつさえ幸せになんてなって良いわけがないんだよ」


 溜息が漏れた。


「都合がいいよな。

 だって約束したんだ、淡笹と。『忘れない』って。

 それなのに、淡笹にはもうその約束しか残ってないのに……あいつは、新しく何かを感じたり、手に入れたり、笑ったり喜んだりすることなんてできないのに、俺との約束しかもう残ってないのに……それを俺が手放してしまっていいわけがなかったんだ」


 失って初めて気付くことがあるなんて、随分前に経験したはずだ。あの時の悲しみはずっと抱えたまま生きてきたはずだ。

 それすら、今は信じる事が出来ない。


「馬鹿だよ、本当に。泣きたくなるくらいに。

 見たか? 最後のあの顔を。笑ってただろ?

 聞いたか? 最後の言葉を……」


 今し方まで淡笹がいたベンチを写す。

 今はもう誰もいない隣の席を北風が撫でた。


「怖かった。秋心ちゃんと一緒にいることで、俺の中の淡笹がどんどん薄れていってしまう事が、堪らなく怖かった。

 だからずっと君の気持ちにも気付かないふりをして頭の悪い火澄先輩を演じていたつもりだったけどさ、そうしてる事が一番頭の悪い選択だったんだな」


 秋心ちゃんは未だひとつも言の葉を散らさない。


「自分勝手なのは俺の方だったんだ。

 だって、きっと淡笹は俺を笑って許してくれるものだとばかり思ってたんだから。

 俺が幸せになるんならそれでも良いよって、そう送り出してくれるものだとばかり思ってた。

 俺、あいつのこと本当に大切に思ってたんだ。思ってたつもりだった。もう何の説得力もないけどな。

 だから、勘違いしてたんだ。大切な人だから、傷付けても構わないなんて、そんな風に思ってたのかも知れない。

 そんな風に、変にタカをくくってたから、今の今まで全部うまくいくと思ってた」


 そこには何の偽りもない。

 秋心ちゃんにぶつけているのは俺の本音であり、その先にいるのは紛れもなく俺自身だったのかも知れない。


「それでも、秋心ちゃんに好きだと言われた時は……本当に嬉しかった。

 君が勇気を振り絞ってくれてる事も知ってた。それが俺の為だと言ってくれたことも、全部幸せのうちだったんだ。君となら、新しい何かを見つけられる気になってたし、多分きっとそれは叶うんだよ。

 でも、ごめんな、秋心ちゃん……」


 結局、涙は形を表す事がなかった。

 生えきった心も指先。じんわりと痺れる涙腺だけは、まだ温かさを保っている。


「俺は秋心ちゃんと、一緒にいちゃいけないみたいだ」


 償いとでも言おうか。

 これ以上淡笹を悲しませる現実に耐えられるほど俺は強くなんてなかった。

 秋心ちゃんみたいに強くはなりきれなかった。


 俺の幸せなんて、何の価値もない。


 それは、秋心ちゃんの幸せをも否定することなんだと気付いてすらいない。


 秋心ちゃんのことも、きっと淡笹と同じくらい大切なはずなのに、俺は何より自分が可愛いんだ。

 傷付くことを、悲しみを恐れて足踏みをする姿が俺にはお似合いだ。それはきっととても滑稽な踊りに映るだろう。嘲笑の中に涙を流す人がいることに目を背けて、ずっとピエロを演じていることの方が楽に決まっている。

 痛みから逃れるために幸せを諦めることを戒めた秋心ちゃんに背くことを、許してくれとは言わない。

 いつまでも、俺を恨んでくれても良い。

 俺にはそれだけの罪があるのだから。




「……オカルト研究部は今日で終わりにしよう」




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