真倉北高校オカルト研究部の噂(解明編)
「先輩はどんな噂が思い出深いですか?」
「そうだな……実はすごく印象に残ってることがあって」
顎に指を当て、思わせ振りなそぶりを見せてみる。秋心ちゃんの視線が俺のこめかみを刺しているのが感じられた。
「なんですか?」
催促の言葉にもニ、三度首を捻り、秋心ちゃんが起こり出さないギリギリのタイミングを見極めた。
『早く話してください!』なんて怒られるのはに日常茶飯事だから、体が丁度良い頃合いを覚えている。なんだ、この悲しい能力は。
あ、ここだ! このタイミングだ!
思い切って口火を切った。
「小指のマニキュアの噂なんだけど」
さて、つかの間の反撃の時間だよ。
俺はこの瞬間に命を散らすことにする。後のことなんか考えてられるか! そんな事でこの子の先輩が務まると思うなよ!
……誰に対する発言なんだろ、これ。
「す、すすすストップ! ひ、火澄先輩、その話はやめときましょう」
予想通りの反応。
顔を真っ赤にして手をぶんぶん振る後輩ちゃんにある種の快感を覚えた。
たまにこうやって反旗を翻してみるのも良い。今回はちゃんと手元に旗があるんだからね。
秋心ちゃんからしたらはた迷惑な話だろう。
座布団一枚!
「あの時の秋心ちゃん可愛かったなぁ……べたべたくっついてきて好き好き言ってくれたし。あぁ言うのがギャップ萌えって言うのかね? 秋心ちゃん、ツンデレだったの?」
「い、言わないでって言ってるじゃないですか! それにあたしはツンデレじゃありません! ツンもデレも見せたことはないです!」
秋心ちゃんの投げた鞄を間一髪避けて振り返ると、彼女は顔を真っ赤にしながら俺に掴みかかってきた。
なるほど、確かにツンじゃないな。グサリとかブスリとかズバリとか、もっと鋭利な表現が似合っている。
そして俺の体がデレっとなる。し、死んでる……!?
これが我が真倉北高校にまつわる『グサデレ』の噂である。血生臭いなぁ……。
「あ、あれはその……ね、熱! 熱のせいです! あの時のあたしはあたしじゃありませんからね!」
寝た子を起こしてしまったようだ。わかってたけど。って言うか、思いっきり起こしに行ったからね。
目覚ましってこんな気分なんだろうなぁ。と、言うことは秋心ちゃんは朝の不機嫌さを今孕んでることだろう。
温厚な俺でさえ目覚まし時計を叩き壊したくなるんだから、秋心ちゃんが俺に対して今感じている感情は想像に難くないし想像したくない産物だ。
とりあえず死を覚悟していた俺は、やっぱり土下座して命乞いでもしようかと優柔不断さを痛感してみる。
でもちょっと遅かったらしい。秋心ちゃんはワナワナと震えながら拳を握りしめている。
「あたし、あんなに甘えたりしませんから! たとえあれが本音だったとしても行動は偽物だったんですから! か、勘違いしないでください!」
やっぱりツンデレじゃんか。そのセリフ、一回言われてみたかったんだよね。
それにしても秋心ちゃんの言う本物と偽物は一体何が違うと言うのだろう。
そんな哲学的な考察も落ち着いて出来やしない。
て言うか、もともとそんな頭も持ち合わせちゃいない。
「先輩だって変な伝説残してるくせに! そのくせクラスメイトの男の人にしかモテてないし!」
確かにあいつは変だ。もしかしたら、俺の周りで一番の変わり者かもしれん。
「あれについては忘れてくれ……」
「嫌です!」
今日一番元気の良い返事が聞こえた。しかも即答だ。
俺の嫌がる事をするときに限って彼女はテンションが高い。多分特殊なレーダーか何かが搭載されているんだろうね。うわぁ、その装置を言い値で売ってくれ。
「絶対に忘れませんから」
強調しながら秋心ちゃんは息を荒げ言った。
未だ襟を掴まれたままだ。側から見たら恐喝の現場のようである。年下の女の子に虐められてる男子高校生って可哀想すぎない?
まぁ、一部凄まじい需要もあるんだろうけどさ。
「な、なぜそんなに頑ななんだ秋心ちゃん。あれに深いわけがあってだな……」
「なんでも良いんです!」
言葉を遮る様に声が混じった。
「あたしには、先輩について知らないことが多すぎます。少しくらい……良いじゃないですか」
秋心ちゃんはまだ少しだけ吐息を乱しているようだった。その鼓動でさえ伝わってくるかのような距離。
俺たちは今、限りなく近くにいる様に見えて、その実計り知ることのできない何かがあることも確かだった。それは俺だけが感じているものだと、つい最近までそう思い込んでいた。
でも、それは間違いだ。その距離を認識していたのは秋心ちゃんだって同じで、寧ろ彼女の方が更に厚い壁を見上げ、深い谷を見下ろしている。
そんな言葉を漏らす秋心ちゃんにとって、その隔たりはきっと果てしないものなんだろう。手と手で触れ合うことができるのに、すぐ目の前にある俺が蜃気楼とでも言うのか。
俺はそんなに、秋心ちゃんから遠くにいるのだろうか?
「今でも思い出しますよ、嘘爺さんの噂の検証の日の事を」
秋心ちゃんは言葉をひとつひとつ拾い上げるかのように、慎重にそれを選びゆっくりと続ける。
その内包する意味はただの飾りなのだ。言の葉がこれほどまでに儚く、脆く、美しいものだと知る。
「好きな人の事は何だって知りたいはずなのに、新しい発見をした日の夜は、眠れないほど心が踊っているはずなのに……それでもあの日見た先輩の表情を思い出す度に泣きたくなるんです。
先輩を悲しませた事を恥じるのと、そんな顔知りたくなかったなんて言う自分勝手な想いが混ざってどうしようもなくなるんです。
あたしは……自分に都合の良いモノしか見たくなくて、嫌なことから逃げ出したくて、そんな狡い人間だと気付いてしまうのがたまらなく悔しくて、それを先輩に知られてしまうのが怖かった……本音も言えないのは、そんな卑怯な塊がきっとあたしに根差しているからなんです」
秋心ちゃんは言った。
『天邪鬼の呪い』について邂逅する。どこか今し方の独白に通ずるものがある気がして、頭の片隅にある引き出しを開けてみたけれど、そこには思い出という不確かなものしか見当たらなかった。
返す言葉を探している間にも彼女は続ける。
「……本音も言えないくらい、先輩のことが好きでした。
でも、今は違います」
静寂。
心地の良いそれではない。時の流れを緩やかにする静けさは、今この身には些か沁み過ぎる。
月が昇るのを足止めしながら、彼女は二度ほど息を噛み殺した。
秋心ちゃんの表情、声、彼女を取り巻く空気さえ今は手の届くところにある。
手の届くところにあるはずである。
それを手繰り寄せたいのは、俺なのだろうか。それとも、彼女なのだろうか。
「……今はちゃんと本音を口にできます。熱にうなされてなくたって、正反対の言葉を使わなくたって。
失うことはとても怖いことです。きっと、あたしよりもそれを知っている人がいることを、あたしは知っています。
でも、悲しみに変わるのが怖くて幸せを手に入れることを諦めていたら、火澄先輩を救うことが出来ないんだって……」
変わらない声色。
西陽はもう沈み濃紺の世界が古いカーテンの隙間から流れている。蛍光灯の淡白な光だけが部屋を冷たく照らしていた。
「自分勝手なお願いです。あたしのために、幸せになってもらえないでしょうか?」
その願いを人は、神はそう呼ぶのだろうか。
誰かの幸せを願い、喜びや悲しみに共感することを、そう論って良いのだろうか。
優しい人間が優しいままで笑うことが出来ない毎日なんて、あっていいのだろうか?
秋心ちゃんはその答えを教えてはくれない。きっと、神様にだって仏様にだって聞いても答えてはくれないだろう。
だから、俺が自分で見つけなければならない。
「明日、もう一度言います。でも、その前にもう一度だけ……言わせてください。
あたしは先輩のことが好きです」
約束の日。
今日と明日で世界が違う事を秋心ちゃんは理解している。
いつも通りの、これまで通りの二人でいられるのは今日が最後。
今から話すことが秋心ちゃんをどれだけ苦しめるかを簡単に想像できる。この言葉で、今日が終わってしまうこともわかっている。
それでも、口にせずにはいかなかった。
「……俺と淡笹の話をしようか」
次話へつづく
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