未解決の噂の生まれた日(調査編)


 何度も通った道だった。

 ほとんど毎日、去年の今日まで何度も辿った道は何も様変わりする事なくまだここにある。

 違うのは行き着いた先に、もう彼女がいないと言うことだけだった。


「雪鳴先輩すみません、わざわざこんなところまで来てもらって」


「ホントよ、うちん家逆方向やもん。寒いし遠いし、もう最悪やわ」


 袖をさすりながら先輩は白い息を吐く。

 口は悪いけれど、こうして隣を歩いてくれる彼女に申し訳なさと頼もしさを感じていた。


「よかったら、その子……淡笹さんやったか。その話を聞かせてくれんか?」


 腫れ物に触るように扱われるよりも、そう言ってくれる事が何よりも嬉しかった。楽だった。

 まだ僅かに続く道すがら、俺は淡笹についての思い出を語る。


 とても真面目な子だったこと。

 いつも二人、病院の中庭で語り笑いあったこと。

 その笑顔がとても可愛らしい子だったこと。

 揺れる髪、痛々しいほどに痩せた背中、優しい声……今でも鮮明に思い出せること。


 小学生三年生の頃に転校して来た彼女とは、特に親しくなる機会もなく一年が過ぎ、二年が過ぎ、気が付くと俺達は小学校を卒業する事になっていた。

 その頃から淡笹は学校を休みがちになり、教師から重たい病で入院していることを聞かされる。クラスの何人かで、半ば強制的に彼女のお見舞いに訪れた時が、きちんと話をした最初の日だった。

 俺がそのメンバーに選ばれたのは、単純に家が近かったからでその時は面倒臭いとさえ思えた。


 次は自分の意思で彼女を訪ねてみた。

 二度、三度と見舞いに足を運ぶうちにその頻度は加速度的に増えていった。

 繰り返し病室を訪れる様になったのはもしかしたら一目見た時から好きになっていたのかもしれない。

 彼女も、俺を受け入れてくれた。


 俺と彼女の思い出は、実は病室と中庭にしか存在しない。

 狭い世界に俺達が二人だけでいる時間は、何にも代え難いものだった。


 病魔は確実に彼女を蝕んで、それは目に見えて悲劇であったこと。

 その病は俺達にはあまりにも大きな障害で、どうしようもなくて毎日涙をこらえていたこと。

 それでも彼女は弱音を吐く事なんかなかったこと。

 俺も彼女の前で泣き声をあげた事はなかったこと。


 淡笹との別れはあまりにも突然の出来事だったこと。


 つらつらと漏れる言の葉を、雪鳴先輩は黙って聞いた。


「火澄、お前は何がしたい? 何が望みや?」


 際界病院に踏み入れる頃、雪鳴先輩からそう問いかけられた。

 夕闇の沈んだ空はまだ紫色に澄んでいる。

 足は自ずと止まった。


「……もう一度、会いたいです」


「その先の話や」


 雪鳴先輩は俺を見つめながら言う。険しいわけではない強い視線が眉間を刺した。


「もし、その子が幽霊になってたとしようか。今からその幽霊に会ったとしてあんたはどうしたい? 話をしたいんか? 成仏させたいんか? ただ、見つめるだけでいいんか?」


 考えが及んでいなかった。

 そもそも、淡笹の幽霊なんてものがここにいるのかもわからない。

 衝動に駆られての行動には何の裏付けもありはしない。寧ろ、そんなもの……淡笹の幽霊なんて、存在しないとさえ思っているくらいだ。


 今から中庭に赴いて、やっぱり何もいないじゃないかと笑って肩を落とすだけだと、心の底にはそんな覚悟があった。


「わかりませんが、その時に決めちゃダメですか?」


「……好きにしたら良いと思う」


 投げやりな言葉ではない。

 ただ優しさに満ちた物言いだった。


 雪鳴先輩との間には束の間の静寂が流れた。

 静けさは心を急かした。


 心臓が高鳴る。この道を彼女の手を引いて歩いたのはまるで昨日のことの様だ。

 休みの日には昼過ぎから日を浴びて、少しの間だけいつものベンチで話をする。

 彼女は俺の学校の話を聞きたがった。それは彼女が手に入れる事ができない思い出だったから、出来れば全部彼女にあげてしまいたかったけれど、それが出来ないから俺は彼女の要求には逆らうことなんて考えなかった。


 こんな暗い時間、彼女がいるはずはない。こんな寒い闇に、彼女がいるはずはない。

 何度も言い聞かせて、保険をかけて、件のベンチを見つめる。


 そこには、白い肌をして優しく微笑む少女が一人腰掛けていた。

 

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