未解決の噂の生まれた日
未解決の噂の生まれた日(提起編)
「お疲れ様です
部室に面した廊下は隙間風が漏れてひょうひょうと鳴いていた。それに紛れるように扉の向こうから許可の声が聞こえたのでノブを回す。
熱気が冷え切った顔をくすぐった。
「あぁ……やっぱ温かいって最高ですね」
「寒いから! 寒いからはよ閉めて
部室棟が寒いと言う理由でストーブを持ち込んだのは部長である雪鳴先輩その人である。彼女は火気厳禁の校内で平然と暖をとるくらいには非常識な人物だ。
しかし、今日はその破天荒振りに拍車がかかっていた。
「えっと……なんでこたつがあるんですか?」
「寒いやん」
なるほど、理屈はわかった。わからんのはあんたの頭の方。
己の欲求にどこまでも正直なオカルト研究部の部長、雪鳴先輩はこの学校では要注意人物である。そもそも、この部室はオカルト研究部のものではない。
彼女が勝手に占領して好き勝手に使っているだけだ。
「まさか……これ持ってきたんですか?」
「ほんっと骨が折れたわ、重かった。はいってもええよ、ありがたーく思え!」
ありがたみより罪悪感の方が強い。もちろん校則違反だろう。直接的に『持ってきてはいけないもの』に挙げられてはいないけれど、むしろだれも持ってこようと考えないだろうし。
呆れて物も言えず溜息だけが頬を満たした。
しかし、コタツの誘惑に耐えられる日本人が果たしていようか。
いそいそとコタツ布団に潜り込むことにした。
「どう?」
「最高っす」
じんわりと指先が痺れて心地良い。いつも鬼のように怖い雪鳴先輩も、その熱に蕩けた表情を見せている。
「今日は特別寒いっすね」
「なー。何もする気せんわ。はよ冬休みならんかなー」
……この人、勉強とかしなくて良いんだろうか? 今年受験生なのに。
「だから今日はお休み。こたつでまったりの日に決定」
いつも、やれ呪いの日本刀の試し切りをしようだのやれ妖怪黒マントを退治しに行こうだのと物騒な雪鳴先輩だが、たまにこんな日がある。
部長を除いてただ一人の部員である俺はその気まぐれに逆らうことはできない。
昨日なんかこのクソ寒い中、カッパを探しに川に飛び込むよう命令され実行した。俺は風邪をひかないらしい。
どう言う意味だ?
「明日はなんか予定あります?」
「うーん、今んところはなんもない。」
先輩は今にも眠りに落ちそうな声色でそう答えた。とても幸せそうな顔だ。
それを確認してから話を切り出すことにする。
「あの、じゃあ調査に行ってみたいところがあるんですが」
天板に張り付いたほっぺたを引き剥がしながら先輩は顔を上げた。
「え? 珍しいやんか。いっつもめんどくさがってなにもしたがらん火澄らしくないなぁ。
なんでまたこんな寒い日にそんなこと言うかな……」
面倒臭そうな目線でジロリと俺を見る。
「寒いのに……まぁ、可愛い後輩がたまにそう言うなら付き合ってやらんでもない、寒いけど」
恩着せがましい。寒さをそんなに強調しなくても良いじゃないの。
僅かな不満を覚えつつ、しかし、どうしても雪鳴先輩には一緒にいて欲しい理由があった。
素直に感謝の言葉を返す。
「んで、行きたいところってどこなん?」
「
「病院か……理由は?」
「えっと……」
思わず口淀んだ。
話を持ち出しておいて、きちんとした解答を準備できていない。ある意味で計画性の無い、感情的な行動である事は否定しない。
言葉とは、誠実にあろうとすればするほど、真っ直ぐなほど入り組んだ心から取り出す事が難しくなる。
「言いたくないなら、別にええよ」
雪鳴先輩は短いやり取りで何かを悟ったのか、静かにそう言った。
僅かに考える。
事の詳細を伝えるべきか否か、迷いはしたけれど彼女には話しておかなければならないとそう思った。
「……幼馴染がそこで死んだんです」
雪鳴先輩は表情を崩さなかった。
それがかえって俺の口を滑らせる。
「亡くなったのは一昨年のことです。
彼女はずっと入院していました。長い間、ずっと。亡くなるまで何度も見舞いには行きましたけど、それ以来、病院には行っていません。まぁ、当たり前なんですけどね。
でも、何故かはわかりませんがそこに行かなきゃいけない気がするんです」
俺がオカルト研究部に入った理由。それはもう一度彼女に会いたかったからだ。
たとえもうこの世にいないとしても、幽霊になってしまったとしても、もう一度彼女に会いたかった。
この何ヶ月かで、幾つもの怪奇現象に触れてきた今の俺なら、雪鳴先輩と一緒ならその夢が果たせそうな気がしていた。
「その子の名前は
俺は……」
雪鳴先輩はまだ口を開かない。
「……俺は淡笹のことが好きでした」
その思いを言葉にしたのは初めてのことだった。
ずっと胸の奥にあった筈の想いはあらためて色を宿す。漠然とした感情に縁を与えたような、妙に落ち着かない動機が鼓膜を揺らした。
「ええよ。明日やな」
先輩はそう言うと、こたつに突っ伏した。
その姿は何か考え込んでいるようにも、何も考えていないようにも見えた。
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