誕生日の噂(後日談)


 久方ぶりの部室のドアはいつもと同じ重さだった。


「ひ、火澄先輩……お久しぶりです」


 既に秋心ちゃんが座っている。

 俺の方が彼女を待つことが多いから、これはこれでなかなか新鮮だった。


「今日も来ないのかと思ってました」


 あんなことがあった手前恥ずかしいのだろう、秋心ちゃんは頬を茜に染めながら微笑む。

 いつもの様子とは違う彼女は少しだけ小さく見える。


「ごめん、秋心ちゃん。でも、今日は来ないわけにはいかないだろ?」


 その言葉の意味に辿り着かれる前に紙袋を差し出す。

 お祝いは突然やってきた方が嬉しいのだと、何処かで誰かが言っていたのを思い返していた。


「誕生日おめでとう」


「え? え? お、覚えててくれたんですか!?」


 雪鳴先輩にしろ秋心ちゃんにしろ、俺の記憶力をなんだと思ってるんだろう。

 大事なことは忘れたりなんかしないさ。そりゃあ今日の英単語テストは三点だったけど……あ、言わせてもらうけど十点満点のやつだぞ。


「わぁ、可愛いマフラー……」


 真っ白なその色は秋心ちゃんに似合うだろうと思った。

 これまで、誠に勝手な話彼女のイメージカラーは黒だったけれど、なんとなくそう思ったのである。


「手編みじゃなくて悪いけどさ。まだ巻くには早いかもしれないけど、これからどんどん寒くなるし良かったら使ってくれ」


 肌寒さが本格的な冬の訪れを感じさせる今日この頃。

 夏が好きだと言った彼女に少しでもこの季節を楽しむことができればと、そんな風に格好つけてみる。


「手編みだったら気持ち悪いですよ。先輩不器用そうだし、毛糸の無駄……羊達が可哀想です」


 え? ちょっと待て秋心ちゃん、まだ毒舌に戻るには些か早くない?

 もうちょっともじもじしてる君を見てたかったんだけどなぁ……。


「ありがとうございます。あの、本当に嬉しいです、ずっと大事にします。

 ……ちょっとだけ巻いてみても良いですか?」


 許可を出すのもおかしな話だ。使ってくれる方が嬉しいに決まってんだから。


 身に付けるものはどうだろうと言うアドバイスは雪鳴先輩からだ。一年中使える物の方が良いんじゃないかと諭されたが、俺はこれで良いと思った。

 とりあえず、ほんの少しだけでいい。ほんの少し先の未来を見据えて、俺は彼女と歩いていこうと思う。

 今だけを、足元だけを見つめて立ち尽くすのはもうやめにしよう。

 この冬を二人で乗り越えることができれば、きっとそれは大きな価値のあるものになる気がした。


「フワッフワしてて凄く気持ちいいです。汚さないようにしなくちゃ」


 秋心ちゃんの笑顔はとても眩しい。怒った顔も嫌いじゃない。


「早く寒くならないかなぁ……」


 秋は短い。

 きっとその願いはすぐに叶うだろう。だからこそ、この刹那の季節を愛おしく思う人もいる。なぜ、『うれい』の言葉にこの季節が当てられているのかと不思議に思う。


「それで秋心ちゃん。このあいだの返事なんだけど……」


 ビクッと彼女が跳ねた。小動物みたいな反応するね、君。


「は、ははははい」


 恐々とした表情は一層鮮やかな赤に染まっていた。白いマフラーにその色はよく映えている。


「……一緒にあの噂を解決してほしい」


 そう決意した。

 いや、本当は最初から決まっていたんだ。秋心ちゃんがどんな気持ちであの日告白してくれたのかなんて、考えたって確かめようはないけれど、俺がその言葉で感じた想いは揺るがないのだから。

 その答えを出すのに時間をかけてしまうくらい俺は狡くて、弱くて、格好悪い先輩だけれど、不確かで柔らかいこの時間は秤にかけることが出来ないくらい大きく掛替えのないものだ。

 そんなこと、知っているさ。


「俺は秋心ちゃんを信じる」


 雪鳴先輩に言われたからじゃない。

 秋心ちゃんとなら、あの噂を解決できると心からそう思えるのだから。


「……ありがとうございます。きっと、きっと終わらせましょう」


 優しい微笑みは今まで見たどの表情よりも俺の胸をうつ。彼女が喜んでくれているのだと、おこがましくもそう思えて俺まで嬉しくなった。


「……てっきり告白の方の返事をされるのかと思いました」


 秋心ちゃんは残念そうに笑う。


 でも、まだその返事をするわけにはいかない。


「えーとそのことなんだけど……」


 秋心ちゃんは期待とも恐怖とも取れる眼差しを浮かべる。

 申し訳なくも思う。彼女の気持ちに応えたいと言うのが本音だ。でも、今がその時じゃないのはわかっている。


「……あの噂が終わったら、必ず返事をする」


 まだ固形ではない感情。確信が理解に変わりきらない今は、まだ素直にこの想いを受け入れることは出来ない。


 だから、俺の中にまだ残る件の欠片を全て取り除くことができれば、今度は俺の方から好きだと言おうと固く誓った。

 その時には、ちゃんと秋心ちゃんにその言葉を届けることが出来るのだと信じている。

 まだぼんやりとだけれど、その想いは確かにこの胸の奥にあるのだから。


「じゃあ、決戦の日までひと月ちょっと。

 ……これまで通りの先輩後輩でいられますね」


 見慣れた笑顔はとても澄んでいる。

 この僅かな時間はきっととても大切なものだ。

 それを噛み締める事が、きっと幸せなのだろう。




 この時はまだ、俺は理解していなかった。

 告白の日、秋心ちゃんの放った言葉の意味を考えてなどいなかった。


 今まで通りの二人でいられるのはあとひと月。


 きっと後悔してしまう選択肢を二人して歩んでしまっていることになんて、気付いてはいなかった。



おわり

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