文化祭の噂(解明編)


 適当に校舎を歩く道すがら。

 何度も秋心ちゃんは声をかけられ、その度に立ち止まってお礼を言うもんだからなかなか次に進めない。ミスコン効果って恐ろしいね。誰しもが秋心ちゃんに声をかけるきっかけを作ってしまった。

 決して人当たりが良いわけではない彼女だけれど、手を振り返したりお礼を言ったり、その仕草は俺にはあまり見覚えのないもんだ。

 てっきり無視を決め込んだり、はたまた辛辣な言葉で周囲を威嚇しまくるのかと思ったけど杞憂だったみたい。

 彼女の成長ぶりに涙が出そうだ。


「……何笑ってんですか? 不快です、常に真顔でいてください」


 ただ俺だけには相変わらず厳しい。

 少しは成長しろ。


 だらだらと二人して校内を巡る。別に今日という日が大した特別性も持たないまま。

 文芸部の発行した詩集を斜め読みしたり映画研のくだらない自主制作ビデオを鑑賞したり、体育館で吹奏楽部や軽音楽部の演奏で体を揺らしながら時間は瞬く間に過ぎていく。


「クラス展示は見に行かなくて良いの?」


「はい。あたしたち以外の部活動がどんな風にこの文化祭に参加しているのかを見てみたかったので、部活展示だけで十分ですよ。

 クレープも食べましたし」


 長い様で決して短くはない日の出日の入りも、気が付けば残り少ない。

 間も無く閉校の時間になり、来校者達は姿を消すだろう。しかし、各展示や出店の片付けを簡単に済ませなければならないから生徒達が校門をくぐるのはまだもう少し先の事だ。


 祭りの終わりが心寂うらさびしさを匂わせて、また無責任に言葉を運んだ。


「……来年は俺等もなんかするか?」


「そうですね、そしたら楽しいかもしれません。でも、あたしは今日みたいに出店を回るのも楽しかったですよ」


 体育館を後にしてチャイムを待ちながらそんな話をした。

 おそらく今日最後の買い物になるのであろう、紙コップの温かいココアを二人ですする。出店じゃなくて自販機で買ったものだ。

 気が付くと、もう息が白く濁る季節になっていた……ただ、ココアの湯気が口から漏れているだけなのかもしれない。

 まだ体育館の中や校舎からは賑やかなざわめきが聞こえて心地が良かった。


「火澄先輩、お願い事……聞いてもらえるでしょうか」


 渡り廊下の真ん中で秋心ちゃんは立ち止まり言った。

 人通りの少ないここには俺達二人だけしかいない。遠く聞こえる笑い声からは隔離された世界に俺と秋心ちゃんは立っている。


「うん、聞かせてくれ」


 秋心ちゃんに向き直る。

 闇に紛れて彼女の顔は影に染まっていた。


「……解き明かしたい噂があるんです」


 期待していた言葉ではなかった。

 これまで彼女と過ごした時間の中で、そこにはひとつの疑問が浮かぶ。


「どうしたんだよ? そんなの、お願い事にはカウントしないんだって、今までそうだ言ってたじゃんか。オカルト研究部の活動の一環だからって……」


際界さいかい病院の幽霊の噂を、解決したいんです」


 彼女の言葉は俺のそれを断ち切り、音が世界から姿を消した様な気がした。削り取られた言の葉の綴りを探すこともせず、驚きはまるで自分の出番を待っていたかみたいに当たり前にそこにある。


 胸の奥に滴るは青黒い雫。世界を塗りつぶすほどに、濃紺の色。


「……それがどんな話なのか、知ってて言ってるの?」


「きっと、全ては知らないんでしょうね。ただ、ふざけて言っているわけではありません」


 わかるさ、それくらい。

 秋心ちゃんのことならなんでも知ってるよ。

 誕生日は十一月一日の蠍座、血液型はA型でひとりっ子。ベッドの上のクマのぬいぐるみに毎晩おやすみって言ってから寝てることも、そのぬいぐるみがもう壊れてしまったことも、全部知ってるよ。

 だから知ってるさ、それくらいのことなら。

 秋心ちゃんが面白半分じゃないことくらい。


「……どうして秋心ちゃんがそれを知ってるのかはわからないけど」


 俺の声だけが頭で響く。それは口から伝っているのかもわからない。

 知られたくなかった、あの噂についてだけは。

 それは秋心ちゃんに、と言う感情だろうか。ただ、彼女の口からその言葉を聞きたくなかった。


「理由を聞かせてもらうことは出来る?」


 言葉は確かに秋心ちゃんに届いていた。


「……言わなければわかりませんか?」


 やっぱり秋心ちゃんは卑怯だ。

 俺がなんて答えるかわかっているのにそんな風にうそぶく。ある種の挑発は、お互いの弱さを際立たせる。

 そしてそれに抗う術を俺は知らない。


「わからない」


 俺もまたずるい人間だった。

 毒をもって毒を制すことなんかできない。ただ徒らに世界を汚すだけだと、そんなことわかっている。

 誰も住むことのできない世界を作って、俺はいったいどうすると言うのだろうか。

 世界に誰もいなくなればいいなんて、そんな事は思っていないつもりなのに。


「なら、教えてあげます」


 聞き慣れた台詞だ。

 それでも聞きたくない。

 秋心ちゃんは俺が知らないことをたくさん知っている。それをいつも得意げに教えてくれる。俺が何故それを知らないのかなんてふざけながら罵って、俺は少しだけ申し訳なくて、でも彼女が話す姿はたまらなく愛おしかった。


 それなのに、今は彼女の言葉がたまらなく怖い。


「あたしが火澄先輩のことを好きだからです」


 聞きたくなかった。

 

 あまつさえ、件の噂と並べて眺めるにはあまりに酷な言葉だった。

 知りたくない事実こそ俺の目には際立って映る。いつも嫌なことばかり見つけてしまう。

 人生の楽しみ方を考えることもできずに、これまでそうして生きてきた。


「先輩にもあたしのことを好きになって欲しいからです。

 それが理由ではいけませんか?」


 秋心ちゃんは全てを知っているのだ。そのうえでこんな告白をしているのだ。


 正直な話をしよう。

 俺は彼女の気持ちに気付いていた。

 しばらく前からずっと気付いていた。

 でも気付かないフリをしていた。

 そうしていれば、今までの関係がずっと続くと思っていたから。

 この時間が愛おしいと、どうして思わずにはいられよう。彼女と二人でいる時間を手放したくないと、どうして思えよう。

 それを壊したくないと思う事は、果たして罪なのだろうか。


 どうして、その俺の願いを壊そうとするんだ。


 そんな願いを口にしてしまうんだ。


「そんなこと……簡単に言うんだな」


「簡単に……? 

 ……そんなわけがないじゃないですか」


 声色の低調は覚悟の表れなのかもしれない。でもそれを許容するほどに大人にはなれない俺がいる。


「少しだけ考える時間が欲しい」


 空になった紙コップを握り潰して秋心ちゃんを見つめる。その姿は闇に溶けている。今、ここで霞に消えたいのは俺も同じだ。神様はそれを許さないけれど。


「今すぐに応えを聞くつもりはありません。でも、必ず返事をください」


 声は震えていた。縦に、横に、激しく、静かに。

 自信過剰な秋心ちゃんの姿は今どこにも存在しない。俺が好きな彼女は、どこにも存在していないんだ。


「……あたしは、きっと今日のことを後悔します。

 どうか先輩はそうならない様に祈っています」


 俺達の文化祭は終わりを告げた。



おわり

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