未解決の噂(最終日)
最終日
気が付いたらもう後がない。修学旅行の最終日になってしまっていた。
土日は部室には入れないから、今日中にどんな邪魔が入ってもこの部室をピカピカにしてみせる。あたしの決意は固い。準備も万全だ。家から掃除道具をたくさん持って来たし。
頭に三角巾を巻いて、自前のエプロンを身につけた後、早速作業に入った。
はたきをハタハタかけてみると、思っていたよりもずっと濃い埃が舞った。
最後に掃除をしたのはいつなんだろうか? そもそもこの部屋が何の教室で、いつからオカルト研究部に占有されているのかもわからない。
雑多に机や椅子が押し込められていて、使われなくなったロッカーなんかが詰め込まれた物置代わりの空き教室。
あたしが入学して六ヶ月が過ぎようとしている。つまり、オカルト研究部に入って、火澄先輩と出会ってもう半年も経ったのだ。
あっと言う間だったなぁ。
放課後はほとんど毎日ここに来て先輩と過ごしてる。
先輩はいつも、もっと青春らしいことをしたらと言うけれど、あたしにとっては掛け替えのない時間がここに流れている。こんな時が一生続けばいい、本気でそう願っている。
叶わないとはわかっているけれど。
先輩もそう思ってくれている……のかな?
少しくらいはそんなことを考えていてくれているのだろうか?
……。
ああぁ! やめだやめ! 熱を出した日のことを思い出してしまった! 今でも頭を掻き毟ってしまいたくなるような、顔から火が出るような過去。
消し去りたい過去……別に消さなくてもいいかもしれない過去。
気を取り直そう、頑張れ秋心ちゃん。
先輩がいつも使う古い机は濡れた新品の台拭きを簡単に黒く汚した。椅子も足が悪くなって酷く軋んでいる。机の中には何も入っていない。
あたしの机を綺麗にした後に、雑多に積まれた机にも手を掛けた。先輩のそれよりも幾分か綺麗な物なのだと気付いて、少しだけ心苦しい。
この部室にあるものはどれも傷が多い。教室では使い物にならないと判断されたそれらはとても寂しい。
積み重ねられた机のうちのひとつに『雪鳴』と彫られたものがあった。
きっとゆきちゃんが使っていたものだろう。いくらもう使われることがないとは言え、学校の備品にこんな事をするあたり彼女らしい。
なんとなしに中を覗く。
古い一冊のノートが入っていた。
『〇〇年度、オカルト研究部活動日誌』
面にそう書いてある大学ノート。
少し乱暴で棘のある字だ。
思わず掃除の手を止める。
大掃除の途中で発掘した遺産に目を奪われる事は往々にしてある事だ。もう時間が無いのはわかっているけれど、あたしもそれに習う事にした。先人の教えには逆らえない。別に教わったわけじゃ無いけれど。
ここには、まだあたしの知らない火澄先輩の事が書いてあるに違いない。
謂れなき罪悪感と興味が胸を高鳴らせ、それに逆らえなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『爪の無い人面犬
近隣小学校を中心に噂となっている爪の無い人面犬の噂について調査を行う。
西中学校前の公園付近にて噂の人面犬に遭遇、同時に逃走をはかる。追跡を開始したところ、爪が無いためか曲がり角にて目標転倒。頭部に蹴りを入れたところ、目標は叫び声をあげ更なる逃走。目標を見失う。
以降、現在に至るまで目撃情報無し。
怪異解決したものと判断する。』
夏合宿でゆきちゃんが話していた怪談だ。
一番最初に書き記してあるこの事件はきっと思い入れがあったのだろう。
続けていくつもの調査報告が綴られている。無機質な言葉遣いで頭から順にそれを眺めた。
ゆきちゃん、流石だなぁ。火澄先輩の言っていた通り、彼女はどんな怪奇現象でも解決してしまうのだろう、どれもが『解決済み』の赤い文字で飾られている。
火澄先輩はあたしとの二人での活動をこうやって記録を残したりしているのだろうか?
適当な性格だから、望みは薄いなぁ。
今からでもあたしがつけようかな? この部活動で過ごした時間を少しでも形にできるのなら、それは惜しむ労力では無いはずだ。
ちらりと窓際の写真立てを除いてまたノートに視線を移した。
崖の上のワニの噂、消えたはずの駅長の噂、餓鬼の群れの噂……前年も二人でたくさんのオカルトを解決してきたんだ。
この口裂け女の噂なんて、火澄先輩頑張って闘ってるしなんだか笑えてしまう。
頼りないくせにここ一番で格好付けるところは変わっていないなぁ。
あたし達も同じくらいオカルトに触れて来た。それは堪らなく嬉しいこと。
とめどなく指を運びページをめくる。結局は今日も掃除なんてできなかったな。
陽の沈みが早まった茜色の空は遠く燃える火で遥か澄んでいる。静寂が心地よいと、最近では珍しくそう思った。
とあるページで手が止まった。
ここだけ、『解決済み』の赤文字が無い。タイトルは――
『淡笹薫の幽霊の噂』
ルビが振って無い。なんて読むのだろう……疑問を抱いたままその概要に目を落とす。
『
火澄先輩から幽霊について調査の提案? わけもわからず胸が騒つく。
この半年で培った確かな違和感を覚えた。
『対象は病院の中庭に一二月〇日にだけ現れる少女の幽霊である。
幽霊の正体は淡笹 薫と言う少女である模様。享年十四歳。亡くなるまで同病院に入院。上記日付の翌日が命日である。
淡笹 薫は――』
手が震えた。息も出来なくなった。
さっきまで深く吸い込んでいた静寂が恐怖にも似た不安へと様変わりしているのがわかった。
『淡笹 薫は、火澄の小学校からの幼馴染であり、初恋の人である旨、火澄本人から聴取。』
無機質な文字の羅列があまりに淡々と事実を連ねる。
知りたくない。
『なお、火澄は彼女に対し強い執着心を示し、普段見られない風に取り乱す場面があった。
二人の関係性をこれ以上追求することは出来ないものと判断する。』
知りたくない。
知りたくない。
知りたくない。
渇望していたはずのものを今度は拒絶している。
嫌だ、知りたくない。
火澄先輩の恋心なんて、胸を焦がす思いなんて、あの人の心を支配する人のことなんて。
一度、大きく後悔したはずだ。火澄先輩の心を深く傷付けたはずだ。
もう二度と同じ轍を踏むまいと誓ったはずだ。
『思うに、件の幽霊は火澄に強い呪いをかけている。幽霊は火澄を縛り、人との触れ合いから隔絶せしめんとしている。
つまるところ、この呪いによって火澄は人を好きになることはできない。加えて、人から好かれることを認めない。』
それは絶望的な言葉だった。
少なくとも、あたしにとっては涙をこらえるだけの悲しみを持つ言葉だった。
あたしが抱える不確かで朧な想いを全て否定する言葉だった。
『彼のためを思うのであれば、今すぐにでも解決すべき由々しき問題ではあるが、後述を理由として今回の件については調査を打ち切ることとしたい。』
……解決できていない。
ゆきちゃんなら、どんな怪現象も解き明かす事ができるはずなのに。
それなのにまだ続いている。
一緒に過ごした今までも、今この瞬間だってその呪いはずっと続いている。
未だ、火澄先輩の心にはその人が――
『解決を私は望まない、いや、私には解決は困難であると言い換えようか。この噂に関しては、現状のオカルト研究部による解決は出来ないものと判断したからだ。
その理由としては――』
声が詰まる。
何故涙が溢れるのか。
どうしてこんなにも悲しいのか
。
苦しんでいるのは、あたしなんかじゃなくて火澄先輩の方だったんだ。
どうして笑ってられるんだ。どうしてあたしに笑いかけてくれるんだ。
どうして、優しくしてくれるんだ。
本当は悲しいくせに、辛いくせに、泣き出したいくせに。
あたしに向けられた表情は本物でも、特別なものでもなかったんだ。
本当の特別はもう手の届かないところにあって、あたしが避けていたあの愁いを帯びた目元こそがそれだったんだ。
火澄先輩があんな顔をするのは、決まってこの初恋の人を思い出す時なんだ。
ずるい、ずるい、ずるい。
そんなの、敵うわけないじゃないか。
また日誌に視線を落とす。
最後の言葉をもう一度、二度、何度だって繰り返し追った。
……泣いている暇なんかないんだ。
細切れの吐息はひとつひとつ紙上に溢れた。それを拾い集めるように大きく息を吸い、ノートを閉じる。
最後の一文だけ、しっかりと目に焼き付けて。
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