未解決の噂(三、四日目)


三日目


 よし、今日こそ掃除だ。

 一晩考えてみたけれど、火澄先輩と木霊木さんに進展があるわけがない。様々な思考過程を経てそう結論付けた。

 先輩も昨日の夜はちゃんと返信をくれたし、その様子からしてあたしの予想も当たってるみたいだし。

 ちゃんと『木霊木さんにうつつを抜かしている暇があったらオカルト調査でもしておいてください』って釘も刺したし大丈夫だろう。そのメールだけ些か返信が遅れたのは気掛かりではあるけれど。


 修学旅行も三日目、今日で折り返し。

 あと少しの間先輩に釘を刺し続けないと。少しでも色恋に憂き身をやつすようなことがあれば……どうしてくれようか。

 帰ってくる頃には先輩は釘だらけの穴だらけだ。


 誰だろう? ノックの音が聞こえた。

 また後前さんだろうか……しかし力強く鳴った音の印象は彼女のものとは違う気がする。


「どうぞ」


「あ、あの秋心さんいますか?」


 見知らぬ男子生徒だった。おそらくは同学年。

 秋心さんさんは、と言うか今はあたししかいない。


「あたしが秋心だけど」


「え、えっと俺隣のクラスの坂本って言うんだけど……知らないよね?」


 残念ながら存じ上げない。

 人の名前や顔を覚えるのは苦手だ。


「あたしに何か用? オカルト研究部は今お休みだから、何かあるなら来週まで待ってもらうことになるの」


「いや、秋心さんに用事……用事っていうか……」


 既視感。

 今まで何度経験したことのある光景だろう。

 呼吸を殺してその続きを待った。次に彼が口にする言葉は知っている。


「秋心さん、好きです! 俺と付き合ってください!」


 ストレートな言い回し……嫌いじゃない。回りくどく詰め寄ってくるよりも幾分か好感は持てる。

 しかし返答は決まっている。いつもいつもこの言葉を吐くのは嫌になる。

 それでもあたしだって言われた回数だけ同じ言葉を返してきたんだから、台詞はいつの間にかスムーズに喉を滑る様になっていた。

 そんな自分はあまり好きではないけれど。


「ごめんなさい、気持ちは嬉しいけれど応えることは出来ないわ」


 その一言で皆一様に肩を落とす。喜んだ者はいない。

 当たり前だけれど。


「……そっか、ごめんありがとう」


 糸が切れた人形の様。同時に緊張の糸も解れてしまったようだ。先程までの強張った表情はある種の安堵に満ちている。


「でも、面と向かって気持ちを伝えてくれたことは嬉しかった。それができる勇気を本当に尊敬するわ。

 あたしはあなたの気持ちに応えることは出来ないけれど、次に好きになった人にも同じようにしてあげて欲しい」


 今まで何度もこの光景を見てきた。

 今まで何度もこの言葉で人を傷付けてきた。

 だからだろうか、自分から愛を打ち明けた事は無いけれど、あたしはその痛みをそれなりにわかっているつもりでいる。

 だからこそ、あたしはその表情をするのが堪らなく怖い。


 だからこそ、だからこそ……。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


四日目


 そろそろ掃除に取り掛からなければ不味い。あたしの完璧な作戦が崩れてしまう。

 火澄先輩の喜ぶ顔が見れなくなってしまう。

 腰は軽いはずなのに、なかなか取り掛かる事ができないから部室は相変わらず汚れたまま。


 スカートのポケットで携帯電話が震えていた。

 どうして邪魔ばかり入るのだろうか。このまま無視してしまっても良い。どうせくだらない用事に違いない……でも、一応相手だけは確認しておこう。


 ……火澄先輩からだ。


「はい、もしもし秋心です! 何ですか先輩、まさかこの秋心ちゃんの声が恋しくなったとでもいうんですか? まったく、たったの何日かも我慢できないなんて情けない先輩を持ってあたしは悲しいですよ。明日にはこちらに帰ってくるんでしょう? どうしても週明けまで待てないっていうのなら、土日にでもあたしは全然――」


『あっ……あきうっらちゃ……う……ぽくぽぴ……』


 ぽ、ぽくぽぴ……?

 なにそれ? この数日で京都弁を話すようになってしまったんですか? でも全然趣が無いし、多分京都弁と違う……。


『あぁ! もう邪魔だお前ら! あ、ごめん秋心ちゃん、あの別に大した用事は……』


 思わず電話から耳を離してしまう。あまりに後ろが騒々しすぎる。


『火澄てめぇ! 木霊木さんだけじゃ飽き足らず秋心さんにまで……』


『そうだぞお前には木霊木さんがいるんだから秋心さんは俺たちに……』


『バカ言ってんじゃねぇよ! 木霊木さんだって俺たちのもんだろうが!』


『秋心さんを渡すくらいなら木霊木さんなんかくれてやらぁ!』


『おい戦争だ戦争! 今言ったやつどたまかち割ってやる!』


『おいやめろお前達! 火澄が困ってるだろう! 火澄は誰のものでもない、取り合うな! 火澄はみんなの火澄だ! 何なら俺の火澄だ! なぁ火澄!』


『そんな話してねぇだろ! いるかこんなもん!』


 何だか騒がしいことになっているみたいだ。向こう側に誰が何人いるのかはわからないけれど、なかなかの修羅場らしい。でも、最後らへんに聞こえたのは多分太刀洗たちあらいさんだ。また変なことを言っているな。面白い人だ。

 どうやらあたしのことで何か揉めているらしい。よくわからないけれど良い気味だ、木霊木さんの名前が出てくるあたり釈然としないけれど……。


 怒声に掻き消されそうな声が一巡してまた聞こえてきた。


『あの、もしもし秋心ちゃん? ごめん、ほんと何でもないから……』


「……火澄先輩、お久しぶりです。お元気でしたか?」


『え? あぁ、元気だけど……?』


 それなら良かった。


「そうですか。では残り少ない束の間の時間を楽しんできてくださいね。帰って来たらまた、たくさん楽しいことをしましょう」


『おい火澄! 秋心さんとなに話してんだ……』


 通話終了ボタンを押す。

 嘘のように部室は静かだ。


 火澄先輩にも、あんな風に騒げる友達がいたんだな。


 あたしはオカルト研究部での先輩しか知らない。

 あの人が教室で授業中、休み時間、家ではどんな風に振舞っているのかなんてわからない。

 きっとあたしが知らない火澄先輩がいる。友達や家族やゆきちゃんや木霊木さんにだって、それぞれ違った顔を見せているんだ。それは、とても当たり前のこと。


 あたしが知っている火澄先輩を見ているのはあたしだけなんだ。


 どの火澄先輩が本物なんだろう?

 あたしに向けられている表情は、先輩のどんな表情なんだろう?

 他の人とはどう違うんだろう?

 それが本物であって欲しいなんて言わない。

 ただ、特別なものであって欲しい。


 あたしにだけそうさせているのは、とてもずるい。

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