火澄伝説の噂

火澄伝説の噂(提起編)


火澄ひずみ先輩、さっきから何をニヤニヤしてるんですか、気持ち悪い。

 ちょっと理科準備室から酸性の強い液体でも持ってきましょうか?」


 それをどうする気だ秋心あきうらちゃん。どうせ顔面にぶっかけるとか言うんだろ。

 絶対そっちのが気持ち悪いことになるぞ。


「それを一気に飲み干してください」


「内側から破壊する気かよ!」


 一味違った。


「やっぱり酸っぱいんですかね?」


「……味はどうでもよく無いか?」


 炭酸どころじゃないからな。喉焼けちゃうよ、冗談抜きで。感想どころじゃ無い。


「で、そのだらしない緩みきった表情はなんなんですか? ついに諦めたんですか? 人生を」


 それならもっと絶望に満ちた顔してるよ。

 君の言い方は悪いけど、言うなれば笑顔だったわけだろ? それならなにかポジティブな理由を先に提案してくれないと困る。


「実はな……見よ、これを!」


「……殺害予告ですか?」


 俺が高々と掲げた封筒を見つめて秋心ちゃんは怪訝そうに顔をしかめた。


「おい、この可愛らしいパステルブルーを見てよくそんなことが言えたな。ラブレターだよ、ラブレター!」


 今日ここに私こと火澄先輩は勝利を宣言いたします! 俺にもついに春が訪れたのだ。すでに季節は赤い秋に突入してるけどね。

 でも恋に季節とか関係ないし。むしろこんなうら寂しい季節に付き合い始めたカップルを尊敬すらする。そして、俺も今日その畏敬の念を向けられる立場に咲き誇るのだ!

 しかし、秋心ちゃんは若干涙目になりながら哀れむように言った。


「ひ、火澄先輩……! いくらモテないからって自分宛にそんな手紙書くことないじゃないですか!

 言ってくれればあたしが書いてあげたのに……お金はいただきますけど……」


 そんな愛の無いラブレターは嫌だ。ただのレター……いや、領収書だろそれ。


「……この商売、儲かるかも」


 そして何か閃いてる秋心ちゃん。

 もうわかった、君に愛を語るのは無理だよ。諦めなよ。


「なんにせよ、俺が手紙をもらったのは事実だろ」


「えぇー……正直、信じられませんが。中見てもいいですか?」


「どうぞどうぞ。穴が開くまで読んでいいよ」


 俺はもう何度も読み返したからな。空で暗唱できるほどに。

 小さく可愛らしい便箋を取り出しながら秋心ちゃんは怒りにも似た眼差しを俺に投げた。


「って言うか貰ったラブレターをあたしに見せてしまうなんて、火澄先輩の神経を疑いますけどね」


 い、言われてみれば確かに……。

 でも今更やっぱ返してとは言い辛い。秋心ちゃんは既に内容の目視に取り掛かっている。

 いやいや、いつも秋心ちゃん俺に同じことしてくるし。喧嘩両成敗だ。成敗ザムライさーん! ここです! どうか両成敗してー! 出来ればこの子から先に斬って下さーい!


「『今日の放課後、五時半に体育館裏に来てください』……短っ! 本当にこれ、ラブレターなんですか?」


「まごうことないだろ!」


「『好き』も『付き合ってください』も何も書いてないじゃないですか。どうせ不良からの呼び出しですよ。結局はリンチされるんでしょ?」


 此の期に及んで秋心ちゃんはいちゃもんをつけ始めた。いや、最初からか。

 どうやら俺が他人に好意を向けられていることが悔しくてたまらないらしい。ははは、吠えろ吠えろ。何を言われても今の俺には効かんぞ!


「何をおっしゃるやら、どう見ても女の子の字だろ? 女の子はリンチしない」


「あたしがリンチに混じるので、その理屈はおかしいです」


 いや、秋心ちゃんの思考の方がおかしいし、なにより恐ろしい。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 そんなこんなで約束の場所へ。


 影からこそこそ覗く秋心ちゃんの姿が気になるけど、ダメだって言ってんのに着いて来ちゃうから仕方ない。絶対に邪魔しないようにと釘を刺したけど、この後輩ちゃんはスポンスポンその釘を抜いちゃうから困る。

 何はともあれ、ドギマギしながら待っていると見覚えのある顔が現れた。

 緊張の一瞬……。


「火澄! 来てくれたのか火澄!」


 同じクラスの太刀洗たちあらいだった。

 俺は言葉を失い、驚愕に顔をしかめることしか出来ない。


 理由は簡単だ。奴は男だからの一言に尽きる。


 顔立ちは整っているし、高身長でスポーツ万能ときたもんだから女にはモテる。その誠実な性格から男子からの信頼も厚い。絵に描いたような好青年だ。

 しかし、太刀洗は俺が苦手とする男だった。なぜかと言うと、なんか変だから。


「あ、えーと……一応聞くけど、なんでお前がここにいんの?」


「何ってお前火澄! 火澄こそ手紙を読んできてくれたんだろう、違うか火澄!」


 絶望が確定した瞬間だった。

 秋心ちゃんが腹を抱えて笑っているのが見えた。


「……って事は、この手紙は太刀洗が?」


「他に誰がいるって言うんだ火澄! 俺だ! 俺だぞ火澄!」


 お前、こんな可愛らしい字を書くのか……。

 ぶん殴ってやろうかと思った。ここまで明確な怒りを覚えたのも久し振りである。


「ところで火澄! あそこで笑い転げている女の子は知り合いか、火澄!」


 茫然自失しつつ、指さされた先を見つめる。秋心ちゃんは顔を真っ赤にし、苦しそうに口元を押さえている。


「まさか、噂になっている彼女なのか!? どうなんだ火澄!」


「……安心しろ、その噂は嘘だよ。おーい、もういいからこっちおいで」


 良く考えたら何を安心すると言うのだろう。

 なんかもう色々どうでも良くなって秋心ちゃんに手招きした。

 笑いたければ俺の目の前で笑えばいいさ……。


「はぁ、はぁ……くっくくく! あはははは! す、すみません火、火澄先輩……で、でも我慢でき……あはははは!」


 遠慮というものを知らんのか、日本人として認定してやらんぞ。


「い、いやぁ、素晴らしい愛の手紙ですね……あはははは!」


 あれ……雨? 空はこんなに晴れていると言うのに……。


「おい火澄! 説明しろ! この女の子は誰だ!」


「えっと……部活の後輩の秋心ちゃん。秋心ちゃん、こっちは同じクラスの太刀洗」


「なるほど、彼女が秋心さんか! 知っているぞ! バレー部のみんなこの子のファンクラブに入っているからな……か、勘違いするなよ、火澄! 俺は入っていないぞ!」


 なんの勘違いをしようってんだ。


「元気がないぞ火澄! どうした火澄!」


 そんでさっきからその俺の名前を連呼するのをやめろ。語尾みたいになってるぞ。


「はぁ……やっと落ち着いて来ました。

 やっぱり、先輩が女の子にモテるわけないですもんね、心配して損しましたよ」


 何を心配すると言うんだ。こんな最悪なオチもないだろう。

 これ以上疑問符を持たせんな。


「何を言っているんだ、秋心さん! 火澄はモテるんだぞ! こいつほど男の中の男はいない! 俺達の間では尊敬と憧れの的なんだ! なぁ火澄!」


 お前にモテてどうすんだ、俺が知るか。


「へぇ、それも意外ですし初耳です。どうしてそんなことになってるんですか?」


「なに!? 君は火澄の後輩だと言うのにかの有名な『火澄伝説』を知らないのか!?

 よし、俺が教えてやる! 刮目して聞け!」


 刮目させるなら見せろ、言って聞かせるなら、用いる慣用句は耳の穴をかっぽじって……とかだろ。


「おいやめろ太刀洗、変な事教えんな」


「聞きたいです聞きたいです! 太刀洗さん、是非教えてください!」


 困惑しながら太刀洗は秋心ちゃんに言う。


「し、しかし秋心さん。火澄が嫌がっている……。

 そうだ! 火澄! 来週の修学旅行、俺と一緒の班になるなら黙っておくぞ火澄!」


 なに交換条件出して来てんだてめぇ……。


「まぁ、そんくらいなら……」


「や、やった! やったぞ!

 ようし、俺と火澄は同じ部屋で寝るんだ! 朝まで火澄と男について語り合うぞ! 布団も一緒だ!」


「あ、やっぱり絶対嫌だ」


 身の危険を感じるから。


「な、なにぃ!? ならば俺は彼女に『火澄伝説』について語らねばなるまい! 約束したからには、男としてそれを反故にすることはできない!」


 いつした、その約束。


「あれは、去年の山岳合宿のことだ……」


 俺が止める間も無く太刀洗は語り出した。

 あぁ、もう好きにして……。

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