陳腐な恋のおまじないの噂(後日談)

 白い壁は光を放ち、外の世界よりも病室を明るく照らしている。


「火澄先輩、喉乾いたのでコーヒー牛乳買ってきてください。あ、パックのやつですよ。それ以外あたし、今日は体質的に飲めません」


 それ売店にないやつじゃん。コンビニまで行かないといけないやつじゃん。

 て言うかどんな体質だよ。日替わりで体質を変えるな、定食みたいな身体しやがって。


「はい! 先輩ダッシュ!」


 二、三日もすれば秋心ちゃんの熱も下がってご覧の通りいつもの様相である。

 病院のベッドの上でこんなに元気なのは、逆に見ていて気持ちが良いくらいだ。

 今週中に退院する予定になっているからか、秋心ちゃんの人使いはいつも以上に荒い。ここぞとばかりに使いっ走りを要求してくる。

 売店や自販機とこの病室を何往復したことだろうか。かぐや姫にでもなったつもりなんだろうな。

 月に帰らず地球に居座り続けるあたり、よっぽどたちが悪いが。


「これミルクコーヒーじゃないですか! あたしが飲みたいのはコーヒー牛乳ですよ! 買い直してきてください!」


 元気が良いのも考えものだった。

 どこが違うってんだ。レバニラとニラレバくらい同じだろ。


「まったく注文が多いよ。

 秋心ちゃん、俺がいなかったら死んでたかもしれないんだぜ? 少しは労ってくれ」


 なんて嫌味の一つも言いたくなることをどうか許してほしい。……馬鹿な俺のせいで死の間際まで追いやったとも言えるけれど。

 秋心ちゃんは額に影を落としながら言った。


「……それはそれで良かったかもしれません」


 窓の外には秋風が吹いている。それに合わせて窓ガラスがカタカタと震えた。

 これを機に……と言うわけではないけれど、俺は長袖に衣替えをした。

 蝉の声が聴き取り難くなった今日この頃、風も太陽を遮る様になっていたからだ。季節は確実に移り変わっており、俺たちはそれに逆らうことはできない。

 秋心ちゃんのパジャマも真新しい冬仕様のもので、可愛らしい猫の模様は微笑ましい。でもそれを褒めたら引っ掻かれたので二度と触れるつもりはない。

 何を言っても怒られるんだね、俺。


「あたし、あのまま死んでても後悔してませんよ」


「秋心ちゃん……」


 愁いを帯びた表情は何処までも澄んでいる。その感情とは裏腹に、限りなく純粋な色が漂った。

 しばらくの沈黙の後、秋心ちゃんは肩をわなわなと震わせ始めた。


 まずい、発作だ。


「あ、あんな恥を晒してまで生きていても……ああぁ、やっぱダメです! あたし今ここで死にます!」


 もう何回も聞いた言葉だ。

 窓のサッシに手をかけて秋心ちゃんは空に羽ばたこうとした。

 でも、この子は空とか全然飛べないのでそれを制する事にする。飛んでいるのは頭だけである。


「だ、ダメだって秋心ちゃん! ここ七階だから!」


「止めないでください! 死なせてください! もう部室にもお嫁にも行けません!」


 いやまぁ、そりゃそうだろうけど。

 流石にあんなダダ甘な姿を晒しては、死にたくなってもしょうがない。毎夜毎夜枕に顔を埋めてジタバタしている秋心ちゃんが目に浮かぶよ。

 いっそのこと記憶とかなくなってればまだ救いがあったかもしれないけれど、そうはならず秋心ちゃんには上のような後遺症が残った。

 気持ちはわかるけれどこの突発的な行動を止めないわけにはいかないので、お見舞いに来る度こうやって二人周囲の迷惑を省みず騒いでいる。

 せっかく助けたのに死なれたら困る。

 あと、部室には来よう。お嫁は……おいおい考えるとして。


「もう本当に嫌! 火澄先輩、あれ、本気じゃないですからね!? 熱のせいでわけわかんないこと口走ってただけですから! まったく本心は無いですから……って言うか忘れてください! あたし、あんなんじゃないです!」


「だからわかってるって。秋心ちゃんがあんな事思いっこないって、俺はちゃんとわかってるよ」


 これも何度も聞いた台詞だし、口にした返事だ。なんなら念書も取らされた。

『忘れなければ、あたしと一緒に死ぬこと』と言う取り決めである為、至急記憶の忘却にかからなければなるまい。

 とんだとばっちりではある。

 ちなみに公序良俗に反する契約は、法律的には無効だって知ってた? まぁ、法律よりも強い制約があるんだけどね、この約束には。


「はぁ……最悪です。……本当にすみませんでした。もぉ、なんであんなことなっちゃったんだろ……」


「いや、ほんと気にしてないから。ちゃんと忘れるし。

 それよりも季節の変わり目だから、体調管理はしっかりしないとダメだぞ? また熱がぶり返したりしたら大変だ」


 俺のお説教にも多少素直に頷いてくれるあたり、まぁ悪いことばかりではないのかもしれない。再発して同じことが起きたら、今度こそ秋心ちゃんは耐えられないだろう。


「気にされないのはされないでなんだか癪ですけど……でも、今生きていられるのは先輩のおかげです。ありがとうございます」


 これまた繰り返し聞いた言葉。

 嬉しくないと言えば嘘になるから、素直に言葉は受け取っておく。


「……火澄先輩は、あたしがもし死んじゃったらどうしますか?」


 彼女が空を眺めながら言う。俺はそれを目にする事はない。

 窓の外に何があるのかは、ベッドに横たわった秋心ちゃんだけが知ることができるのだから。

 病室を訪れた者は、ただその相手だけを見つめなければいけない。


 いつ、彼女を失うのかわからないのだから片時も目を逸らすことは許されない。


「秋心ちゃんが思ってるよりも、ずっと悲しむだろうね」


 だからそう答えるにとどめた。

 秋心ちゃんの小指のマニキュアに気付かないふりをして。



おわり

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