陳腐な恋のおまじないの噂(解明編)
「火澄せんぱいも、あたしに会いたかったですか?」
かつてここまで混乱したことがあったかな……。
秋心ちゃんがどんな後輩なのかなんて、今更説明する必要もないだろうし、するつもりもない。
でもまず間違いなく言えるのは、秋心ちゃんは絶対にこんな事を言わないし、こんな事をするわけないってことだ。
これは何かの間違いか若しくはオカルト研究部に対する幽霊や宇宙人、その他何かしらからの攻撃かもしれないな。
もしもそうなら作戦大成功である。火澄先輩、お手上げです。成す術無し。
それでも人間ってのは不思議なもので、ヤバイ状況だとわかっていながら、恐怖のせいか逃げ出すことも抵抗することもできずにいる。
「どうなんですか?」
「え? あ、あぁ、うん。会いたかった」
「だめ! 超会いたかったって言ってくんなきゃいやです!」
怒気にもいつもみたいな殺気がこもっていない。彼氏に甘える女の子みたいに頬を膨らませて言う。
調子が狂うなぁ……。
「ち、超会いたかった……です」
「んふふ、あたしも。気が合いますね」
この様にべったり寄り添われて尋問を受けている状況。
マジでなんなのこれ、誰か説明して。
あ、もしかしてドッキリ? どっかにカメラあんだろ! 出せよ! そこか!? そのロッカーの中か!?
「ふたりっきりでこうやってらぶらぶするのって、初めてですよね?」
「ら、ラブラブ?」
死語だろ。こんなこと何回もして堪るか。
今日まで、そしてこれからも。
「じゃあ、あたしの好きなところみっつ!」
「えぇぇ!? 好きなところ!? みっつも!?」
「はやく言わないと……こちょこちょしますよ!」
『こちょこちょ』……秋心ちゃんに似合わない擬態語の上位に位置する。
ちなみに似合う上位は『グサグサ』とか『ズタズタ』とか『けちょんけちょん』とかだ。最後のは擬態語になるんだっけ?
「え、えぇと……可愛い、優しい、家庭的!」
なんかとりあえず女の子が喜びそうな事をあげつらっただけのぞんざいな一品になってしまった。ハンバーグカレーみたいな。
いつもなら絶対『つまらん』とか怒られるやつだ。
「も、もう……せんぱいったら……ありがとうございます、うれしいです……」
あ、今ので良かったのか。
でも、罪悪感ハンパないぞこれ。もっとちゃんと考えとけば良かった。
「じゃあ、あたしの番ですね!」
ターン制バトルなの!?
ま、まさか俺の好きなところを激白するつもりじゃ……は、恥ずかしい!
「あたしの、先輩の好きなところは……わかんなーい!」
わからんのかい。しかもみっつじゃないんかい。
なんか裏切られた感が凄い。
「わかんないから、ぎゅぅー!」
そんでいちいち抱きついてくんな、頬擦りすんな、上目で見んな、はにかむな。
やっぱりこのテンションには着いて行けない、身が持たない。
何がどうなって、秋心ちゃんに好き好きラブラブ言われないかんのだろう。
ここ、反転世界?
こんな場面を誰かに見られようものならおしまいだ。構内で不純異性交遊だとか言われても言い逃れ出来ない。
「あたし、せんぱいのこと大好きなんですよ? ほんとは気づいてるんでしょ?」
いや君、昨日俺のこと殺そうとしてたよ?
見て見て、あのツルハシ……すっごい尖ってるよね? あれで頭ブン殴ろうとしてたんだよ?
好きな人って殺すもんなの? 俺、恋愛経験ないからよくわかんないんだけど、確かカマキリとかってそんなんだった気がする。
え、秋心ちゃんってカマキリだったの!?
……そんなわけない。
つまるところ気付くもクソも、秋心ちゃんが俺の事を好きだって言う要素を見せたことがないから気が付かなくて仕方ない。
怒られる謂れがない。
「ねぇ秋心ちゃん、本当にどうした? なんか嫌なことでもあったか?」
「嫌なこと? そんなのいっぱいありますよ!
せんぱいあたしの気持ちにぜんぜんこたえてくれないし、こだまぎさんとばっかり仲よくするし……ほんとに殺しちゃいたいんですから!
……殺しちゃえば、せんぱいはあたしだけのものになるでしょ?」
あ、今のサイコなところちょっとだけいつもの秋心ちゃんっぽい! もう一回言ってくれ!
……気をしっかり持て、火澄先輩。
そんな葛藤をよそに、秋心ちゃんはまた子供のような言い草で漏らす。
「あの、せんぱい。あたしいっつも不安なんです。だからせんぱいのこと、嫌いになりたいんです。
しんじゃえって言ったらせんぱい怒るじゃないですか?
それがすごく嬉しいんです」
おぉ! 少しずつだけどいつもの秋心ちゃんみたいな人道に外れた事言いだした! もう少しだ、頑張れ! もっと俺を罵ってくれ! 口汚く! 苛烈に辛辣に! 人格を否定するような言葉を投げかけてくれ!
変態か俺は!!
「だって、わからないから。せんぱいの気持ちとか考えたら、怖いんです。
嫌いにならないと、痛いんです。
ここらへんが、しめつけられるんです。
だから、いっつもいじのわるいことを言っちゃうんです」
なるほど、いつもの罵倒は愛情の裏返しだったわけか……。
なーんて、俺は素直だからそう言う駆け引きは出来ません。多分、秋心ちゃんも同じだ。だから納得もできません。
そもそも、秋心ちゃんが誰かを好きになるなんて想像できない。
その相手が俺なんてなおさらだ。
「……あたし、どうしたら良いんですか?」
ええと……どうしたら良いんでしょうね? 俺が聞きたいよ。
しかし潤んだ瞳でじっと見つめられると何も言い返せなくなる。今、秋心ちゃんはいつもの生意気で可愛げな後輩ではなく、単純に可愛くて甘えん坊な女の子なのだから。
だから、そんな主張あるわけないと逃げる事はとても卑怯なんじゃないかと思えた。
本当に不安そうな表情に息がつまる。
普段はポーカーフェイスを気取っている(実現出来ているかは別として)あの秋心ちゃんが、こんな泣きそうな顔で俺を見上げているなんて、違和感以外の何物でもない。
「せんぱいは、あたしのことをどう思ってますか……?」
あくまで、もし仮にの話をしよう。
何故こんな事になっているのかは全くわからないけれど、もしかしたらこれが秋心ちゃんの本当の気持ちで、何かが――件の陳腐なマニキュアのおまじないでも良い――きっかけとなってそれを晒しているのだとしよう。
ならば、もしそうならば。
もしも秋心ちゃんが言うように、彼女が本当に俺の事を好きなのだとしたら。
もしも秋心ちゃんがいつも苦しんでいたのだとしたら。
もしも秋心ちゃんは今も苦しみ続けているのだとしたら。
俺は、秋心ちゃんになんて言ってやればいいんだ?
答えはすぐに本人が教えてくれた。
「……おねがいせんぱい、あたしのこと、好きっていって」
言葉に詰まる。
そんなこと、思ったこと……。
秋心ちゃんが俺のことを好きだなんて、考えたことがあっただろうか? いつもいつも死ねだとか殺すだとか言い放つ秋心ちゃん。
格好良いところなんかひとつもなく、不甲斐ない姿を晒す俺を秋心ちゃんが好きになるなんて考えられるか?
もっと言えば、そもそも論を始めれば、俺なんかを好きになるやつ、いるわけがない。
「一番大事だっていって」
そして、その逆はどうなんだ?
俺は秋心ちゃんの事が好きなのか? 恋愛感情を抱いているのか?
「ちゃんと抱きしめて……」
はっきり言おう、自覚は無いと。
ただの後輩だ……と言うのは割り切り過ぎだとしても、秋心ちゃんが俺にとって特別な存在だとは胸を張って言えるけれど、それの具体性をまじまじと考えたことはなかった。
でも、いつもいつも一方的な口虐を受けて、わがままに振り回されて、それでも彼女と一緒にいる理由はなんだ?
それが好意じゃないと言い切れるのか?
俺はもう、人を好きになってもいいのか?
「あたしは、火澄せんぱいが……」
秋心ちゃんの細い手が俺の頬に添えられる。
その瞬間、彼女の小さな手のひらから伝わるものに俺は、やっと気付いた。
自らの愚かさを嘆く。秋心ちゃんのこと、なんでも知ってるつもりになっていた。でも、こんな簡単なことすら見落としてしまっていた。
……気付くのが些か遅すぎた。
だから、今すぐ行動に移さなければならない。
「秋心ちゃん」
その手を握り返す。
秋心ちゃんは驚いたように息を漏らした。
「……はい」
秋心ちゃんの声は今にも消え入りそうなほど心許ない。
俺は彼女の小さな体を、なるべく優しく抱き寄せる。
想いは確証に変わった。
やっとわかった。
あまりの鈍さに腹が立つが、今すべきことは自戒ではない。
秋心ちゃんを強く抱きしめた。
「保健室行くぞ」
その細い体を抱きかかえて部室を飛び出す。
借り物競走の時と同じだ。秋心ちゃんが軽くて助かった。下手くそなお姫様抱っこは、明日の筋肉痛で清算することにする。
何故気付かなかったんだ。
彼女の手は焼いた鉄のように熱かった。とても普通じゃなかったんだ。
気怠そうな表情、乱れた息、虚ろな目、真っ赤に染まったその頬、あまりに異常なその言動。
体調不良に気付く要素は溢れていたじゃないか。様子がおかしいと思ったなら、まずはそれを疑うべきだった。
どうして触れるまで気が付かなかったんだ。
なにが『秋心ちゃんが俺の事を好きかも』だ。
浮かれるな、調子に乗るな、何様だ。
いくらおべんちゃらを並べたって、言い訳したって結局はお前は火澄先輩なんだ。
この後輩の為に何ができるかを考えろ。
まずは、この子の幸せを祈れ。
少しだけ嬉しかったなんて自分勝手な気持ちは、心の隅っこにでも放り投げておけ。
秋心ちゃんはその日のうちに緊急入院した。
後に聞く話だけれど、もう少し遅れていたら命の危険まであったらしい。秋心ちゃんはよほど辛かったのか、救急車が到着する頃には深く眠ってしまっていた。
担任の着きそう救急車を見送ってすぐ、秋心ちゃんと出会ってから今日までで一番大きな溜息が出た。
安堵が肺を満たして、その空気の冷たさに本格的な夏の終わりを感じつつも、ごく僅かな時間でも秋心ちゃんへの俺の想いがなんなのか、真剣に考えてしまったことが堪らなく恥ずかしくなって頭を掻き毟った。
だけど、もう一度だけ言おう。
その戒めの為……と言うと格好付けすぎなのだろうけれども。
たとえ今日の出来事が嘘であって、夢と同じ様なただの辻褄合わせのものだったとしても……
秋心ちゃんの言葉はほんの少しだけ嬉しかった。
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