不思議なお客さんの噂(調査編)


 秋心ちゃんはホットミルクを手に、俺はアイスカフェオレのストローを咥えて店の奥のテーブル席に座った。

 雪鳴先輩は最低限の情報だけ残して店の仕事に戻ったので、ここからは二人で頑張るしかない。

 秋心ちゃんは湯気の立ち上る洒落たマグカップに唇を添える。


「熱っ……これ先輩に浴びせかけていいですか?」


 今その温度を体感したばかりだろ、何故そう言う行動論理に至るのかをぜひ知りたいもんだ。……反射かな?

 俺を虐める為だけのマシーンなのか、この後輩ちゃん。


「掃除すんの大変そうだからやめといてくれ……」


「えぇ……あたしだけ熱い思いして不公平ですよ」


 ……公平ってなんだっけ? て言うか、倫理ってなんだっけ?

 秋心国の法律ってどうなってるんだろう。立ち入った段階で命の保証はなさそうだなぁ。


「さて、ではゆきちゃんからの調査依頼をおさらいしましょう。

『変なお客さんが来るからその秘密を説き明かせ!』以上です」


「情報少なすぎだろ」


 ほんと、無茶苦茶だよあの人。はたから見たらただのお洒落な女子大生。ブラウスに腰巻エプロン姿がとてもよく似合っている。

 今みたいに黙って笑ってれば良いのに。俺の周りには口を開かなければ見目麗しい女の子達が揃っている。きっとチャップリンの映画でならヒロインに抜擢されるだろう二人。無声映画じゃなければR指定間違いなし。

 カフェオレをずずずと吸って溜息を漏らした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ブレンドコーヒーとアールグレイティーを」


 店に入ってきた中年の男はカウンターに腰掛け、そうマスターに注文した。疲れた顔付きではあるが、何処か品のある男性である。

 マスターは雪鳴先輩がやかましかったせいで影が薄くなっていたけれど、なかなかにロマンスグレーなおじさまだ。

 二人の組み合わせは、喫茶店と言うよりバーにありそうな感じの渋みがあるね。


「……あの人がゆきちゃんの言っていた変なお客さんでしょうか?」


「どうだろうね」


 そう返事してはみたものの、恐らくは秋心ちゃんの見立ては正しい。先輩は『来ればわかる』と言っていたからな。不可思議な点があるのは一目瞭然だ。


 何故、二つも飲み物を注文したのか?

 常識的に考えて、ひとりで来店すれば注文する飲み物は一つだろう。待ち合わせをしていて、遅れて来る人の分をあらかじめ注文しているとも考えられなくはないが、普通なら遅れてきた人は自分の分なんて、入店時に注文するんじゃなかろうか。それに注文したコーヒーと紅茶は時間が経てば冷めてしまう。

 コーヒー大好きな人だったとしても、一杯目を飲み終わってからお代わりを頼むだろうし、何にしたって目立つ客に違いはない。


「お待たせしました」


 彼の前にカップが並べられ、片方を持ち上げて口に運んでいく。


「あぁっ! 先輩、飲みましたよ!」


「そりゃ飲むだろ。声大きいよ秋心ちゃん」


 しかしもう片方には手をつけようとしない。それどころか、カウンターの隣席に置いてたまに視線を送るくらいだ。

 勿論、その席には誰もいない。


「なんでしょう? 不思議ですね……」


 ゆっくりとカップを傾ける男性の背中を見つめながら秋心ちゃんは首をひねる。

 煙草に火が点けられ、紫煙がゆらゆら流れた。


 ただひたすらに無言を貫く男性は、たまに小さな溜息を漏らすくらいである。立て続けに何本も煙草に火を点けては灰皿に押し付け、またコーヒーを口に運ぶ。

 こちらから見える背中は小さく揺れる事があるくらいで何も不審な点はない。例のカップひとつを除いて。

 しかし、俺はとても悲しい気持ちになった。

 秋心ちゃんや雪鳴先輩にからかわれた時に感じたものとは全く異質の憂愁がこめかみまで登って来る。

 あの背中には見覚えがある。


「考えても全然わかりません。ちょっとあたし、話聞いてきます」


「……やめとこう」


 秋心ちゃんの腰が上がりかけたところでそれを制した。


「そっとしておこう」


 秋心ちゃんは立ち上がったまま言葉を返す。


「でも……それだとゆきちゃんのお願いに応えられません」


 秋心ちゃんの声色は少し影を引いていた。俺がそうさせたからだ。


「……なら、俺がいく。秋心ちゃんはここに居てくれ」


 立ち上がる。秋心ちゃんは俺の代わりにまた腰を下ろした。


「あの……隣良いですか?」


 男性は驚いたように俺を見上げ、どうぞ、とアールグレイティーのカップを引こうとした。

 俺はそれを制して、その隣のカウンター席に腰掛ける。空席を挟んで座る俺を見て、不思議そうに男性は煙草の火を消した。


「……奥さんですか?」


  男性の表情が怪訝から驚きに変わり、手にしていたホットコーヒーを取り落とした。

 俺は視線を寄越すことができず、じっと手元のカフェオレを見つめていた。

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