溜息を吐く幽霊の噂(調査編)


 依頼を受けた後、秋心ちゃんに急かされて俺は行動に移った。

 夏休みが終わったと言えどもまだまだ日は長いし残暑も厳しい。運動部はグラウンドでこれでもかと言うほど汗を流して気合のこもった掛け声を響かせていた。

 校舎の中でもブラスバンド部の下手くそな管楽器がピープー鳴っている。もっと練習しろと言いたくもなるけど、俺が言ったって説得力というものがない。だからただ見守るだけにしよう。

 そんな夏の影を残す青春達を感じながら歩く板張りの廊下には斜陽が注ぎ、まるで血の川でも歩いているかのようだね。

 ボーッとしていると、秋心ちゃんが俺の脇腹をつつきながら言った。


「いつまで経ってもその悪い癖を直そうとはしない、真に腹立たしい火澄先輩の為に今回の事例について説明してあげます」


 いやはや、ホントお恥ずかしい限りです。なんだって教員まで出回っている学校の怪談が俺の耳に入らないんだろ? みんな、俺と喋るの避けてるの? 気付いていないの俺だけかな?

 言ってて悲しくなる。

 不機嫌を隠そうともしない秋心ちゃんは眉間にしわを寄せたまま続けた。


「新学期が始まってから毎日の様に三年生の教室で黒い影が目撃される様になりました。

 制服を着た男子生徒の姿をしているらしいんです。

 溜息を吐いたりすすり泣いたり、終始俯いたままただ立っているだけで特に害はなく、こちらの存在に気が付くと歩み寄ってくるだけだとか。

 ただ、驚いて転んだ生徒が怪我をしたなんて話もありますし、先生達としても見過ごせないんでしょうね」


 本当に秋心ちゃんはどこからそんな話を仕入れてくるんだろう? だって友達いないでしょ?

 休み時間のこの子って何してんのかな。寝たふりして周りの雑談でも盗み聞きしてるのかね?

 うわ、嫌だ。秋心ちゃんのそんな姿想像するの。


「先輩、勘違いしている様ですが、あたしは友達はいませんけれど、普通に話をしたりお昼を一緒に食べたりするクラスメイトくらいはいるんですよ?」


「う、うそ!? なんだそれ、ずりぃぞ!」


「え、えぇ……何もズルくないです。大きい声出さないでください、ビックリしちゃうから」


 その証言が本当なら、なんだか裏切られた気分だ。

 もしかして、ひとりぼっちは俺だけ……?


「それにしても、今は誰もいないので良いですが、普段三年生のフロアを歩くのってなんだか落ち着きませんよね」


「まぁ、周りの全員が年上だと思うとなんとなく気が引けるのはわかる」


 秋心ちゃんはひとつ上の先輩(俺)にも常に失敬な態度を崩さないから、そこら辺の意識が欠如してるのかと思った。

 相手が年上だと言うのもあるが、何しろ彼等は受験生なのだ。ピリピリとして然るべきだろう。俺達からすれば受験までまだ半年あると思っていても、当人等にしてみればもう半年しかないと感じているらしい。

 三年生は既に全員部活を引退して勉学に励んでいる。裏を返せば、校内部活動のパワーバランスが一新されて妙な新鮮さと疑心がそこら中で見受けられているのだ。

 その点オカルト研究部は安心だ。俺と秋心ちゃんしかいないんだから、パワーバランスなんてものは夏が過ぎても変化しないし。

 ……勿論秋心ちゃんが二段ピラミッドの頂点にいるんだけどさ。


「残って勉強している三年生が一人もいないのは、きっと噂のせいなんでしょうね」


 廊下から覗く教室はどれも空っぽだ。去年は放課後塾に通うか図書室に行くかの二つに漏れるた生徒が教室に残って鉛筆と消しゴムを磨耗する姿が見えたんだけどね。

 秋心ちゃんの言う通り、けったいな幽霊の噂がこのうら寂しさに一役買っているんだろうな。

 この問題を解決したいという杜川先生の意図には、受験勉強に臨むに当たって適した環境を取り戻したいと言うこともあるのかもしれない。


「あ、あそこに一人だけ残ってるぞ」


 指差した先、廊下の突き当たりに一人佇む人影が見えた。

 廊下の窓からグラウンドを見下ろしているみたいだ。そんなことしてる暇があったら帰って勉強しろよ、受験生だろ。

 俺? 俺は良いんだ、受験生じゃないし。来年頑張る。


「先輩……あれ、例の幽霊ですよ」


 秋心ちゃんは声を潜めて言った。

 な、なんだって!? 秋心ちゃん目良いな。俺、実は結構視力悪いんだよ。最近眼鏡を買おうか悩んでるんだよね。眼鏡掛けたらちょっと頭よさげに見えそうだし、どう思う? ねぇ秋心ちゃん、どう思う?


「まだあたし達に気が付いてはいないみたいです。もう少し近付いてみましょう」


 引っ張んな、シャツが伸びる。俺のシャツは特別伸びやすいんだ。


「大丈夫なのか?」


「別にあの幽霊に危害を加えられたと言う話はありませんし、問題ないでしょう。

 怪我をした生徒というのも、勝手に転んだだけらしいですし」


 俺達が最初の犠牲者になるって言う可能性は捨てきれてないよね。

 部長意見としては、もう少し策を練ってから挑むべきだと思うんだけど。


「ちょちょちょ秋心ちゃん、もうちょっと慎重になった方が良くないか?」


 秋心ちゃんは歩を緩め言う。


「だって、早く解決しないとオカルト研究部がなくなっちゃうじゃないですか……」


 込められた力は白く細い腕から見受けられるものよりも強く、ただ焦りが滲んでいる。

 秋心ちゃんも気付いていたのだ。俺だけが心配していると思っていたのは、いささかの驕りとして恥ずかしくも思う。

 彼女の声色もいつもより亜麻色に見えた。湿った言葉は少し語気を強める。


「あたしはあの部屋を手放したくありません」


 言い終わると同時に空気が変わった。

 気付かれた。

 ちょっと、大きい声出しすぎだよ秋心ちゃん。

 ついに影は俺たちに顔を向ける。同時に秋心ちゃんの足が止まった。

 結果として睨み合う形で数秒が流れる。件の幽霊は要素こそは人のそれであるが生きている人間ではないことが一目でわかる容貌だ。

 まるでこの世の終わりを見てきたかの様な絶望の色が眉から流れ落ちて顔全体を覆っている。泣き顔とも違うその面持ちは、恐怖ではない感情を俺に投げかけた。


「……先輩、どうしますか?」


「そうねぇ……逃げちゃう?」


「それだとなんの解決にもなりません」


 幽霊はうっすらと気味悪く笑った。

 その目は確かに俺と交差して、一歩、二歩とその距離が縮まる。

 緩慢な歩き方だからすぐに襲い掛かられることもないんだろうけど、もうちょいやる気を出せと言いたくもなる。


「あの幽霊、先輩の事見てますよ」


 なんだろう、気持ちが悪い。

 その胸騒ぎがこの幽霊のせいだと言うことは疑いないけど、なんだこの落ち着かない感じは。俺まで悲しい気持ち……いや、違う、気怠さとか倦怠感とか、それに似たネガティヴさが肌から伝わって気味が悪い。

 秋心ちゃんに目もくれない理由はなんだ? どうして俺を見て笑ったんだろう。

 俺と秋心ちゃんの違い……絶望の表情……笑み……。


「秋心ちゃん、あれ見てどう思う? 変な感覚とかない?」


「いえ別に。なんかやる気無さそうな幽霊だなぁとは思いますが。

 やる気満々熱血漢の幽霊もそれはそれで嫌ですけどね」


 のそのそ歩く幽霊はさながらゾンビのようだ。夏バテでもしてんのかな?

 ……夏バテ? ゾンビ? 絶望感?


「あぁ、ごめん秋心ちゃん。俺なんとなくわかったわ、あれの正体が」


 手招きをし、秋心ちゃんに耳打ちする。


「……ホントですか?」


「だからなんとなくだよ。絶対とは言い切れない」


「まぁ信じますけど。

 わかりました、先輩の考えが正しいのならやるべき事はひとつですね」


 そう言うと秋心ちゃんは踵を鳴らし幽霊に歩み寄る。

 ちょっと待て、何するつもりだ。どれだけ危険なのかはまだわかってないんだって。

 秤にかけたら絶対部活の存続の方が軽いぞ、秋心ちゃんの命よりも。

 俺が今話した事も全く確証はないただの予想なんだよ? 何をするつもりかは知らないけど、ろくでもない事だと言うのは俺にはわかるぞ。

 幽霊は立ち止まり、秋心ちゃんを恨めしそうに見つめた。

 秋心ちゃんは静かに口を開く。


「すみません、あなたに個人的な恨みはありませんが……」


 そう言うやいなや、いきなり秋心ちゃんのビンタが炸裂した。

 なんてことしてんだ! 初対面の人に平手打ちなんて許されるかよ! あ、人じゃなかった……ならオーケー?

 側から見る限り手のひらは抵抗なく空を切ったようだ。

 しかし瞬間的に幽霊は消えていた。煙や塵になるでもなく、ただ単純に、秋心ちゃんの手が触れる瞬間に跡形も無くこの空間から消滅したのである。


「手応え……無し!」


 パンパンと手のひらをはたきながら秋心ちゃんは笑う。

 なんて突拍子も無い事するんだ、この後輩。

 俺は呆然と彼女の笑顔を見つめるしかなかった。

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