溜息を吐く幽霊の噂

溜息を吐く幽霊の噂(提起編)


火澄ひずみ先輩、いつまで死んでるんですか。それとも息の根を止めて欲しいのならそう言ってください。

 すぐに実行に移すので」


 俺にしてみれば、君がそんなに元気なのが不思議だよ秋心あきうらちゃん。

 肩を揺さぶられて脳まで掻き乱されている気分だ。

 思わず吐息が漏れる。


「また溜息を吐いて……幸せが逃げますよ?」


 心配すんな、逃すほど幸せは持ってないよ。


「だって夏休みが終わっちゃったんだもん……」


 始業式を迎えて早十日余り。未だ現実から立ち直れない俺は今日も今日とて死んだ魚の眼をして死んだ魚の様に机に突っ伏して、更には死にかけの魚の様に口をパクパクさせる事でなんとか生命活動を維持している。

 秋心ちゃんはそれが気にいらないらしい。


「何がそんなに不満なんですか?

 学校が始まったおかげでこの可愛い後輩ちゃんと毎日一緒に居られるというのに」


 毎日はちょっと胃もたれがすごいんだよ。秋心ちゃんにはたまに会うくらいが精神衛生上も丁度良いと、学会でも先日発表があったばかりだ。

 二学期になって最初の言葉が

『い、生きてたんですか? ……あぁ、そっか。最後のお別れを言いに来てくれたんですね、火澄先輩……』

だったじゃん君。

 てっきり俺、自分の死を自覚出来ていない幽霊の類にでもなったのかと思って新聞を読み漁ったよ。

 でもこの夏休みに我が校から死者が出ているというニュースはどこにもなくて、これが秋心ちゃんの笑えないジョークだと気付いたのでした。

 ほんと、悪質にも程があるだろ。


「だってさ、二学期って長いじゃん。次に来る冬休みなんて申し訳程度しかないし、三学期は三学期でめんどくさいし。

 そんで俺、来年三年生だよ?

 受験じゃん。もう遊ぶ暇ないじゃん。つまり、俺の青春はこの夏休みと一緒に終わったと言っても過言では無い」


「過言です。そんな長期スパンで絶望されても困りますし、そもそも先輩に青春なんか存在しません。

 それに二学期はたくさん催しがあって楽しみじゃないですか? 体育祭に文化祭。先輩達二年生は修学旅行もあります。

 うわぁ、羨ましいなぁ。あたしも一緒について行っていいですか?」


 傷付けようとしてるのかな、それとも慰めてくれようとしてるのかな。でも、古都京都に行ってまで君と幽霊探しはごめんだな、火澄先輩。

 そもそも俺、行事ごとってあんまり好きじゃないんだもん。体育祭なんて運動部の連中が日頃の練習の成果をこれ見よがしに見せつけてくるだけだし。なんだよ、こちとら運動なんかしてないからお前らにスポーツで勝てるわけないじゃんか、不公平だろ。

 文化祭は文化祭で楽しげなクラスの輪に馴染めない。俺は準備とかにも積極的に参加しないから、なんかクラスのみんなが盛り上がってるのも共感できないんだよ。その温度差で心が痛むのがすごく嫌いだ。

 修学旅行も上に同じ。

 ……あれ? 全体的に俺が悪くない?


「秋心ちゃん的には憂鬱さとかないわけ?」


「何をそんなに陰鬱になる必要があるのかわかりません。学校なんて授業を受けて部室に来る、それだけの場所でしょう? 家にいると暇じゃないですか」


 その『それだけ』が嫌なんだよ。

 なんでわからないかね。


「どうしても気が晴れないなら、解決方法はひとつだけです」


「なになに? 教えて、どうしたら良いのさ?」


「この世からサヨナラするしかないですね」


 どんだけ早まった卒業だ、しかも人生からの。

 新学期が訪れたと言うのに、秋心ちゃんはやっぱり俺をこの世から追い出したくて仕方がないらしい。

 一貫性があって寧ろ好感が持てる。


「じゃあビンタで良いですビンタで! ビンタさせてください!

 ほら、顔上げて! 腑抜けた根性叩き直してあげますってば! ねぇ、先輩!」


「嫌だよ、ほっといてくれ……」


「突っ伏してたらビンタできないじゃないですか! もぉ、先輩ったら! 叩きやすい位置まで顔上げてください!」


 なんで自ら処刑台に上がらないといけないの?

 反論する元気もない俺の背中を秋心ちゃんが押したり叩いたり引っ張ったりして遊んでいるうちに、ドアをノックする音が聞こえた。


「こんにちは……あら、お取り込み中でしたね」


 学年主任の杜川もりかわ先生だった。

 俺と秋心ちゃんは慌てて背筋を正し、襟を揃える。突然の来訪者があまりに意外な人物であったことに戸惑いながら言葉を選んだ。


「い、いえ大丈夫です。杜川先生、何かご用ですか?」


 掛けても良いかしらとの問いに椅子を引いて答える。

 杜川先生は物腰柔らかく腰を下ろし、その向かいに俺と秋心ちゃんは隣り合って座りなおした。

 やばい、真面目に部活に取り組みもせずにグダついてたのがバレてたらどうしよう。


「二人とも夏休みはどうだった? きちんと気持ちを一新して今学期に臨めているかしら?

 秋心さんはしっかり切り替えが済んでいるみたいだけど、火澄君はまだ夏休み気分が抜けきれていないようね。秋心さん、一発バシーンとやってあげたら?」


 とんでもないことを言うな。

 秋心ちゃんは秋心ちゃんで、教師の許可を得たとでも言わんばかりにワキワキと目を輝かせている。

 杜川先生は古文担当教諭で前述の通り二年生の学年主任である。その人となりを一言で表すと『優しいおばあちゃん』だろう。

 高校の先生は何年かで別の学校に移動するのが普通なのだけれど、この人は長いことこの真倉北まくらきた高校で教鞭を振るっている。

 生徒は勿論、教員間での信頼も厚く、何かあればまず彼女に話が通るほどだ。だからびっくりするくらい生徒達の実情に精通しているし、学内の内情にも詳しい。現に生徒の悩み相談なんかにものったりしている。

 そんな優しい先生なんだけど、俺からしてみれば畏怖の対象である『教諭』と言う肩書きを持つに違いはなく、この部室を訪れることはあるひとつの恐怖を想像させる。

 それはつまり、正規の部活動ではない俺達オカルト研究部が勝手に占拠しているこの空き教室を取り戻しにきたのでは、と言う懸念である。

 それになんだか俺は杜川先生には日々妙な侮り難さを感じている。穏やかそうに見えて、この人おそらくは人喰らいだ。

 だからこうして背筋をブルブル震わせているわけだ。

 

「今日はあなた達にお願いがあって来たの」


「お願い?」


 そう反応したのは秋心ちゃんだった。


「そう、だからそんなに緊張しなくても大丈夫よ」


 にっこりと笑うと目が糸のように細くなる。目尻のしわが更に安堵感を助長するのだが……。

 俺が何を心配しているのか分かっていると言った風な口調。それは俺達の緊張を解く為のものではない、むしろ逆だ。

 これから彼女が披露する『お願い』とやらに逆らうことができなくなってしまった。先の前置きはある種の牽制球であるのだから。

 流石学年……もとい学園を束ねるだけあって、その手腕は確かだね。


「教員である私がこんな事を話すのもおかしいのだけど、最近噂になっている幽霊をどうにかして欲しいの」


 何それ? と聞こうとしてやめた。秋心ちゃんが物凄く怖い顔で俺を睨んでいたからです。

 オカルト研究部宛に幽霊の相談をしに来て、その噂を知らないなんて事がバレたら都合が悪いことくらい俺にもわかる。

 だから知ったかぶって頷くにとどめた。


「それは三年生の教室に出ると噂の『溜息を吐く幽霊』の事ですか?」


 流石秋心ちゃん! 既に情報を入手済みなんだね! 後でこっそり俺にも教えてくれ!


「そのとおり、話が早いわ。頼めるかしら?」


「でも、幽霊退治なら俺たちなんかじゃなくて坊さんでも呼んだ方が早いんじゃないですかね?」


 俺の的のど真ん中を射た言葉にも先生は笑顔を崩さずに答える。


「事が事だし、幽霊なんて学校側として大真面目に取り上げられないのよ。

 それに問題にしたくないの。生徒達の不安を煽るだけでしょう? 私の手に負えるところで終わらせる事ができればそれが一番良いの」


 つまりこれは真倉北高校としてではなく、杜川先生の個人的な依頼だと言うことか。


「ついでに言うと、この秘密クラブも少しくらい功績をたてておかないと、学校に居辛くなるでしょうし」


 俺の心配はやっぱり当たってた。

 鋭すぎる釘だ。留板を貫いて地面にめり込んでいきそうだよ。

 権力なんてものに滅法弱い俺が苦笑いをする一方、秋心ちゃんは鋭い目付きで真っ直ぐ前を見据えていた。

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