先代部長と夏合宿の噂(解明編)
「とあるところに、呪いをかけられた少女がいました」
そう口火を切った秋心ちゃんの声はいつもより少しだけトーンが低い。
冷え冷えとした空気が夏の夜には不釣り合いだ。ロウソクの火を気にして空調は弱めてあると言うのに、部屋全体は冷めきっている。
「その呪いの効力は、自分の気持ちを届けることができない……掻い摘んで説明すればそういったものでした。
もともと少女は、自分の思いを行動に移す事が得意ではありませんでした。クラスメイトと仲良くお喋りしたくてもそれは周囲に迎合する浅はかな行為だと鼻で笑い、苦くて飲めないコーヒーを大人ぶって毎朝口に運ぶ。
想いはちぐはぐでした。つまるところ、それは天邪鬼の呪いだったのです。
はたから見れば大したことはないように思えるかも知れませんが、当人からすればそれはとても苦しく、悲しい日々なのだそうです」
あぁ、それ俺も経験ある。興味無いのにクラスの話題についていくために今でもサッカーの生中継を見たりしてるよ。
でも、それって誰でも覚えがあることじゃ無いのかな? 煩わしいとは常々感じつつも、そこまで思いつめたことはないけどさ。『はたから見れば……』と言うくだりはそういったことを言っているのだろう。
「そしてある日、少女は今までに無い感情を覚えます。味わった事がないので、それがなんなのかはわかりませんでした。
それは最初こそ大切なものだった様に思います。でも時が経つにつれ胸を締めつける想いはとても気持ち悪くなって、これまで通りの毎日を過ごすにはとても邪魔で、それでも抑え込むことはできない。こんなことならいっそ捨ててしまいたいとさえ思いました。
そこで初めて感情を素直な言葉に移す事が出来ました。それを手放す事に決めたのです」
なんだろう、秋心ちゃんの怪談下手には定評があった筈なのにこの話は妙にリアリティがある。そもそも、これが怪談と呼べるかは別にしてだけれど。
「しかし、正直に生きる事に慣れない彼女にはそれすら苦痛だったのです。今まさに少女はジレンマに苛まれて壊れてしまいそうなのです。
大好きなものを嫌いになり続けて生きて来た彼女は、嫌いになる感情さえ裏切りたくなり、その想いをまた本心だと信じると、またそれを覆したくなる。ついには本当の気持ちがわからなくなってしまいました。
これが天邪鬼の呪い……以上です」
ロウソクの火は消えた。
なんだろう、おとぎ話かのような寓話的な物語だった。確かに引き込まれはしたけれど、やっぱりこれは怪談話とは言い難い。あまりに抽象的過ぎて感想すら述べられそうにない。単純に俺の理解力が足りないだけなのか?
再び灯りが灯った時、雪鳴さんは俺を横目にぼそりと言った。
「呪いにかかっているのはその女の子だけじゃ無いんやけどね」
秋心ちゃんは影の落ちた表情を崩そうともしない。
俺は先輩の言葉の意味を考えながらも口を開いた。
「さて、じゃあ最後は引足さんの番ですね」
困ったように笑いながら彼はロウソクを手元に置く。
「そうだね、僕は君達みたいにお化け、妖怪の類には出くわした事がないし、そう言った話も持ち合わせていない。
だから、とある体験を語らせてもらおう」
落ち着いた声色はこの場にとても似合っている。
珍しく雪鳴先輩が真剣な顔をしているのが見えた。
俺はと言うと、秋心ちゃんの話が何度も反響するのを聞いている。君がよくわからん話をするから引足さんが困ってるじゃないか。
「あれは何年前のことだっただろうか、もう覚えてはいないけれどとても暑い夏の日だったかな。
ご存知の通りこの旅館を営んでいるのは僕の家族なんだけれど、その時僕はそれが嫌で嫌でたまらなかったんだ」
きっと引足さんは笑顔のまま言葉を紡いでいる。穏やかな口調は彼のそんな表情を思い起こさせた。
秋心ちゃんは吐息ひとつ漏らさず、雪鳴先輩は顎に指を当てて聞き耳を立てている。俺も彼女達に習うように息を殺した。
とても静かな夜だ。
「やはりどうしても海辺の旅館というものはこの時期が一番の繁忙期で、僕は否応無しにその手伝いをさせられていたんだね。毎日毎日朝から晩まで掃除や幼い兄弟の世話でくたくただった。
学友達がやれ山に虫を取りに行ったりだとか、やれ夏祭りに行く計画を立てているのを恨めしく眺めていたよ。仕方がないことなんだけれど、僕は納得出来るほど大人ではなかったんだ。
もしかしたら、今だってそうかもしれないけどね」
申し訳なさそうに笑う声を挟み、引足さんは続ける。
「そんなある日のこと、この浜辺で楽しそうに遊ぶ友人達を見てしまったんだよ。
嫉妬に狂ったね。
僕は彼等のようにある種の青春を享受する事も出来ず、しかもそこには僕が焦がれていた子もいたのだから。
それがあまりに悔しくて、僕は旅館の手伝いもほっぽり出して彼等の元へ駆け寄ったよ。その時『僕も混ぜてくれ』とその一言が言えたのならどれだけ良かっただろう。後々両親に怒られるだけで済んだだろうし、それも良い思い出になっていたかもしれない。
でも、僕には出来なかった。
口を突いて出たのは『今日は死人が出るから、この海で遊んではいけないよ』なんていう言葉だった。
みんな取り合ってはくれなかった。当たり前だよね、誰がそんな与太話を信じられようか。僕の妄言に聞き耳を立てず再び海に入る彼女達を見て、きっと何かが壊れてしまったんだろう」
仄かに映し出される表情は笑みを孕んだままだ。雪鳴先輩は眉をひそめ、それでも沈黙を貫く。
「僕はその夜、海に飛び込んだ。戯言を真実にしたかったのさ。
きっと皆経験がないだろう? 怖いんだよ、夜の海っていうのは。
空には星が輝いているだろう? でも本当の闇には何もないんだ。その闇が海なのさ。
目を開けているのか閉じているのかもわからないんだよ。ただ塩辛さも感じることすらできないほどの恐怖だけ……そこにあるのはね。
君達が昼間、砂浜で遊んでいるのも見ていたよ。思い出してしまったよ、あの時の気持ちを。
楽しそうだったね火澄君、それに秋心さん。僕はこんなにも苦しいのに。
今もずっとずっと息苦しいんだ。暗いんだよ。
あぁそうだ、これくらいの時間だったかな、海に身を投げたのも。あの時はまだ街灯なんてほとんどなくてね、月すら出ていなかったんだ」
窓の外でドボンと何かが水に落ちる音がした。同時に引足さんの声にノイズがかかる。
俺と雪鳴先輩は黙って彼を見つめる。また少し部屋の温度が下がった様な気がした。
「長々とごめんね、もう終わるから秋心さん。僕は君に言いたい。それは『真実なんか作り出さなくて良い』って事なんだよ。君の辛さはよくわかるよ、僕には痛いほどわかる。
これは自分に正直になっていれば良かったなんて簡単な話じゃない事も、君にはわかるだろう?
幸せになる方法はいくつかあり、僕はその中から『人を幸せじゃなくする』ことを選んだわけだ。
秋心さん、君も僕と同じことをしようとしているんだよ」
唐突にロウソクが消えた。
天から登る蜘蛛の糸の様に白い筋が暗闇に光る。
「すみません、よく意味がわからなかったので思わず吹消してしまいました」
暗闇からは秋心ちゃんの声が這う。畳のこすれる音はしたのは雪鳴先輩が部屋の明かりのスイッチを探すため立ち上がったからだろう。
「いや、良いタイミングやったよ。実はうちも同じことしようと考えてた」
人工的な明かりを取り戻した部屋の中に引足さんの姿はなかった。ただ、彼が座っていたはずの布団の上はぐっしょりと濡れている。
そこ、俺が寝るはずだったんだけど……。
「あの方は生きている人間ではなかったんですね」
俺と雪鳴先輩は視線を交わし、次に秋心ちゃんに目を向けた。
「まぁそう言うことだ。
去年ここで俺達は知り合って、今年また来れば引足さんが死んだ時のことを教えてくれる約束になってたんだよ。
つっても、彼が亡くなったのはもう何十年も前の話で、今はこの旅館、引足さんの弟さんが今は切り盛りしてるんだと」
「せっかくやからオカ研の合宿も兼ねてこの旅館に来たってこっちゃ。
別に試すつもりもなかったんやけど、どんな反応するのか見たかったってのはあったから黙っといたんよ、ごめんね。
でもあっきーなかなかに肝が座っとるし将来有望! 未来の部長は君や!」
うん、他に部員いないしね。
ところで、秋心ちゃんが何故引足さんの話が終わりを見せていなかったにも関わらず強制的に幕を降ろす様なことをしたんだろうか。最後に彼が話していたことは勿論彼女に向けられていたものだ。
秋心ちゃんの話した怪談と引足さんの言葉についてあれこれ想像してみるのも面白いかもしれない。
「て言うか先輩。俺の布団びちょびちょなんですけど……」
「ホントやね。じゃあ、君ら二人で一緒に寝たら?」
呆気にとられたのは一瞬で、すぐに明王の様に憤怒の表情の秋心ちゃんが隣で殺気を放っているのに気付く。
しかし、今回はいつもの様に憎まれ口を叩く事もせずにただ俺を睨むだけだった。
「一応俺達健全な高校生なんで、遠慮しときます。布団新しいの準備してもらって来ますんで、先に寝てても良いですよ」
「何言っとるんよ、夜はここからやんか! いよいよ合宿の夜の本当のお楽しみ、恋話の始まりやぞ!」
結局やんのかよ。
本当のことを言うとすでに結構眠たい俺は、欠伸を隠す事もせずに部屋を後にした。
今日はぐっすり眠れそう……であろうか?
おわり
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