夜の街鬼ごっこの噂(解明編)


 振動は次第に間隔を狭めて向かってくる。

 星のない空はいつもよりもずっと低く見えて、低い唸り声をなおの事反響させていた。


「秋心ちゃん、こっちだ!」


 今度は俺が秋心ちゃんの手を取る。

 とりあえず音と反対の方向を目指し駆け出した。

 少年の幽霊から逃げ出した際、無我夢中で走っていたために土地勘のない場所まで来てしまった。おまけにコンビニどころか逃げ込める民家も見当たらない田舎道である。そのくせ追いかけてくる足音と怒声は次第に大きくなってくる。

 たまったもんじゃないね。


「せ、先輩このままじゃ……」


「いいから走れ! 大丈夫だから!」


 何も策は思いついていない。それでもそう言うしかなかった。


「秋心ちゃんは絶対守るから……」


 急に秋心ちゃんが岩のように重くなる。つんのめり、振り向くと既に真後ろまで迫った鬼が秋心ちゃんの空いた手を掴んでいた。


「い、痛……!」


 苦悶に歪む表情。その細い腕は今にも折れてしまいそうに鈍く軋む。

 身の丈2メートルをゆうに超える巨体が闇のなかでさらに濃い影を作っている。ツノはぎらりと光る。牙は鋭利に笑っていた。


「この……!!」


 拳を握り振りかぶる。

 意味がないことはわかっていた。鬼退治はおろか、まともに喧嘩すらしたことのない俺だ。戦いを挑むこと自体無謀なのである。

 案の定、鬼の一振りで簡単に体が宙を舞う。補整されていない道端に背中を打ち付け、一瞬で呼吸が出来なくなった。

 骨とか大丈夫なのかな? めちゃくちゃ痛いんだけど。自転車でこけた時とは比べものにならんぞ、これ。

 でも、おかげで秋心ちゃんは鬼の手から逃れることができた。ちゃんと感謝してよね?


「火澄先輩!」


 走り寄ってくる秋心ちゃん。何やってんの、今のうちに逃げないと。こっち来んなよ。

 そんな顔してる場合じゃないよ、鬼はまだすぐ目の前にいるんだから。


「超痛いんだけど……てかさ、鬼は無害ってのはやっぱり嘘だったね」


「くだらないことを言ってる場合ですか!? 立てますか?」


 残念ながらちょっと動けそうにはないです、二十分くらい休ませてくれないかな。

 そんな悲しそうな顔してもダメだよ、べつに意地悪で座り込んでるわけじゃないんだから。


「おおおおおお!」


 鬼の雄叫びは夜に映える。

 おぉ、近くで聞くと凄い迫力だね。なんか恐怖とか焦りとか忘れちゃうくらいに絶対絶命のピンチだ。

 なんだか漫画とかのワンシーンみたいであまり現実味がない。おかげでなんとなく冷静だ。


「……秋心ちゃん、ちょっとひとりで逃げてくれない?」


「……あんまりふざけたことばっかり言ってると殺しますよ」


 秋心ちゃんに殺されなくても、今まさにこの鬼に殺されちゃいそうだよ。

 でもどうせ殺されるなら秋心ちゃんの方がいいな。殺し方がエグそうだもん、鬼って。


「見つけた!」


 今度は甲高い声が響く。

 同時に鬼がギョロギョロとした目玉をさらにひん剥いて動きを止めた。

 先程の少年が鬼のすぐ後ろに立ち、俺達を指差している。『見つけた』ってのは、いったいどういうことだろう……なんて考えているうちに鬼は俺達に目もくれず走り出した。いや、言い直そう。『逃げ出した』のだ。

 しかし、それは無駄だった。少年は音もなく、そしてまるで瞬間移動でもしたかのように素早く鬼の隣に姿を現し、その太い腕にタッチした。


「おおおおおお!」


 刹那、鬼体の端から塵になっていく。ホントに漫画みたいだ。巨体はみるみるうちに形を崩していった。

 姿が全て霞に溶けた頃、辺りには静寂と少年の笑顔だけが残っていた。


「ありがとう、お兄ちゃん達。また、困ったことがあったら呼んでね」


 そう残すと、男の子も同じように煙になって消えた。

 あっという間の出来事だった。その間、俺と秋心ちゃんはただ口を開けて目の前の光景を眺めていただけ。

 ただ、体を覆う痛みと秋心ちゃんの腕から伝う温もりだけがこれを現実だと知らしめている。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あの少年の方が鬼ごっこの鬼だったんだな」


「みたいですね」


 濡らした秋心ちゃんのお気に入りハンカチ(猫のプリント入り)で擦り傷を冷やしながら先程の出来事を推察する。

 あの少年が鬼を追いかけっこをしていたことは間違いない。確かに二人は鬼ごっこをしていたのだ。

 まぁ、俺達はその役割を完全に逆だと思っていたわけだけど。しょうがないよね? 普通に考えたら絶対あの鬼が追いかける側だもん。

 噂は本当だったんだ。『追いかけられる側の方が危ないやつだ』という点も含めて。

 今日、カラオケ終わりに秋心ちゃんが言っていたように人を見かけで判断してはダメだって事を痛感したね。

 そして、おそらくだけどあの少年はなかなかに崇高な存在に違いない。この世界に降りてきた鬼やら邪悪な存在やらを退治するためやって来た神の使いか何かだろう。

 うわぁ、何その設定。僕、このまま天界の戦いに巻き込まれちゃうの!? とかとっくに捨て去った厨二心をくすぐられてやまないね。漫画の主人公みたいだ。

 それと気になるのは『また困ったことがあったら呼んでね』という言葉だ。

 俺、君の事を呼んだつもりはないんだけど。あれはどういう意味なんだろうか。


「先輩、怪我までさせてしまってすみませんでした。あたしが余計な調査を始めなければ……」


 ひと通りの介抱を終えた秋心ちゃんはそのばにちょこんと立ちすくんだまま言う。


「えぇ!? 今更かよ!」


 珍しく落ち込んでいる秋心ちゃんに思わず本音が出た。しかし彼女は目くじらをたてることもなく俯いてモジモジと指をいじっている。

 そんな姿を見ていると彼女を責め立てる気も失せる。元からそんなものないんだけどね。


「ま、今に始まったことじゃないからそんなに気にしてないけど、出来れば命の危険があるオカルトは勘弁願いたいよ」


「そうですね、先輩弱っちぃですし……」


 おぉっと、喧嘩か? 買うぞ! 勝てる気はしないけど。


「でも、守ってくれるんですよね? あたしのこと」


 それ、なんて言う表情? 怒ってんの? 笑ってんの? 分かり辛いからやめてほしいんだけど。今日の秋心ちゃんは感情の移り変わりが激しくて大変だね。

 でもどうしようか、その言葉出来ることなら撤回したいよ。


「助けてくれた時、ちょっとだけ嬉しかったですよ。もしよろしければ、これに懲りずオカルト研究してくれますか?」


 俺はともかく秋心ちゃんは少しくらい懲りろ。反省文を書いて明日俺に提出しなさい。

 溜息ひとつ吐いて、とりあえず頷くことにする。

 あの鬼をこの街に野放しにしとくくらいなら、これくらいの怪我は安いもんだ。



おわり

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