夜の街鬼ごっこの噂(調査編)


 秋心ちゃんと二人、夜も更けた橋の下で息を潜める。


「……あれだろ、秋心ちゃんが言ってた『鬼』って」


「……そうでしょうね。見るからに凶悪そうですし」


 川を挟んだ向こうの河川敷を走る巨大な影。怒声を響かせながらどこかに向かっていく。秋心ちゃんの説明の通り携えているツノと牙が街明かりに光るのが見えた。邪悪を表したかのような出で立ちはまさに昔話の『鬼』そのものである。

 対岸の鬼とは距離があるものの、その異様な光景に俺達は危険を感じ取っていた。

 当たり前だよね、だって相手は鬼だもん、超怖いよ。取って食われたらかなわないし、残念ながら豆も鰯の頭も持ち合わせてないから戦いようもない。持ってても逃げるけど。

 それにしても秋心ちゃん近くない? こんなにくっつく必要なくないかな? 

 ひそひそ話す吐息が首筋に当たって超くすぐったい。ただでさえ生温い夏の夜なのに、余計暑苦しいからやめてくれ。

 俺のシャツを強く握りしめたまま秋心ちゃんは目を背け言う。


「すみません、想像していたよりもずっと恐ろしかったので……正直かなりビビってますよ、あたし」


 なるほど、伝わる大きな鼓動は秋心ちゃんのものだったのか。心臓の音って自分のものなのか人のものなのかわからなくなる時あるよね。今まさに俺がそうだしね。

 秋心ちゃんってあんまり女の子特有の甘い香りがしないから、そんなにドキドキするわけないよね。良かった、俺はまだ正常みたいだ。


「でも、あの鬼は襲ってきたりなんかはしないんだろ?」


 鬼よりも追いかけられている方……秋心ちゃん曰く男の子の幽霊の方が危険なんだとか。

 とか言いつつ、あの見た目で無害とはなかなか信じることができずに、俺達はこうやって縮こまってるんだけども。


「あくまで噂なので信用しきるのもどうかと思います。それに君子危うきに近寄らず……危険は回避できるのならするに限ります。

 今日はもう調査を打ち切って帰りましょう」


 それを言っちゃおしまいだよ。今まで何度危うい目にあってきたと思ってんだ。最初からオカルト探しに行かなけりゃ全部丸く収まるぜ。

 ただ、後半の秋心ちゃんの提案には激しく賛成です。あの鬼に接触するのには流石に度胸が足りないです。

 ぶっちゃけ俺もビビりまくってるし。


「それとも、もう少しこうして隠れてましょうか?」


 もう鬼の姿は見えない。対になる幽霊を探してまだどこかを走りまわっているんじゃないかな。

 鬼がどこにいるのかわからない以上、此処に留まる方が危ないんじゃないの?


「いや、早めにずらかろうぜ。またあれが戻ってきたら大変だ」


 こうやって考えると、怪異ってのは割と日常に潜んでるんだなと辟易とする。

 わりかし人通りの少ない場所ではあるけれど、あんな怪物が俺達の生活する街にいるなんてなかなか実感できない。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 曲がり角を気にしながら歩く。勿論鬼に出くわさない為なんだけど、なんだか俺達まで鬼ごっこに参加しているような気分になるな。


「火澄先輩、あれ……」


 秋心ちゃんに背中をつつかれ素早く振り返る。

 ちょっと、今俺神経質になってるんだからやめてよ。鬼が出たかと思っちゃったじゃんか。

 あと、個人的に背中はくすぐったいからやめてちょうだい。


「あの子、なにか様子がおかしくないですか?」


 歩道の脇に佇む少年は小学校中学年くらいだろうか?

 空中をぼうっと眺めてはため息をついたり目を伏せたりして、たまにキョロキョロ辺りを伺っている。


「見た限り、普通の子供だろ」


「こんな時間に子供がひとりでいるなんて変ですよ」


 確かに既に日が沈んでしばらく経つ。もう少ししたら俺達でさえ警察官に声を掛けられて学校と両親に連絡されてしまう時間だ。

 そんな時刻に子供が道端にいるのは違和感がある。見た感じ普通の小学生であるがだけに余計不気味に感じちゃうよ。


「まさかあれが鬼ごっこのもう片方なんじゃ……」


 秋心ちゃん、耳打ちやめてくれ。実は俺、耳も弱いんだ。ゾクゾクしちゃう。君は本当に鳥肌を立てさせるのが上手いなぁ。


「よし、ちょっと話しかけてくる」


「はぁ!? 先輩、馬鹿なんですか? 今の話聞いてましたか? 本当にあの子が鬼ごっこの逃げ手だったならどうするんです」


「でも、迷子だったり親から締め出されてたりしてる子供だったら大変じゃんか。大丈夫だって、幽霊なんてそうそう会えるもんじゃないよ。普通の人間の子供の可能性の方が高いじゃん。

 それに考えてもみろ、もしもあの子供が鬼から逃げてるんならあんな所に突っ立ってるわけないだろ? 必死こいて逃げたり、俺達みたいに隠れたりしてるはずだよ」


 秋心ちゃんは目を見開いたまま大きな溜息を吐く。幸せ逃げるよ?


「お人好しが過ぎるのも考えものですよ。今さっき言ったばかりです、君子危うきに近寄らず」


 秋心ちゃんだけひとりで帰っててもいいよと言ったらビンタされました。何故だ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「おい少年。こんな時間にひとりで何してんだ?」


 秋心ちゃんからのお許しを待たずに声を掛けてみた。その秋心ちゃんときたら、俺の後ろですがりつくように身を寄せてきてるもんだからちょいとばかり緊張しちゃうよ。

 俺の後輩ちゃんはスレンダーだから助かった。もしもナイスバディだったらこの状況に集中できてなかっただろう。全く神様ってやつは……。

 全く、神様ってやつは!


「ぼく、鬼ごっこをしてるんだよ」


 思わずどきりと心が跳ねる。秋心ちゃんの細い指先が俺の二の腕に食い込んだ。

 純真無垢に映る笑顔もかえって不気味ではある。普段温厚そうな人ほど怒ったら怖いみたいな、そんな感じだ。

 それにしたってこのタイミングでそれはないだろう。それじゃあまるで、お前が本当に鬼から逃げている幽霊みたいじゃないか。


「お兄ちゃん達は……」


 言葉の端を聴き終える辛抱もできず、秋心ちゃんは俺の手を掴み走り出していた。


「馬鹿! 本当に馬鹿! だから言ったじゃないですか! いい加減にしてください!」


 振り返ると少年はもういない。それが秋心ちゃんの怒りをなお逆撫でしているみたいだった。

 俺も感じている不安が間違いでないという事を表している。あの少年が、件の幽霊だと疑う余地はなかった。


「そ、そんな怒んなよ……まだあれが幽霊だって決まったわけじゃ……」


「怒ります! 死にたいんですか!? あたしも馬鹿でした、ぶん殴ってでも止めておけば良かった!

 もし万が一を考えて行動しないで、いざという時にどうするつもりなんですか!」


 小さな手で強く握られた手の平が軋む。て言うか俺、殴られはしたよね?

 しばらく走り、気が付くと俺が秋心ちゃんを引っ張る形になっていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ここまでくればとりあえずは……」


 肩で息をしながらゆっくりと立ち止まる。秋心ちゃんも汗を流しながら空を仰ぎ、次に俺を睨み付けた。

 どうやらまだご立腹の最中らしい。


「いやぁ、秋心ちゃんの言うとおりあの男の子が例の幽霊っぽかったな。でも逃げ切れてよかったよ……怒ってる?」


「怒っていないと思いますか?」


 君、今までで一番怒ってるかもしれないね。今にも包丁とか取り出しそうな赤黒いオーラが見える。

 さっき見た鬼よりも怖い。


「だ、だから先に帰って良いって言ったのに」


「あたしがいなければ、先輩死んでたかもしれないじゃないですか」


 胸ぐらでも掴まれそうな勢いである。ズイズイと迫ってくる秋心ちゃんの瞳が街灯の下で光った。

 うわぁ、超近い。秋心ちゃんって、意外とまつ毛長かったんだなぁ。

 なんて現実逃避をしてみる。こんな可愛い子が、俺を殺そうとするわけないよね?


「おおおおおおお!」


 地響きが足を伝う。二人して背筋が凍るのがわかった。聞き覚えのある奇声は川の向こうで聞いたものと同じだ。

 唐突に街灯が消える。

 世界に暗闇が広がった。

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