妬け狂う炎の噂(解明編)


 俺の腕から這い出た秋心ちゃんは二、三度深呼吸して頬を叩いている。

 紅潮した頬を冷ますようにそっぽを向いて、手の平を団扇にして首筋を扇いでいた。


「はぁ、暑い暑い。ただでさえ近付いてくる炎が熱かったって言うのに、先輩のせいで汗だくです。謝ってください」


 ここでやっと我に帰る火澄くん。

 自らのしでかした事実に愕然として謝辞を述べた。


「ほ、本当にすみませんでした」


 セクハラだ。今のは誰がどう見てもセクハラだった。後輩に対するセクハラをしてしまった。

 嫌だ、懲役は嫌だ。示談に持ち込むしかない。全財産三千円くらいだけど、これで許してくれるかなぁ。


「逃げてって言ったのに、本当に先輩は馬鹿ですね。あのままあたしと心中でもするつもりだったんですか?」


 超怒ってる、顔怖い。それに顔怒ってる、超怖い。

 焦りのあまりボキャブラリーの喪失を身に染みて感じているよ、俺は。


「……なんて、あたしも先輩が無事でホッとしました」


 わ、笑ってる! 怖い! もう今は秋心ちゃんの全部が怖い!


「あ、秋心ちゃんはなんでここにいんの?」


「……すみません、気になって先輩の後をつけていました」


 な、なんだってー! それは誠にけしからん! 重罪だ! ストーカー規制法に抵触する重罪だ! 

 よし、俺のセクハラとその罪を相殺しよう、そうしよう! 良かった、まだ俺は戦える! 社会的に生きているって素晴らしい!


「べ、別に意図があったわけではありません。また炎が出たら嫌だなぁって思って……」


 なんたるオカルト研究部員の鑑。

 火澄先輩、嬉しくて涙が出てきそうだよ。


「ありがとう、助かった。

 秋心ちゃんがいなかったら確実に消し炭になってたよ」


「ど、どういたしまして」


 褒められて慣れていないんだろう秋心ちゃんは耳まで赤くして小鼻を掻いた。

 この子、褒めたら調子にのるかと思いきやなかなか可愛い反応だね。久しぶりに秋心ちゃんが後輩なんだと実感しました。


「火澄くん!」


 今度は木霊木さんが俺に抱きついてきた。

 秋心ちゃんのものとは違う甘い匂いが鼻をくすぐる。い、いい匂い! 瓶に閉じ込めて一日中吸ってたい!


「こ、怖かったぁ……怪我はない? 大丈夫だった?」


 首筋に彼女の涙が当たる。それが俺の汗と混じって一筋の流れを作った。なんかエロい表現でごめんなさい。


「あ、あぁ大丈夫だから……」


 困惑が相応しいこの状況。俺はただ慌てて身をよじることしか出来ない。

 これはセクハラじゃないよね? だって木霊木さんの方から抱きついてきたんだし!

 でも怖いから手は上にあげておくよ。さっきの事で学んだんだ僕は。

 そこ、女慣れしてなさ過ぎとか言うな。

 俺は女の子に触りたいと一日中考えてるけど、同じくらいの時間警察のお世話になりたくないとも考えているのだ! 俺の人生、何かと無駄が多いよね。


「こ、木霊木さん、先輩から離れてください!」


 や、やばい秋心ちゃんが怒ってる!


「そ、そうそう! 秋心ちゃんのおかげで助かったようなもんだし、俺なんもしてないよ」


 だから抱きつくなら秋心ちゃんにどうぞ。それ、めちゃくちゃ目の保養になりそう。女の子どうしが仲良くすることで世界は平和になると僕は信じています。この世に男どもなんかいらないんだよ! 俺以外!

 期待を裏切り、俺から離れた木霊木さんはべそをかきながら目元を拭う。

 あ、その涙一粒でいいから貰えないかな……っと危ない危ない、あともう少しでトリップするところだった。変態になるところだった。

 秋心ちゃんナイス! 君のおかげで俺は真人間でいられるよ!


ではっきりしました。あの炎の原因はあなたですね?」


 秋心ちゃんはビシリと人差し指を突き立てる。

 木霊木さんはただでさえ人形の様に大きな目をまん丸に見開いた。


「え……わ、わたし!?」


 対照的に得意げな笑みを浮かべる我が後輩は指を振りながら持論を唱える。


「あなたと先輩が一緒にいると、あの炎が現れる傾向にあります。

 煩わしいので結論から先に言わせてください。木霊木さん……あなた、火澄先輩の事が好きなんでしょう?」


 な、なんだってー! 本日二度目のなんだってー!

 もう一回言ってくれー! 録音させてくれー! 

 ……はい、十分堪能したので現実に帰ります。


「ち、ちょいちょい秋心ちゃん、それは流石にあり得ないだろ」


「部外者は黙っていてください」


 なぜ君は俺を蚊帳の外にしたがるのか。俺、紛う事なき当事者じゃんか。


「恋は身を焦がします。愛は炎の様に燃え上がるとも聞きます。

 あなたの恋心が炎となって具現化している……違いますか?」


「あ、あの……その……」


 今度は口をパクパクさせる木霊木さん。顔が真っ赤だ。もしかして図星なの!?

 いや、妙な期待はよそう。どうせ裏切られるんだ、それが人生ってやつさ。

 もしそれが本当ならそれはそれで困るし、なんか喜んでいい場面でもなさそうだから。

 だってモテた事ないもん俺。秋心ちゃんと違って告白されたことないし、ましてしたこともない。

 どんな反応すればいいんだよ……教えて! 恋の神様!


「も、もしも仮にそうだとしても、私は炎なんか起こしてないよ!」


 仮に……つまるところ『if』。漢字に直すと『畏怖』だろ、一番身近に置きたくない単語ですなぁ……。


「まぁ、あたしの推理が正しいかは確かめようがないので、あくまでこの推理は推理で、もしかしたらの話です。

 でも、オカルトに関しては貴女よりもあたしたちの方が詳しいので、民主主義にのっとってあたしの案が採用されます。口答えは許しません」


 それ民主主義とちゃう。王政だよ、秋心ちゃんの絶対王政。

 ついに木霊木さんに秋心ちゃんの毒牙が……。


「ち、違うからね!? 火澄くん、わたしそんなんじゃ……」


 否定された。

 ちょっと、束の間のパラダイスを当の本人に砕かれちゃいましたよ。ははは、泣きそう。

 わかってたよ。木霊木さんが俺なんか好きになりえないって事くらい。それが秋心ちゃんの妄言だって事くらいさ。

 でもさ、サンタクロースが両親だって年をとってなんとなく気付くのと、白い付け髭した下手くそな変装父親を直接目撃するのじゃダメージが違うんだ。

 今の僕は後者にあたります。短いハピネスだった。


「そんなこと言うだったら、秋心さんだって……」


「あたしは違います、恋なんてしていません。ましてや火澄先輩なんて、虫の羽音くらいにしか認識していません」


 虫だけじゃ満足できんのかお前は。俺を実態のないもので例えるなよ。音じゃんかそれ。

 木霊木さんは言葉を言い淀んだ。

 まぁ、秋心ちゃんにこんな睨まれ方をすればそうなるだろう。俺は慣れてるけど、彼女は秋心ちゃんの恐怖に抵抗持ってないもんな。

 慣れてる俺でも言い返せなくなるんだから当たり前当たり前。


「し、嫉妬だって身を焦がすもん……」


「だ、黙りなさい!」


 か、仮にも木霊木さんは君の先輩だぞ!? やっぱりこの後輩超おっかねぇ……。

 西陽に照らされて赤鬼みたいに顔が血に染まっている。悪魔と言うより鬼だ、この子。


「あの……俺からもひとつ聞いていい?」


「ダメです」


 もう、ホントなんなの? この後輩。

 俺にも発言権くらいくれ!


「そこをなんとか……」


 と言いつつ平身低頭お願いすることしかできないオカ研部長火澄くん。

 つ、強くなりたい……!


「仕方ないですね」


 お許しが出ました、良かった。

 それにしても秋心ちゃんの傍若無人っぷりに拍車がかかってるよ今日は。


「あの火達磨が消えた理由はなんなんだ?」


「知りません。自分で考えてください」


 あ、はいすみません。僕、部屋の隅で足の指先を見つめて大人しくしてます……。


「とにかく、なるべく二人は一緒にいない様にしてください。危険ですから」


「や、嫌だよそんなの……」


「じゃあまた炎が現れたらどうするんですか?」


 蛇と蛙の構図だ。秋心ちゃん、絶対毒蛇だろうなぁ。

 丸呑みになんてせずに毒でじわじわ殺すタイプの蛇だよ。そんなのいるのか知らんけど。俺、蛇博士じゃないし。


「まぁ、そん時は秋心ちゃんを呼べばなんとかなるんじゃね?」


 だって二回とも秋心ちゃんの登場で火達磨は消えたんだし。

 秋心ちゃんが消化剤なのはほぼ確実だろう。


「ひ、人を便利な道具みたいに扱うのはやめてください。

 もういいです。あたし、帰ります。ほら先輩も!」


 背を向け歩き出す秋心ちゃんの後を追う。このまま一人で帰したらまた明日なんて言われるかわかったもんじゃないからね。

 一歩二歩進んだところで木霊木さんが俺の袖を掴んだ。


「ひ、火澄くん。あの……」


 言い淀む声と泳ぐ瞳。何を言いたいのかくらい俺にだってわかる。


「わかってるよ、木霊木さんが原因じゃないことくらい。

 うちの秋心ちゃんが失礼なことばっか言ってごめん。これからも仲良くしてくれたら嬉しいんだけど……」


 木霊木さんはまた困った様に笑った。

 俺は自分の言葉に、何故か根拠の無い自信を持ったまま秋心ちゃんを追いかけた。



おわり

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