妬け狂う炎の噂(調査編②)
結局部室に帰った後も秋心ちゃんはご機嫌斜めなままだった。いや、斜めっていうよりもうほぼ垂直でした。ご機嫌地面にぶっ刺さってる。
何を話しかけても返事は「知りません」だし、視線すら合わせてくれない。気不味いことこのうえないなぁ……。
「秋心ちゃんって、木霊木さんのどこが嫌いなの?」
「別に嫌いじゃないです」
思わず聞いてしまった。しかし上の反応が返って来ただけ……無念なり。
勇気を振り絞ってもその見返りは案外小さかったり、今回のように帰ってこなかったりするから人生って嫌になっちゃうよね。
先輩としては他人嫌いの秋心ちゃんが人と仲良くできる様になってくれるのを祈るばかりなんだけど、これが中々難しい。この後輩ちゃんに友達がいないのも頷ける。
秋心ちゃんの言葉の棘は鋭すぎて触らなくても切り傷が出来ちゃいそう。超音波カッターかよ。
「一応俺のクラスメイトなんだからさ、もう少しだけ人当たり良くしてくれたら助かるんだけど……」
秋心ちゃんピクリ。
地雷原を歩いたらって分かってるけど、実際に踏んだら後悔をするものなのである。まさしく僕は今その状況です。
「本当にただの『クラスメイト』なんですかね。
先輩、とても仲良さそうですし、はたから見るとなかなか頷けません。
それに気付いてますか? あの人の先輩を見る目……とてもただの友達とは思えませんけど」
「いやいや、何言ってんのかよくわからんけど」
「先輩も先輩です。曰くただの『クラスメイト』相手に鼻の下伸ばしてみっとも無い」
の、伸びちゃいないぞ! むしろ縮んでるくらいだし。たとえ鼻の下を伸ばしていたとしてもだ、俺はすべからく女の子全員に対して鼻の下を伸ばしている自信がある!
なんて言ったら殴られそうなので言わないけど。
「まぁ綺麗な方ですもんね。良いんじゃないですか? 先輩にはもったいないですけどね」
やっぱり俺を罵倒するとなると饒舌になる秋心ちゃん。さっきまでの無口モードは何処へやら。
これなら口数少ない方がまだマシかもしれないです。
「あぁ、せいせいします。これであたしも先輩との変な噂を囁かれることもなくなるんでしょうし?
先輩はどうか知りませんが、あたしとしては非常に迷惑だったんです」
「あぁ……ごめんな、確かに嫌だったろ」
秋心ちゃんはプライドが高そうに見えて実はそうではないと言う事を俺は知っている。
秋心ちゃんが俺を悪く言うときは、相対的に彼女の立場を高めるためである……なんて事は今まで一度も無いのだ。彼女は口は悪いけれど、そこまで性格は悪く無い。
彼女が俺を罵倒するのは、ただ面白いからに他ならない。
……あれ? その方が酷くないかな?
なんとか落ち着いてくれるのを願うばかり。
機嫌を直してくれる事を期待するばかり。
明日になれば秋心ちゃんもいつもの後輩ちゃんに戻ってくれているのだろうか。
俺の言葉に彼女はしばし沈黙をつくり、自らそれを砕いた。
「……なんで謝るんですか」
消え入りそうな声でそう残すと、秋心ちゃんはカバンを乱暴に掴み部室から出て行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あ、火澄くんこっち!」
大きく手を振る木霊気さんはいつもの制服に着替えている。僕、セーラー服だーいすき!
辺りにはちらほらと帰宅する生徒の姿が見える。ただ、木霊気さんは夕陽を背にひとりで校門に佇んでいる。
「ごめん、待たせた?」
「ううん、今来たところ。とりあえず駅まで歩こっか?」
なんだか恋人みたいなやりとりだね、図らずともドキドキしちゃう。
隣を歩く木霊気さんは秋心ちゃんよりも背が高いので、いつもより目線が僅かに高くなる。その穏やかな彼女の性格を反映してか、歩くスピードもいつもより少し遅くなった。
「あんな事があったのに普段どおり部活があるんだからビックリだよね」
そうだよね! 普通休みになるよね! 見よ! 俺の全力肯定を! 頷き過ぎて首飛んでいきそう!
笑顔の木霊気さんはやはり見紛うごとなき美少女だ。テンションガン上がりである。
見ろ、皆の衆。羨ましかろう、こんな可愛い子と俺は下校しているんだぞ!
……不釣り合いだよなぁ、俺なんかが隣を歩いて良いのだろうか。なんか急にネガティヴになってきた。
秋心ちゃんみたいに変な噂をたてられたらどうしよう。木霊木さんに迷惑はかけたくないからそうならない事を祈る。
万が一そうなってしまったその時は、責任を取ってそのままなし崩し的に付き合うことにしよう。仕方ないね。
なんつって妄想が膨らむ。ニヤけるな火澄少年よ。あくまで冷静に、クールにだ。
でもなんか脳裏に秋心ちゃんがチラついて変な気持ちになるのは何故だろう。命の危険とは別の焦燥感が背中を刺す。
「昨日のこと、何かわかった?」
「いやなんも。後輩の機嫌が悪くて何も進まなかった」
木霊木さんは少し申し訳なさそうに笑う。
「なんだかごめんね。私のせいで喧嘩しちゃったみたいで」
「木霊木さんは悪くないさ。あの後輩いつもあんな感じだし」
むしろ謝るのは秋心ちゃんの方だろう。
一方的に木霊木さんを嫌っているのは彼女の方なんだから。
「でも、二人とも本当に仲が良いよね。嫉妬しちゃうくらいに」
仲が良い……のか? 悪くはないとは思ってるけど。今日だってめちゃくちゃ怒ってたし。
て言うか今なんて言った木霊気さん。嫉妬? 聞き間違いか?
「木霊木さん、足……血出てる」
帰路も半ばに差し掛かったところ、木霊木さんが足を引き摺り歩いていることに気が付いた。絆創膏には血が滲んでいる。
最初はそんな事なかったはずなのに、今はとても痛々しい色だ。
考えてみれば、彼女の歩調が遅かったのも足をかばっていたからだろう。その赤は夕焼けよりも濃く映る。
「無理しちゃいかんよ、ほら」
手を差し出す。意味があるのかはわからないけれど、労りの気持ちはそうやって表すことしか出来なかった。
だって女の子とこんな時、どんな風に接すれば良いかわからないんだから仕方ないじゃん?
「ありがとう、火澄くん」
申し訳なさそうに手を取り、木霊木さんは困り顔で笑う。
恥ずかしいのか頬は空よりも紅い。
助けられる事は恥ずべき事ではない。逆に助ける事は立派な事でもない。だからその表情は必要ないのだ。
なんか俺、今格好良い事言ったっぽい。
「火澄くん、優しい人が好きだって言ったけど……本当に優しいのは火澄くんだと思うよ」
耳に届く言葉がはっきりとした輪郭を持っている。
他人に優しいと言えるその純粋さこそが、木霊木さんの優しさを保証していることに彼女は気付いていない。それもまた、彼女の優しさ故だ。
「あのね、私……火澄くんのこと……」
ボボボボ……。
昨日の記憶が蘇る。
冷や汗が流れる。焦げ臭さが鼻をついた気がした。
余計な思考は排除して振り向く。
デジャブだ。また件の火達磨が背後に迫っている。
木霊木さんの手を取り、また昨日のように走り出そうとした。しかしすぐに気付く。
木霊木さんの足からは痛々しい血が流れている。
立ちすくむ。恐怖は近づくほどに大きくなる。
いや、今回は恐怖を感じる暇すらない。可能性がないのだから、希望がないのだから、相対的な恐怖はなかった。
「火澄先輩!」
これもまた似た既視感だ。聞こえるのは秋心ちゃんの声。
刹那これは走馬灯なのだと思った。最後に思い出すのが秋心ちゃんであるのは、俺にとってそこまで意外な出来事ではないかもしれない。
しかし、ここに彼女がいるはずなんてないのに俺と火達磨の前に立ち塞がるのは確かに先程部室を後にした後輩、秋心ちゃんだった。
「逃げて!」
張り裂けそうな声。
広げられた腕が炎を通すまいと地面に対して水平に伸びている。
しかし、御構い無しの火達磨は勢いを殺さずに彼女に迫っていた。
秋心ちゃん、震えてるじゃないか。本当は恐怖で死んでしまいそうなんだろ? 逃げろ、俺のことなんかいいから、そこをどけ。
俺のことなんか庇うなよ。
いいから早く、そこをどけ!
「……!」
気が付くと俺は秋心ちゃんを抱きしめていた。そのまま火達磨を背にして目を閉じる。
彼女を守らなければと、ただそれだけだった。
どれだけの時間が過ぎたかわからない。時間は絶対的なものではない。俺と世界とでは確かに時の流れが相違した。
感覚にして数十分。実際には僅か数秒の出来事だろう。
結論から言うと、何も起きなかった。
この身が焼けることも、炎に包まれることもない。静寂だけが耳に残る。
瞼をこじ開け周囲を見渡す。
いつもと同じ帰り道が眼前に広がり、炎は跡形もなく消えている。
「……あの、火澄先輩……苦しいです」
胸の中で秋心ちゃんは顔を真っ赤にして呟く。
その小さな体は俺の腕の中で潰れてしまいそうに身を縮こませていた。
「無事でよかった……」
溜息が肺を満たし、ただ安堵感と炎よりも微かな温もりが心地良かった。
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