妬け狂う炎の噂

妬け狂う炎の噂(提起編)


火澄ひずみ先輩、遅刻です。ペナルティとして小指を咬み千切ってもいいですか?」


 罪に比して罰が重いよ!

 秋心あきうらちゃん、罪刑法定主義ってのがあってだね、罪に対して罰はおおよそ決まってるんだよ。君の気分次第で量刑を課せられたら溜まったものじゃないやい。


「なぜそんな仕打ちを受けなければならないのさ……」


「良いじゃないですか、別に減るもんじゃなし」


 減るっつうの、小指なくなっちゃうっつうの。

 確かに他の指に比べたら用途は少ないかもしれないけどさ。


「なんか文化委員? とか言うのに任命されて、仕事やらされてたんだよ。文句は担任に言ってくれ」


「なんですか? 文化委員って」


 質問するのは俺の専売特許だから、秋心ちゃんにそう聞かれるのもなんか新鮮でムズムズするね。

 じゃあ、今日は俺が秋心ちゃんの台詞を言うことにしよう。


「秋心後輩、そんなことも知らないんですか?」


 そう俺が言い終わる前に時が凍るのを感じた。

 こ、怖っ! 目が滅茶苦茶怖い! なにこれ、なんて言う表情なの? 瞳からハイライトが消えて暗黒物質作っちゃってるよ。

 ちょっとモノマネしただけじゃんか。いっつも秋心ちゃんこんな感じだよ? そんな怒らなくてよくない?


「今、本気で火澄先輩のことを壊そうと思いました」


 殺すって言われるより怖い。

 恐怖心から思わず敬語になっちゃう。


「あの……えっと文化委員と言うのはですね、俺のクラスにだけ存在する役職で、担任の授業の準備とかを手伝う……つまりは雑用係です」


「雑草係? あぁ、火澄先輩にぴったりですね」


「雑用ね、雑用」


「なぜそんなことをしなければならないんですか? 授業の準備なんて教師の仕事でしょう。お給料をもらっているんだから、自分自身でするべきです。それも職務なんですから。

 あたし、文句言ってきましょうか? そんな教員の好き勝手で部活動に支障が生じても腹が立ちます」


「い、いらんことせんといて……」


 秋心ちゃんの言うこともある種正論かも知れない。でも、実は俺の内申点が低すぎてその文化係たる役割が誕生したなんてもう言うタイミングなくしちゃった。

 ならもういっそ、ずっと隠してた方が良いよね。『毒を食らわば皿まで』だ。使い方あってる?

 それに、オカルト研究部って部活じゃないし。俺達が勝手に空き教室を占領して好き勝手やってるだけだしなぁ。

 何故だか今は黙認してもらえてるけど、教員連中の反感を買って使用禁止なんてことになったら秋心ちゃんもっと怒るだろうしね。


「だから明日は部活出られないから。よって休部にします」


「はぁ、そう言うことなら明日はお休みですね。なんならお手伝いに行きましょうか?」


「あ、いや人手は足りてるから大丈夫……」


「……まさか、あの木霊木こだまぎさんとか言う人じゃあないですよね?」


 うわぁ、秋心ちゃん超エスパー。

 木霊木さんが絡むと秋心ちゃんは不機嫌になるので、なんとなく伏せておくことにする。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「人数分のレジュメを用意するだけでこんなに大変なんだ。先生は毎日こんなことをしているんだから、感謝しなくっちゃだよね」


 そんなこんなで翌放課後でございます。

 木霊木嬢は僕の眼前で疲れたように笑っていらっしゃる。

 普通ならさぁ、『こんなめんどくさいこと押し付けやがって』って怒るところでしょ?

 しかし、木霊木さんは違うんです。まさかまさかの担任教諭を労わる言葉を見せるのです! 流石『天使』の謂れを持つだけあるよね。

 これ、秋心ちゃんだったら罵詈雑言の限りを尽くして口汚く罵ってただろうなぁ。


「木霊木さんこそ、手伝ってもらって悪かったね。ほんと助かっちったよ、ありがとう」


「お気になさらず。たまたま暇だっただけだよ」


 一仕事終えた後のジュースはなぜこんなに美味いのか。感謝の意味も込めて差し出したパックのコーヒー牛乳のストローを咥えながら木霊木さんは笑っている。

 あぁ、まじでこの人天使なんじゃないかしら。可愛らし過ぎる……飾りたい、剥製か蝋人形にして部屋に飾りたい……そしてたまに目が光ってびっくりしたい……。


「それで、お仕事はこれで終わりなの?」


「これを理科準備室まで運べば今日はもう帰って良いんだとさ」


 クラス人数分の書類は中々の量となった。

 なんで紙ってこんなに重いの? 持ちにくいし最悪。でも木霊木さんと一緒だからギリプラスかなぁ。


「火澄くんって、あの後輩の女の子と付き合ってるの?」


「はい? 付き合ってないよ?」


 突然何を言いだすんだこの天使ちゃんは。いけない天使ちゃんだぜ……。

 翼をもいでその付け根をちゅうちゅう吸ってやろうか……いかん、なんか変態チックな思考回路になってきたぞ。


「そうなんだ、よかった。

 なんかね、皆そんな噂してたから本当のところはどうなんだろうって思って」


 勘弁してくれ。秋心ちゃんと付き合うなんて滅多なこと口にするもんじゃないよ。

 そもそもなんだその噂、誰が流してんだ全く。根も葉も枝も花も実もないよ。ただの痩せた大地がそこにあるだけだよ。秋心ちゃんの耳に入ったら殺されちゃうよ。

『火澄先輩と恋仲を噂されるくらいなら死んだほうがマシですが、死ぬのは嫌なので代わりに死んで下さい』

とか言われる未来が見えるよ。

 て言うか何がよかったって言うんだろうか。


「知ってる? あの子物凄くモテるんだよ」


「あぁ、なんでもファンクラブなんかあるらしいな」


 知ってるし 思い出す度 腹が立つ。

 後輩への憎しみで一句できちゃった。


「ねー。だから、そんなあの子と噂になっちゃうなんて、火澄くんも隅には置けないね。全校の男子を敵に回しちゃうんじゃない?」


「いや、ただ部活が同じなだけなんだけど……」


「じゃあ火澄くんはあの子のこと好きじゃないの?」


 木霊木さんは重たい荷物を手にそんな追及を続けている。

 やっぱり女の子だから恋話コイバナとか好きなんだろうなぁ。でも別に面白い返しも出来ないし、そもそも何にもないんだしで返答に困る僕です。

 今言ったばっかじゃんかなぁ、部活の後輩だって。

 木霊木さんは追従の手を緩めない。


「火澄くんってどんな人が好きなの?」


「や、優しい人かなぁ……」


 無難です! 超無難な回答が出ました、火澄選手ここは置きに行きましたねー。

 若さ故のアグレッシブさを見せて欲しい場面でした。木霊木選手の果敢なプレスに比べても消極的な選択ですねー残念です!


「例えば?」


 なんだろ……例えばって何? 優しさの例をあげろってこと? 難しくないか、それ?


「今日みたいに仕事手伝ってくれる木霊木さんとか凄い優しいと思うよ」


「あ……あはは、ありがとう」


 おお、木霊木さんが照れている。

 この謙虚さも彼女の良いところだ。はにかむ姿も可愛らしい。

 これがきっかけとなり二人は親密な関係になっていく……。


 ボボボボ……


 なんの音だろう? 今いいところなのに。

 破壊音とも違うしかし焦燥感を体現したような耳鳴りが廊下に響いた。

 突如として現れた妙な息苦しさ、空気の湿り、額に滲む汗。

 その発生源となる後方を振り返る。

 遥か遠くに目を凝らすと、赤い光がチラチラと視界の端で踊った。

 更に目を凝らす。光は次第に大きくなる。視認できるほど大きくなったそれは全身燃え盛る人間……言うなれば、火達磨。

 人の形をした炎が手足を振り回しながら俺達を目掛け走って来るではないか。


「木霊木さん走って!」


 彼女の手を取り校舎から飛び出す。

 見るからにやばいタイプのヤツだ。これまでの経験から瞬時に『死』の一文字を引きずり出して反射的な行動に移る。

 夕暮れに差し掛かる世界の赤さが空を覆うけれど、背後から迫る炎の塊は容赦なく夏の影を燃やしている。


「ひ、火澄くん何あれ!?」


「わからないけど、逃げるしかないだろ!」


 いつだってなんだってわからないんだよ。だからそんな時はとりあえず逃げておくに越したことはない。

 目指す場所はプール。

 本能的な行先だった。相手が燃えてるんだから、水気のある場所に行こうと言う安直な発想。

 万が一炎に焼かれても直ぐに火を消すことができるし、何より咄嗟の判断だった。


 息が上がる。こんなことなら普段から運動しておけばよかった。

 火達磨との距離はどれほどだろうか。あと、このグラウンドを直線的に突っ切ればプールにたどり着く。

 部活動の終了時間を過ぎたばかりのグラウンドには多数の生徒たちが残っていた。しかし、彼等は俺たちの進路を塞ぐようなことはしない。

 当たり前か、こんな状況のやつ見つけたら、絶対道を開ける。


「うわっ!? なんだありゃ!」

「きゃぁぁ!!」

「も、燃えてる! 人が燃えてるぞ!?」


 悲鳴と野次が耳元をすり抜けていく。

 俺や木霊木さんにも見えたのだから、ほかの生徒に見えても不思議じゃない。その注目の真ん中にいる俺たちの後方では、炎の音がより激しくなるのが聞こえた。

 火達磨はそんな大衆に目もくれず、ただひたすら俺達を追ってくる。

 狙いは俺か? それとも木霊木さんか? どちらにしろ、今はただ走るだけ。


「あっ!!」


 木霊木さんが足を取られ倒れこむ。無理も無い、底の薄い内履きで校庭を走っているのだ。

 土の感触が靴底を通して伝わって来る。膝も震えるし胸も苦しい。

 振り返ると直ぐ目の前に火達磨は迫って来ていた。

 皆の息を飲む音がする。悲鳴や騒めきはピークに達そうとしていた。


「木霊木さんだろあれ! やばいって!」

「隣のやつ誰だよ!? 早く助けろよ!」

「あいつオカ研の……ほら! 秋心さんと付き合ってる……」


 木霊木さんを抱き起こそうとするが、間に合わない。彼女を庇うように立ち、耳をつく野次馬の声もほろろに目をギュッとつむる。

 正味な話、この時俺は生まれて初めて死を覚悟した。


「火澄先輩!」


 瞼を閉じていたのはどれくらいの時間だろうか。

 再び視界を取り戻した時、目の前に立っていたのは秋心ちゃんだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る