嘘爺さんの噂(解明編)


「まずは、日曜日に約束を破った理由を教えてください」


「寝坊しました」


「本当だね」


 嘘爺さんの判定を聞いて、秋心ちゃんは驚きとも呆れとも取れる表情を見せる。


「何時間寝てるんですか? 約束は昼の二時だったでしょう?」


 それは俺が聞きたい。

 彼女は溜息ひとつ挟んで再び詰問に戻る。


「ちゃんと反省してますか?」


「はい……」


「本当」


「あたしのお願いをなんでも叶えてくれると言うのは本当ですか?」


「で、出来る限り」


「本当」


 ここで満足そうな秋心ちゃんの顏が抜きで入ります。

 うわぁ、邪悪。


「それでは、ここからはプライベートな話に入ります。

 お母さんとお風呂に入っていたのは何歳までですか?」


 えぇっ!? そんな事まで聞くの!?

 抵抗しようにも、その加虐的な目に睨まれると指先まで痺れて何もできなくなる。

 超情けない。

 無駄だとわかっていながら微かな抵抗を試みた。


「え、ええと……幼稚園くらいかな?」


「嘘だね」


 ギャアア! すみません、ホントは小三まで入ってました!


「小学校三年生まで一緒に入ってましたか?」


「は、はい……」


「本当だね。お兄さん、ちょっとこれ恥ずかしいな」


 うるさいわ!

 て言うか秋心ちゃん勘良すぎ。ピンポイントで当てにくるなよ。

 その勘の良さがあればこの爺さん必要ないじゃんか。


「では次の質問に移ります」


「も、もうやめてあげて! このままじゃ心がもたない!」


 その言葉は届かない。

 糸の様に解れてただ虚空を舞うのみ。


「初恋はいつ、それは誰ですか?」


 ……ただ虚空を舞うのみ。


「し、小学校の時、同じクラスだった女の子です」


「本当」


「ふーん……その人の事は今でも好きですか?」


「いえ、もう昔のことなので……」


「……嘘」


 秋心ちゃんがピクリと眉を吊る。

 正直、この話にはもうこれ以上触れて欲しくないんだけど。


「その人とは今でも繋がりがありますか?」


「無いです」


「嘘」


「どのような繋がりですか?」


「……」


 ここで俺は少し言い淀む。


「先輩、ちゃんと答えてください」


 少しだけ瞳を閉じて、渦中の彼女のことを思い浮かべてみる。

 俺を呼ぶ声、手招きする姿、揺れる前髪、笑顔、笑顔、笑顔……。

 安らかな、笑顔。


「……年に一度、命日に墓参りに行きます」


 正直な話、このイエスノーの時間は俺にとって苦痛であった。話したくないことは少なからず俺にもあるし、でも嘘をつくこともまた許されない。

 加えて嘘を追及されるのは思いのほか疲れるのだ。……特にこの話題に関しては。

 最初から開け広げにしている思いなら、包み隠していた物を無理やりこじ開けられるよりも痛みは少ないのかもしれないという希望。

 だから、かなり迷いはしたけれど本当のことを話すことにした。


「……本当」


 その時の秋心ちゃんの表情を覗く事はできなかった。

 だってそれは想像に難くなかったのだから。こんな事を言われて、秋心ちゃんがどんな風に顔を歪めるのか、俺には簡単に想像できたのだから。

 彼女を傷付けることがわかっていたから。


 心地悪い時間が地球の自転を緩めているかのように、時はゆっくりと進んでいた。


「あの……すみませんでした」


 秋心ちゃんにそんな言葉を言わせたくなかった。だからこの話を掘り下げて欲しくなかったのに。

 でも彼女に罪はない。秋心ちゃんが気に病む必要なんてないんだよ。

 そう下手くそに強がって、でも口に出来るのは嘆かわしい程の陳腐な言葉。


「謝らなくて良いよ。気にしてないからさ」


 そう投げても秋心ちゃんは俯いたままだった。

 嘘爺さんの悲しげな目が俺と彼女を交互に見る。爺さんには、俺の心がどう言う風に見えているのだろう。

 爺さんは静かに言った。


「本当だよ。彼、気にしてないよ、本当に。だから元気出しな。

 良かったね、優しい先輩持って」


 嘘爺さんはそう嘘を付いた。

 その嘘はとても温かかった。

 沈黙が浮遊する。住宅街の喧騒は際立って耳に届くけれど、今はただ寂しさを助長するだけだった。

 秋心ちゃんはポツリと口を開く。


「最後に、ひとつだけ」


 消え入りそうなその声は微かに響く。


「……あたしと一緒にいて、嫌じゃないですか?」


 まさかそんな事を言われるとは思いもしなかった。

 毎日の様に罵られて、死ねだの殺すだのと物騒な言葉を投げ付けられて、よもや後輩とは思えない振る舞いを見せる後輩、それが秋心ちゃんなのだ。

 俺の後輩はそんな秋心ちゃんだけだ。意地悪く笑う顔だけがあれば良い。そんな君だけが心に残っていれば良い。

 だからそんな悲しいことを聞かないでくれ。

 そんな悲しい質問をしないでくれ。

 そんな悲しそうな顔をしないでくれ。

 君がそんな顔をすると、俺まで悲しい顔になる。


「……嫌じゃないよ」


 爺さんは少し間を置いて言う。


「本当だよ」


 それでも秋心ちゃんは言葉を返さなかった。

 日が沈み始め、俺に背を向ける彼女はまるで泣いているかの様に小さく、そしてか細い。

 影に隠れるように、身を潜めながらまた沈黙は続く。


「もうこれで終わりかい? なら日も暮れてきたから早く帰りな。家の人が心配するよ」


 爺さんの言葉に秋心ちゃんは公園の入り口に歩き出した。

 俺は嘘爺さんに向き直り礼を言う。


「あの、ありがとうございました。それと、変な話になってしまいすみません」


 爺さんは優しく微笑む。


「良いってことよ。

 実は俺な、若い頃詐欺師だったんだわ。そりゃあもう、死ぬほど嘘を吐いたしそのほとんどがお天道様の下で言えるもんじゃない。

 そんだけ嘘を吐いてたからか、不思議なことにいつの間にか人の嘘がわかるようになったんだよ。

 今じゃすっかり心を入れ替えて、こうやってお兄さん達みたいなのの相手してるわけ。でも、久し振りに嘘吐いたわ。まぁ、嘘も方便だわな」


 カラカラと笑う爺さんに、俺はただ黙って耳を傾ける。


「大事にしなよ、あんなべっぴんさん逃したら後悔してもしきれんだろう?」


 無言で頭を下げて秋心ちゃんの後を追う。

 返事をしようものなら俺の彼女への想いが爺さんにバレてしまうと思ったから、返事は言葉にはしなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 秋心ちゃんは無言を保ったまま歩く。俺もそれに付き合うことにした。

 思い返しながら帰路を歩む。

『初恋の人の事を今でも好きか』に対する俺の『もう忘れた』と言う応え。これに確かな感情を見つけ出せずにいた。

 俺は本当に、確かに抱いていた彼女への好意を忘れてしまったのだろうか? 嘘爺さんは『嘘』だと答えた。

 その言葉に彼女を思い出さずにはいられなかった。

 でも、自分に答えがわからない問題の答えは、答え合わせのしようがない。

 爺さんが俺の心をどう読んだのか、本当に俺は未だ彼女の事を忘れる事ができず、まだ引きずっているのかどうかは、きっともう見つからない感情なのだろう。

 それはとても悲しい事なのだけれど、今は考える事はやめにする。

 今は肩を落とす秋心ちゃんを気にかけてやることが先輩としてしなければいけない一番のことなんだから。


「……あの、火澄先輩。お願い事が決まったので聞いてもらっても良いでしょうか?」


 前触れなく秋心ちゃんは零した。

 俺は頷いて彼女を見つめ返す。


「……今日のあたしを許してください」


 もう一度頷いた。

 そんなことはお安い御用だ。最初から怒ってなんかいないよと言いそうになり途中で言葉を飲み込む。そんな言葉は彼女を慰めることにはならないとわかっていた。

 本当にずるいのは、酷いのは俺の方なんだよ。

 俺には断る事ができた。君の質問に、答えたくないと首を横に振る選択肢はあったんだ。秋心ちゃんは優しい子だから、文句を言いながらもきっと、その主張を受け止めてくれただろう。

 でもそうしなかったのは、俺が自分の本当の気持ちを確かめたかったからなんだよ。

 自分でも掴めない気持ちを、嘘爺さんの力で確かめたかった。

 秋心ちゃんが悲しむとわかっていながら、俺は問答を続けてしまったんだよ。

 結論は、先に語ったとおりだ。

 だから本来必要のない秋心ちゃんの願いを、俺は聞き入れる事にする。


 秋心ちゃんは前髪を掻いた。

 そんなことしなくても、夕闇は充分に君の表情を隠している。

 俺には彼女の涼しげな目元も雪のような肌も見えてはいないのだ。


「……あたしのこと、嫌いにならないでください」


 そう付け足された言葉は二つ目の願い事。

 約束では叶える願い事はひとつだったはず。だからこの願いに頷くことはできない。

 無言で再び歩を進める。それで秋心ちゃんへの答えとした。

 約束なんかしなくても、彼女を嫌いにならないでいられる自信が俺には確かにあったのだから。



おわり

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