第2話 大穴の外の世界
生み出した翼で飛び上がること数分。
通常の飛行生物ではあり得ない速度で急上昇していた黒の少女は、闇の先に小さな光を見つけた。それは上昇する度に大きく輝きを増していく。
黒の少女は反射的に目を瞑った。少女自身は何故瞑ったのか分かっていないが、そんな疑問諸共すぐに光に覆われた。
勢いを殺すことなく黒の少女はアヴィス・ホールを飛び出した。そのままの速力でさらに上昇し、地上から遠く離れた場所でようやく停止した。
そこで黒の少女は目を開けた。
そこは少女の生まれた場所とは違って、光に溢れた世界だった。
眼下の大穴の周辺は邪気の影響なのか荒地と化しているが、それより先は、ヒトの手が届かない果てである為か、大地は野生化した自然に侵食されて緑が大半を占めている。
穴に入って来た彼らのような者は近くには感じられないが、それとは別の生命は感じる。
飛行中の黒の少女の身体には日光の熱と爽やかな風が当たる。闇の中ではこのような暖かな日光が注ぐこともなく、悪意の奔流ならともかく爽やかな風というものもあり得ない。地上の環境は実に不思議。
黒の少女はゆっくりと降下し、ここで始めて地上に足を付けた。
地上の土は、乾燥しているのか岩盤なのかもはっきりしない穴の底程固くはない。黒の少女は足で妙に柔らかい地面を踏みしめている。
暫く土を踏みしめた後、黒の少女は歩き出した。
当てや目的は勿論ない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
黒の少女が初めての地上を彷徨っている頃、その遥か遠くではこの辺りでは珍しいヒトの集団が馬車に乗って大穴――ではなくその辺りの方角へと向かっていた。
「おや? 以前よりも魔粒子濃度が薄く感じられますな」
馬車に乗っていた男の一人がそう呟いた。
男はすぐさま自身の隣に置いていた荷物から道具を取り出すと詳しく調べ始めた。
魔粒子とはこの世界の空気中に存在する特殊なエネルギーの研究上の名称である。研究上ではあるが、一般でもこの名で通っていたりする。
この男はこの魔粒子のさらなる可能性を探すために独自に研究を行っていて、そのためにこの地に何度か訪れていたりするのだ。なんでも、アヴィス・ホールの存在が魔粒子に変化を与えていると踏んで。
「ふむ……」
「どうしましたかドクター。信じられないことでもありましたか?」
近くに居た男がそう言った。
彼は目の前で研究を始めた男、テリエスの助手としてこの場に同行している。彼は助手という立場だが生粋の科学者ではない。だけど何かと勘がいいので採用されている。
彼の他にもこの場には同行者がいる。
助手がもう一人と、馬車を引いている二頭の馬にそれぞれ乗っている兵士が二人の計五名でこの地に赴いている。兵士はそれなりに上等な装備を纏っている。所謂傭兵という金で雇われた者たちである。
ちなみに、研究をしているテリエスはドクターと呼ばれたが勿論医者ではない。
「やはり数値が異常に変化しているな」
テリエスは思った。
魔粒子と言うものは波に例えられるように濃度に強弱が存在する。昨日までは魔粒子の利用がしやすかったのに、今日になったら扱いにくくなったというのはその為である。
なので生活圏ではある程度その上下する波を和らげるように色々と試行錯誤されている。
それとは対照的に自然界での魔粒子はそういう施しが無いため波のように常に変化している。計測を何度か行う内にその濃度の上下もある程度は把握してある。
だけど今回のこれはその記録からは外れている。
―――濃度が薄すぎるのだ。
以前に此処を訪れたのは数週間前。
その時に計測したものは平均より少し低いぐらいで、それでも把握以内だった。
普通自然界の魔粒子は上下してもその変化速度は緩やかだ。なので一月感覚で測ってもそれなりのデータがとれる。
今回は都合があったのでいつもよりも少し早いが、様子見として来たつもりだった。データ通りならまだ緩めの変化程度だろうと思っていた。
だと言うのに、記録の最低値よりも遥かに少なくなっていたのだ。
考えれば可笑しいことだ。ヒトは魔粒子の変化を素で感じることはできない。出来たとしてもそれは扱いに精通している者たちぐらいだ。私はそれなりの期間この研究をしているが可視化しなければ微量の変化も気付くことはできない。
そんな私でもこの変化に気付いたのだ。これは異常事態だ。何かが起こっているのか?
――――――――――――!!
テリエスがそんな疑問を考えている時、森の中に地響きのような音が響いた。そのすぐ後には生温い怪しげな風が一帯を吹き抜けた。
その風の異様さに触れて馬車はその場で止まり、馬が慌てだしたのを傭兵の二人がすぐに落ち着かせている。
「なんだ今のは…?」
「音も風も奥から来たようですね。何かが起こっているのでしょうか?」
起こっているという予測は恐らく正解だろう。この近くにはアレがある。何か不穏なことが起こっても不思議ではない。
だが、確認に行くかどうかというのはまた別の話だ。今迄の計測ではなかったイレギュラーがそこにはあるかも知れないと研究者としての性が疼いている。だが、恐らくそこには今迄には無かった危険があることだろう。
私の勘がそう告げている。
「ドクター、数値に変化が!」
助手のもう一人に言われてテリエスは道具を確認した。
すると、先程まで最低値を表示していた濃度数値が、今度は記録上の最高値を上回っていたのだ。だが、それはすぐに減少傾向へと移った。
これはもしかしなくとも先程のことが原因だろう。となると今の風の発生源に行かなくてはならない。
だが、私一人ならともかく連れて来た彼らをそんな目に合わせるわけにはいかない。
私は決めた。
「私が様子を見てこよう。君達は私を降ろした後に離れたところで待機していなさい」
テリエスは同行者の安全を考えてこう言った。これなら危険があっても巻き込むことはない。
だが、残りの者たちはそれを良しとはしなかった。
「何を言っているんですか!私共もお供します!」
「そうだぜ、傭兵の俺たちはアンタ方の護衛で来てんだ。それを依頼者を放って離れた場所で待機とか何しに来たのか分からねえよ」
彼らの意思は固いようだ。
テリエスは提案を一度取り消して他の者達とどうするかを考えることにした。
その結果、テリエスは折れることにした。
「では確認と、可能なら採取が出来次第戻ってきます」
「この兄ちゃんの事は任せな。無事に戻ってくるさ」
妥協案として出されたのは、助手と傭兵を一人ずつ選んで原因を探りに行き、私と残りの二名が残ってこの場から出来る調査を試してみるということだった。
こうして二人の先遣隊は原因を探しに行った。
そして見送った後、テリエスは決めた通りに道具を広げて調査を開始した。
そちらは任せたぞ…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
テリエスたちが二手に分かれて調査を始めた頃。
黒の少女は襲い来る獣などを一方的と言える程に制圧していた。
飛来してきた怪鳥を叩き落として引き千切り、同じように飛来してきた鳥の群れは巨腕のように変形させて薙ぎ払い、突っ込んできた猪は咢で噛み砕き、最後には全て綺麗に喰らっていた。
当人としては何も考えておらず、ただ攻撃してきたから同じように攻撃したといった感じで、狩猟本能が疼いたとかでも無ければ、防衛したと言う訳でも無い。
言うなれば、初めに見た攻撃という行為を繰り返しているだけ。そこに意思などは感じない。
繰り返しているだけといっても、動きまでを真似ている訳ではない。攻撃の度に成長し、無意識の内に手段の幅が出ている。
その都度、衝撃波とも言える黒い旋風が巻き起こされ、それらが周りにも影響して、弱性生物は自分から逃げていく。それでは逃げない生物は叩き潰して飲み込んでいるので、黒の少女の周りには生物が文字通り居なくなっていく。
ちなみに、テリエスたちの調査することにした原因は、間違いなく黒の少女のこの行為である。
黒の少女は生物反応の消えた森の中を彷徨う。
生物が居ようが居まいが関係ない。ただ進むだけ。
「ア………」
そんな黒の少女の前に敵性反応が現れた。
それは彼女を包囲するように続々と増えていく。
そしてその包囲の中心、黒の少女の正面に飛び出した一つに影。
「コノ気配ノ正体ハ貴様カ…!」
ヒトの言語を理解しそれに近い形に進化した亜人、人狼。
周りにはそれが率いる黒い狼の群れ。
黒の少女は答えることは無かった。
黒の少女は人狼の言葉を理解できなかった。内容が、ではなく言葉そのものを理解しようとはしなかった。
黒の少女は言語を発するようにはなったが、それは単なる発声であって意味を持ってはいない。つまり意思疎通は成り立たない
「マア良イ。
コノ世ハ弱肉強食ダ。ヒトナラザル気配ヲ持ツ貴様ヲ喰ラエバ我ラハ更ナルチカラヲ得ヨウ。」
喰わせてもらおう、と人狼が言った途端、周囲を包囲していた狼たちが襲い掛かった。
黒の少女は動かない。
狼たちは戦術かのように数で襲い掛かり、少女の身体を一喰らい喰いちぎると駆け抜けて他の狼と交代する。
だがそれも一度の変化で止まった。
「…何ダ…コレハ…?」
変化は各所に起きていた。
人狼の眼前には各部位から血を流しながらも表情一つ変えていない黒い少女と、その近くで立ち止まっては苦しみだす狼たち。
喰い千切られた部分や少女から飛び散った血は時間が経ってはいないと言うのに黒かった。
それだけではなく、喰い千切られて血が噴き出していた部分はいつの間にか血が止まっており、終いには負傷前の状態に戻っていた。
狼に変化起きているのは黒の少女を喰らった狼のみ。まだ攻撃していないには何も起こってはいない。
その喰らった狼だが、今も苦しんでおり、次第に身体が体毛とは別に漆黒に染まっていく。その漆黒は自由を奪っていく。
「グルォ…ォ……」
そして漆黒が全身に染まった時、内から破り出るように黒い棘が出現して身体が弾けるものも居れば、身体が砂煙のように崩れていくものも居た。
喰らった狼全てが例外なく消滅していった。
場に残ったのは無傷にまで戻った黒の少女と無惨に滅びた半数の狼の死骸。その死骸たちも黒の中へと取り込まれていく。
「グル……」
「ガゥ…」
その光景を見ていた残りの狼たちは、本能が黒の少女を危険と判断して徐々に距離をあけていく。
その中で一体だけ本能に抗いながら黒の少女を見据える者が居た。人狼だ。
一体何ナンダコイツハ!
ヒトノ形ヲシテワイルガ、ヒトデハナイコトハスグニ分カッタ。
ダガ、動キノ全テニ強者タル素質ハ感ジナカッタ。コレハ楽ナ得物ダ、ソウ思ッテイタ。
ソレガドウダ、コノ様ハ!
部下ノ狼ノ半数ハ漆黒ニ消エ、残リノ者モ次々ト制圧サレテイク。
我ラハトンデモナイ物ニ手ヲ出シタノカ。本能モ叫ンデイル。
ダガ、ソレニ従ウ訳ニハイカナイ。
我ラハ捕食者ナノダ!
「グルル―――アオォォォォォォォォォン!!!」
人狼は空を向き、士気を鼓舞するかのような高らかな遠吠えを響かせた。それに応えるように残っていた狼たちも遠吠えを始めた。
遠吠えが消えた後、狼たちは恐怖を完全に捨て去ったように再び敵意を剥き出しにしていた。
そして命を捨てたかのような特攻を始める。今度は噛みつくのではなく爪で斬り裂く手段で。
黒い血が飛び散る。
だが、いくら皮膚を斬り裂こうと、いくら血を飛び散らそうとも、やはりすぐに再生されて致命傷には至らない。
そしてやはり黒の少女はけろっとしている。
それとは対照的に狼たちは疲弊していく。
そして、動き出した黒の少女の行動で、捨てたはずの恐怖が再び呼び起こされる。
黒の少女の両腕が咢、いや、二頭の黒竜となって辺りの敵を飲み込み始める。
逃げようとしても竜が意思を持っているかのように追い続け、抵抗もままならずに次々と噛み砕かれていく狼たち。
最後に残ったのは人狼のみ。
二頭の黒竜は人狼に狙いを定め、障害物を破壊しながら迫っていく。
「グッ…!」
人狼は他とは違う機敏な動きで迫りくる黒竜を躱す。だが、いくら躱しても振り切れないことを分かってしまっており、覚悟を決めたように黒の少女の正面に着地する。その両側面から竜が迫る。
「グォ……ォォォォォォオオ!!」
最後の抵抗とばかりに両手を両側に向け、突進してくる二頭の黒竜を受け止める。
黒竜に触れている手は漆黒に犯されていき、やがて感覚も失われていく。
「ォォ……ォ…――」
腕の力がなくなって止められなくなったことで竜は腕を弾き、両側から人狼に噛み付き、その身体を二つに引き千切った。
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