死者と生者


「重雄、ねぇ重雄ったら、そっちにいるんでしょ。返事してよ」


橋のちょうど真ん中辺りまで歩いてきた麗奈は叫んだ。絶対に重雄が迎えに来てくれると信じて。


「私疲れちゃったの。だから車で迎えに来てよお願いだから」


その橋は麗奈が思ったよりも長くて対岸の風景は見えているのにいっこうに向こう側に渡れる感じではなかった。

裸足で歩き続けてきたがさすがに限界が彼女にもきていた。


「あー、もう歩けないわ」


麗奈は道路に大の字になって仰向けになる。永遠と先の見えない橋を歩くのはうんざりだった。

コートの前ボタンは外れ白い肌が完全に浮き彫りになってしまったが、この姿をいまさら気にしたところでどうせ誰もいやしない。


「眩しい」


空を見上げると太陽が煌々ときらめいていた。その輝きはまるで彼女に生きる希望を与えているようにも見える。麗奈は両手を上げて太陽を手につかもうとしたが取れるはずもなく両手は重力に従って地に堕ちた。


「ねぇ、これからどうすればいいのよ!」


渡り始めた当初は全然余裕だろうと考えていた赤くて長い橋は麗奈を向こう岸まで渡らせてくれない。まるで歩けば歩くほど遠ざかっているようにも思える。


「もう、誰でもいいから教えてよ!」


「私は生きてるの、死んでるのどっちなのよ?」


「死んでいないのだったら、早く生き返らせてよ…」


「……私は生きたい。死にたくない。死にたくない。生きたいの」


彼女の目から涙がこぼれる。


「生きて…生きて、やっぱり大好きな人に会いたいの」


涙が頬を伝い地面に落ちていく。


「…まさゆき、昌幸に会いたいのよ!…お願いだから!私を助けて!」


涙の混じった叫びだけが風とともに空へと流れていく…。


…………ワン


「……?」


突然、何かが聞こえたのはその時だった。

風の隙間から何かの鳴き声のようなものが聞こえた気が…、

麗奈は目を閉じ耳をすませた。


…ワン


風音に混じりながら聞こえた鳴き声、


「……いぬ?」


鳴き声はさっきまで自分がいた橋の向こう側から風に流され聞こえてくる。

大の字になって寝ていた麗奈は起き上がると鳴き声のする方へと歩み始めた。

ふと気がつくと目の前には橋の先端がすでに見えている。


…あれ?さっきは真ん中まで行くのにもかなり時間がかかったはずなのに。


行きとは違い帰りは不思議とすぐに元の場所に戻って来られた様な気がする。疲れも感じなてはいなかった。


「ワン、ワン」


この犬の鳴き声に麗奈は憶えがあった。


…懐かしいな……クロ


彼女が産まれてすぐに父親が飼い始めた芝犬のクロ。

幼い頃からずっと一緒だった大好きなクロ。両親が仕事で家に誰もいなくて寂しかった時もクロのおかげで悲しい事も乗り越えてこれた。麗奈にとってはかけがえのないパートナーだった。

だが、友達だった彩花の死を追うように1週間後に死んでしまっていた。


麗奈はもう一度大声で自分の愛犬を呼んだ。


「クロ、クロ。どこにいるのこっちにきて」


愛犬を必死に呼んでいる彼女。


彼女のその姿をじっと眺める人影が百合の花が咲きほこる川岸に立っていた。

傍らには黒い犬が長い尻尾を振って座っている。


『クロ、ご主人様が呼んでるから行ってあげたら』


「ワン」


軽く吠え、立ち上がると堤防の土手をご主人様めがけて勢いよく駆け上っていくクロ。

その様子を笑顔で見届けた彩花は、表情を少し強張らせたがすぐに落ち着き、1人と一匹が戯れている場所に向かってのんびりと歩みを始めた。


麗奈は不安だった。さっきまで聞こえていたクロの鳴き声が突然聞こえなくなってしまった。

愛犬だったクロの名を思いっきり叫んでから反応がない。

さっきの鳴き声は私のそら耳だったのかしら?もしかしてクロじゃなかったのかな?そう考えもしたが、すぐに否定した。

あまりにもはっきりと聞こえていたし、何年も聴き続けてきたあの鳴き声はクロだろう。

それにせっかく誰もいないこんな場所に1人でいるよりも知り合い…?(もと飼い犬)でもいないよりは幾分まし、だから余計に聞き間違えなどとは認めたくなかった。

もう一度呼んでみようかなと彼女が考えていると、土手の茂みから何やらガサガサと音が聞こえ黒い物体がとびかかってきた。


「クロ!」


「きゃあ、くすぐったいから」

麗奈の胸に飛び込んで押し倒したクロは彼女の顔を舐めまわす。


「クロ、私に会いに来てくれたの?」


「ワン」


久しぶりの飼い主との再会に喜びを隠せないクロは長い尻尾をぶるんぶるんと横に振り彼女に抱きついていた。


「どうして、すぐに会いに来てくれないのよ」


「ワン」


「私、もの凄く寂しかったんだから」


クロの体をそっと抱きしめる、涙がまた麗奈の頬を伝っていた。


「クーン」

クロが長い舌で彼女の涙を拭き取ってくれる


「やっぱり優しいねクロは、ありがと。」


「ワン」


…久しぶりのクロとの再会。

…本当ならのんびりと戯れていたいたいのだけど、そうも言ってられない。

…それに確認したいこともあるし。


「でも、どうやってここに来たのクロ?私、死んだの?」


「ワン、ワン」


当然、クロからの返事はワンだった。麗奈はがっかりした。

実はほんの少しだけ期待していたのだった。クロが言葉を喋ってくれるのではないかと、もしくは自分がクロの言葉が分かるのではないかと本心では。


「そうだよね。犬語なんて分かんないよね…。漫画やアニメじゃないんだから」


「また、振り出しかぁ、ここは一体どこなのかしらね。」


クロは無邪気にまだ尻尾を振り続けている。


「でも、クロがいるだけまだいいか」


クロが来てるだけで随分と淋しさが和らいだ

愛犬の頭を撫でてあげるとクロは気持ち良さそうに麗奈に身を寄せる。


「そうよ、私は強くて美人で賢い麗奈。だからこんなところでくじけてる場合じゃないの」


『へぇー、さっきあれだけビービ泣いてたくせに?』


「うるさいわね。あれは目にゴミが入っただけで泣いてなんかいないわよ。……?」


……ん?この返しがすごく懐かしい。あの時はよくこんな口喧嘩してたかな。

……⁇、目の前には愛犬の顔が、クロが喋った?

…そんな事あるわけないじゃないの。だってこの声…

クロ、ちょっとだけどいて。


『ふーんそうなんだ。』


「…そうなのよ、…なんか悪い。」


『べつに、…………それだったら何で今も泣いてるのかなと思って』


「それは、……あなただって同じでしょ」


『……久しぶり麗奈』


麗奈に言われ自分の涙を手で拭い彼女に話しかけた彩花。

だが麗奈からの返事はなかった。

代わりに風も止んだ静寂の中、彼女のすすり泣く声だけが彩花には聞こえていた。







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