理事長のお仕事

「臨時教師のかたでしたか、先ほどはすいません。僕はてっきり不法進入者かと思って…、」

昌幸は、彩花が指を指した先生と一緒に学園内の敷地を歩いていた。


ーー不法進入者って俺の事ですかね?俺には目の前のあなたの方が不審者だとおもいますが?


「…あ、申し遅れました。僕はこの学園で化学を教えている栗本拓巳と言います。」


ーーあ、じゃないよ。初めての人に会うときはまず名前からって親に教わらなかったのか?こいつは!


「私は、毎朝登校している生徒に危険がせまってないか監視しているのです。」


ーー監視じゃなくて、観察の間違いだろ。あの目は!だいたい、門に守衛がいるから不審者なんて簡単に入ってこないよ。


「そうなんですか。大変ですね、栗本先生も朝早くから毎日。生徒の皆もきっと頼りにしていると思いますよ。」


自分のしてきた事を正当化する栗本に対し、ねぎらいの言葉を俺はかけた。

「当然の義務です。」栗本は胸をはる。


ーーダメだこいつは


ーーしかし、こいつには本当に驚いた。


栗本は突然、俺を見るなり遅いかかって来た

俺はもちろん避けそして、撃退した…

というよりは勝手に自分の足につまずきこけただけだったが…。


「お待たせしました」


学園の女性教頭が現れて、応接室の椅子に待っていた昌幸に声をかけた。

俺は、あのキモい栗本に連れられ学園内の応接室で待たされていた。


「学園理事長が戻りましたので、どうぞ」


「恐れいります」


教頭は俺に全く女らしさを与えなかった。

女には違いないが、若くもないし、女らしいところがまるでない。まるで丸太がメガネをかけているようだ。

理事長室に入ると、一瞬、俺は別の国にいるような錯覚がした。広い室内は深い絨毯が敷き詰められ何処かの宮殿に迷いこんだかのようだ、部屋の中央には、最初に案内された部屋の椅子やテーブルとは全く違い、昔の貴族なんかが使っていそうな応接セットが鎮座している。両側の壁いっぱいの本棚には、図書館の奥深くに眠っていそうな、分厚くて俺なんかが見ても何の役にもたたなさそうな本がずらりと並んでいて、どうみても漫画や週刊誌はなさそうだ。奥の英国感漂う机から、いかにもこの部屋にふさわしい紳士が立ち上がった。


「理事長の水嶋重雄です。」


すらりと長身の紳士は、机をまわってにこやかに俺のほうにやってきた。四十代後半ぐらいだろう。これまた英国製らしい落ち着いたスーツを着こなし。真のリア充とはこういう感じなんだと思わせた。


「あのー」


「高野先生の代わりにみえた村重先生ですな?先生の事は知り合いから伺いました。こんな何もない所にわざわざご足労願って恐縮です。どうぞ掛けてください」

どうも……」

昌幸は何だか落ち着かない気分で椅子に腰を降ろした。


「葉巻を吸わせてもらってもよろしいかな?」


「そんなに気を使われても…僕が困るんですが。大丈夫ですよ吸っていただいて。」


「あのー、すいません。」


「どうかされましたか?」


「私立学園に赴任するのが初めてなので分からないのですが、この業務は理事長がする事なのでしょうか?普通は校長や教頭がする事ではないのですか?」俺は疑問に思った事を尋ねた。


「何を言ってますか。村重さんほど優秀な方が我が校に見えてるんです。私がお会いしない訳にもいかないでしょう。それに、校長は今、外出中なのでね。」


ーーーどうもおかしい。俺がかなりVIP待遇されてる気が、昌幸は首をかしげる。

水嶋は高級そうな細工を施したシガレットケースを開け、葉巻を取り出し火をつけた。


「何か飲みますか、ちょっとお待ちを。」

水嶋は机の上の電話のボタンを押して、


「高橋さん、コーヒーを淹れてください」と呼びかけると「いや、知り合いから色々噂は伺っておりますよ、アメリカの有名大学に十七歳で入学、二十歳で卒業。その後も向こうで色々活躍なさったそうで。」……俺は耳を疑った。


ーーはい、なんですと?俺がアメリカの大学に入学?しかも飛び級で……。

犯人はおじさんか、あの人コネで紹介してくれたのはいいがどんなデマを巻き散らしたんだ


ーー確かに全部任せたけどおじさんに…

だけどバレたら、クビなんだが。

「でもどうして、日本に戻って高校の教師になられたのですか?村重さんほど実績がある方なら、他に色々出来たのでは、それこそ教師ではなく大学の教授にでもなる選択はあったでしょう?」水嶋が不思議そうにたずねた。


ーーそれはそうだよな、誰もが疑問に思うよな。どうする正直に話すか、それとも…

「それは、今の若い世代。特にこれから社会に飛び立ち活躍するであろう子供達に僕が学んだ事を身近に教えたいと思うからです。大学の教授になってしまうと僕の経験上、学生一人、一人としっかり接するのは難しいので一番生徒との距離が身近で僕の話す事も理解できる年齢が高校教師だったと言う事です。」

水嶋が黙ってしまった。どうしたんだろう。不安になったので、

「理由になってませんか?」と聞くと


「…素晴らしい村重さん、今時あなたみたいな教師がいるとは私は感動しましたよ。」

水嶋はすごく共感しているみたいだ。


理事長室のドアが開き高橋教頭がコーヒーを運んで入ってきた。


「特にこの桜川学園の生徒さんは成績優秀でマナー秩序もしっかりと行き届いてるとか、地域とのコミニケーションもしっかり出来ていると近所の住人から伺いましたよ。」


……全部嘘である。俺は理事長の態度を見て、何かの役に立つかもしれないとご機嫌取りをしただけだ。


「これも、理事長の方針のおかげですね。」


「いやいや、照れますな。私のおかげだなんて。ですが、私は何もしてないですよ。学園の生徒には自分のやりたい事を自由にやらせてるので、私の方針で。」

上機嫌な理事長。


ーー単純でわかりやすいな。理事長。

教頭が運んできたコーヒーを口に含み


「よし、私が今から村重君が受け持つクラスを紹介しよう。」話し終えたところで理事長の携帯が鳴ったが、すぐ鳴り止んだ。メールか何かだろう。さして気にもせず運ばれてきたコーヒーを飲んでいると


「すまないが、少しだけここで待っててくれないか、職員室に用事があるものでな。すぐ戻ってくる。」


「いえ、お構いなく。」

理事長は足早やに外へ出ていった。


誰もいないのを確認する。広いといっても、直ぐに部屋全体が見渡せる。ぐるっと見渡し……彩花がいた。


「彩花。」


『なぁに、ゆっくん?』


「この学園って本当に東海地方でトップクラスなの?」


『文系はね。でも文系だけだったら東海どころか全国クラスかも。』


「それなのに、理事長があんな感じで大丈夫?」


『理事長は経営だけしてればいいから、アレでいいんじゃないのかなぁ。』

そうして、俺の方を見た彩花は話しをつけ加える。


『あ、でも私が初めてお話した時はもっと学園理事長らしく立派で優しく素敵な人に見えたんだよ。…この人なら一回ぐらい間違いが起きてもいいかなぁーって。お金も持ってるから将来安泰だと思ったのに。…うーんでも、今見ると微妙かなー。』


「おい、彩花。」


『冗談だよ、ゆっくん。嫉妬しちゃいましたか?可愛いー。』

彩花の言葉に昌幸は赤くなった。


『さっき風香にデレデレしていた、ゆっくんに仕返しですよ。』

まだ根に持っている彩花、顔は笑顔なのに怖いよー。


「…話しがそれたけどそんなものなのか理事長って…。でも俺、この学園に来てからまともな人間に会ってないような気がする。」


『…生徒が真面目だから先生達は多少おかしくても大丈夫なんでしょ』

俺は冷めてぬるくなったコーヒーを飲んで一息ついた。


「それは、俺も含まれてるの?彩花」


『そうかもしれないですね、ゆっくんも生徒にデレデレする変態さんだから』


ーー彩花、笑顔で言うのやめて。怖いから。


『でも、ゆっくんもなかなか口が上手いよ。あれで、何人の女子生徒が毒牙にかかるんだろなー、理事長を上手く誤魔化したようにね。』


ーーそこまで根に持たないで。お願い。もう勘弁して下さい。


「しません。絶対に。そういう事は。」


『はい、はい。一応信用しときますね。ゆっくん』

彩花は、するっとながした。


ーー自分から振ったくせに


『ゆっくん…なんか言った?』


「いや、なにもです。…それにしても理事長遅くないか」


『うーん。お花摘みじゃないですか。』

彩花はかるーく流したが

彩花と話しをして時間をあまり気にしてなかったが時計を確認すると午前9時を回り

理事長が部屋をでてから二十分は過ぎていた


ーーーバタン

理事長室から出た水嶋は足早やに職員室とは逆方向に向かっていた。

廊下は走らないと生徒に徹底させていたので

自分だけが走る訳にはいかない。だから足早やに歩く。時刻は8時40分過ぎHRがそろそろ始まる時間の為、生徒達が自分の教室に向かい初めていた。


「理事長、おはようございます。」

すれ違う生徒が理事長に話しかけてくる。


「おはよう。智子君風邪はもう大丈夫かな。」


「はい、ありがとうございます。心配していただいて。もう大丈夫です。」


「そうかね。それは良かった。あまり無理はしないようにしたまえ。」


「わかりました。無理しないように頑張ります。」そう言い生徒は教室に入っていく。

目的の場所に急いで行こうとした水嶋にまた別の生徒が話しかけてきた。


「あ、理事長。おはようございます。昨日は学食奢っていただいて本当にありがとうございました。」


「えっと君は、梨花君だったな。別に構わないよ奢るくらい。ただ、ダイエットしてるからって朝、昼、食べないなんて事はしないようにするんだよ。」


「え、知っていたんですか?私がダイエット中だって。」


「ああ、君の友達から『梨花が一週間ほど朝、昼食べてない』そう聞いてたからね。だから心配して昨日昼に声をかけたんだよ。」


「私って食べるとすぐ体についちゃうので」


「ダメだよ。食事は大切なんだから、朝も昼もしっかり取りなさい。それに学園内で倒れたりしたら彼氏にも悪いでしょう。」すると彼女は顔を赤くして

「はーい。これからはしっかり食べます。」

照れながら理事長にお辞儀をして教室に入って行った。


自慢ではないが、水嶋は全生徒の顔と名前を覚える様にしていた。それは理事長としては全く必要のない事である。学園理事長とは本来、学園の経営に専念する立場であって。今水嶋がやっている事は校長や教頭に任せればいい。だが水嶋の方針からはこの考え方は外れていた。その為、学園内に常駐する事が多く教師より、生徒達の評判がよく信頼を集めていた。

そんな水嶋が女生徒の足止めをくらい、少しばかり遅れてついたのは校舎裏にある庭だった。

水嶋は回りを見渡したが誰もいなかった。

ーーもう、戻ったのかもしれんな。他の生徒と話しすぎて間に合わなかったか?

水嶋はもう一度辺りを見回し自分の携帯を取り出した。

下を向き携帯を眺めている水嶋に一人の人物がゆっくりと後ろから近づいていた。

水嶋はまだ気づかない。携帯の画面に夢中だ。

地面に散った落ち葉は冬の冷たい風にかき消され足跡は全く聞こえない。

水嶋の背後に近づいたその人物はゆっくりと両手を広げ……

水嶋は後ろに誰かいる気配を感じ振り向いた。だが次の瞬間、水嶋の口は押さえられていた……。

彼女の唇によって。

彼女の舌が水嶋の舌に絡みつく。

彼女の舌が水嶋の口の中を何度も行き来する。

彼女の口にゆっくり押されながら二、三分経っただろうか暴走の止まらない彼女が水嶋を校舎の壁に追い詰め、服を脱がそうとした。

さすがに水嶋はこれを制止する。


「やめなさい、麗奈。」


「はーい。」

水嶋が注意すると、麗奈は残念そうに返事をした。


「学園の中ではしないという約束だったね確か。」


「だって理事長、最近忙しいとかで全然私の相手をしてませんよね?」


「それは…そうだが、私にも色々仕事があるのだよ、麗奈。」水嶋は言い返したが、


「本当にそうですかー、他の女子生徒の悩みは聞けてるのに、私を相手する暇はないんだー。酷いです理事長。私の体をあれだけ強く抱きしめておきながら、必要じゃなくなったら捨てるなんて…泣いちゃいますよ私。」

麗奈が両手で顔を覆う。


「あー、分かった。分かったから泣かないでほしい。今度の土曜日、時間を作るから。」

泣きそうな麗奈を水嶋がなだめる。ーーーここで泣かれたら私が困る立場上。

すると麗奈は泣きそうだった顔が嘘のように笑顔になった。


「本当ですか。絶対に守ってくださいね理事長。約束破ったら大泣きしますから。」

麗奈の余りにも素早い態度の変わりように

驚いた水嶋は、麗奈に嘘泣きかと尋ねると即答で「そうでーす。」と軽い返事が返ってきた。


ーー心配して損をした。全く最近の学生は嘘がうまい。苦笑いしながら回りを見渡した。


ーー良かった誰も見ていない。

安心して水嶋は、麗奈と一緒に校舎に戻るが……実は二人を見ていた人物が複数いた事にこの時は、これからもずーっと気づく事はなかった。


校舎に入り、麗奈と一緒に急いで理事長室に戻ろうと廊下を歩いていると、教頭の高橋がこちらに向かってきた。


「理事長、何処にいらしてたのですか?村重先生がお待ちですよ。」

水嶋が自分の腕時計を見ると時刻は九時を指している。


「ああ、すまない。少しばかり用事が出来たのでな。今から戻るところだ」

高橋は隣りにいる麗奈に気がつき、


「あなたは確か、一年生の大友さん。」

高橋が怪訝そうに麗奈と水嶋を見る。


「ええ、A組の大友麗奈です。どうかされましたか。教頭先生」

麗奈が悪びれもせず高橋に答えた為、高橋は少しムッとしていた。


「もう授業始まっていますよ。早く教室に戻りなさい。」

高橋がイラついているのを見て面白いのか麗奈が挑発する。

「すいませーん。私のクラス一限目、古典で自習だったんで、朝からお腹が痛くてトイレに行ってました。この学園は授業中にトイレにも行ったらダメなんですかー?」


「そんな事は言ってないでしょう。」


「それに理事長は私がお腹を抑えて歩いていたので、心配になって声をかけてくれただけです。ねぇ、理事長」


「あ、ああそうだ。麗奈君が体調悪そうにしていたので教室まで付き添っていたのだ」

水嶋は急に麗奈に話しを振られ言葉がつまった。


「だったらよろしいのですが。……とりあえず理事長は早く村重先生のところに戻ってください。…大友さん貴方も早く教室に戻って。」

麗奈と水嶋の話に若干不満そうな高橋だが水嶋を早く戻す事に専念した。ただ理事長と少しでも一緒にいたい麗奈が「その先生って私達の担任先生になるんですよね、私も早く会いたいなぁ」と言いついてきたのだった。


麗奈は知っていた。今日新しい先生が来るのも、理事長がその先生の相手をする事も、そして一限目にその先生の紹介を私のクラスでする事も大方予想はついていた。だから麗奈はこの時間を狙い最近相手をしてくれない理事長を呼び出したのであった。

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