彩花 夏の思い出

ーー彩花はまだ怒っていた。一番の親友だった風香にデレデレしていた昌幸に対して…


「彩花さん、まだ怒ってますか?」


『怒ってますけど、』

私がどれだけ可愛くても幽霊だから勝ち目はないのは分かってるけど、風香にさあんな顔する事ないじゃない!バカ昌幸!

恐る恐る顔色を伺ってきた昌幸を一括する。


それにもう一つ、彩花がとっても怒っている特別な理由があった。

それは…彩花が中学生になった初めての夏の出来事だった。


「どうすれば行けるのだろう?」

中学生になって初めての夏休み、祖父の顔が久々に見たくなり電車に乗り、岐阜駅に着いた所で彩花は迷っていた。


ーー駅に着いたのはいいんだけれど、これからどうすればおじいちゃんの病院に行けるのだろう。電車の乗り方は出かける前にママに聞いていたので乗れた。…駅員さんには何度も聞いたけどね。


ーーママは、私が一人で行くって言った時、凄く心配して絶対ダメだって反対していた。「おじいちゃんに会いに行きたいのならママが車で連れて行ってあげるから」って…。

でも私が、「中学生にもなって電車やバスの乗り方が分からず友達に笑われるのは嫌だ」って、泣いて怒ったら許してくれた。

祖父が病院の経営者でパパが医者である私の家はとても裕福だった。ただ、厳しくも育てられたが、かなり過保護でもあった為に中学生になっても自転車にも乗れない私だった。


そんな私が今にも泣きだしそうな迷子の子猫ちゃんにでも見えたのだろうか、1人の犬のおまわりさんが声をかけてきた。

「どうしたの?お嬢ちゃん。道に迷ったの?」

優しい感じの男の人だった。


一瞬ママの注意がよぎった。「いい彩花、絶対知らない人に声かけられてもついて行ったらダメよ」


「優しそうな人でも?」彩花が聞く。


「ダメよ。優しそうに見えるだけで後からなにされるかも分からないし…。それに彩花は、過保護に育てくせに好奇心だけは人一倍あるんだから。」


「……そうなんだ。分かったわママ。」


「いい絶対よ、一人で行動する時も人通りが多い所にするのよ。何があってもついていかない」


「はーい。」ーーー全く、ママは心配性なんだから、何かされるって…何をされるのママ?それに過保護に育てたって自覚してるじゃないのもう。


ともあれ、ママからの注意は彩花の頭の中から一瞬にして削除された。

彩花には、前にいる男性が怪しい人には全然見えなかった。むしろとても気が弱そうで今でも私が大声を出したら逃げそうな感じにさえ思う。

…危なくなったら大声出そう。この人なら大丈夫だろう。


「立花総合病院に行くにはどのバスに乗ればいけますか?」


「立花総合病院に行きたいのかい?丁度良かった僕も今から行く所だったんだ。バスに乗って一緒に行くか?お嬢ちゃん。」


ーーうーん、この返しは微妙だな。バスと言う二文字が車だったら即答でNOだったのだけど、バスだったら他に乗客いるよね。だったら大丈夫かな。それに乗るバスが分かっても乗り方がわからないし。


「はい、いいですよ。」


病院へと向かうバスの停留所前で次の出発時間を確認していた男性、(若いからお兄さんにしよう)で、そのお兄さんは出発まで少し時間があるし、暑いだろうからと言ってカルピスを買ってきてくれた。


…私はカルピスごときでつられませんよー。カルピスは好きだけど…。って言うか、このお兄さん、さっきから私の事すっごく歳下扱いしてる感じがするのよねー。幾つと思ってるのかな、聞いてみよう?


「あのー、お兄さん私の事、何歳にみえます。」するとお兄さん不思議そうに、


「え、小学生でしょお嬢ちゃん。」


ガラスのハートにひびが…。


「ちなみに学年は、どのくらいに…」


「五年生でしょ。」

ハートがくだけた。


あーそうですよーどうせ、私なんかほかの子より背も小さくて胸もないですよー。

でも小五はないでしょう。せめて小六にしてよ間違えるなら。…でも小学生に見える事には変わりない。この言葉に子供ながらにハートを割られイラつきを覚えた私は、お兄さんをにらみつけた。


「中一なんですけど私、ひどいですお兄さん。あんまりです。」泣きそうになったわたしを見て焦ったのかお兄さんは、


「ゴメン、本当ゴメンね、お・嬢・ちゃん。」


火に油をそそいだ。


「あーもう、そのお嬢ちゃんも禁止。いかにも子供ぽっい。いいですか私の名前は、高町彩花です。彩花って呼んでください。分かりましたか?」


「えーと、いきなり初対面で呼び捨てはちょっと……。」


「つべこべ言わないの、お兄さんの名前は?」


「は?…村重昌幸です。」

歳下に圧倒され気味のお兄さんは焦ったのか名前を言ってしまった。


「初対面で呼び捨てが出来ないのだったら、兄と妹という設定でいきますよ病院まで。ねぇー昌幸お兄ちゃん」彩花は笑顔で見つめてきた。

そこへ、ようやく病院行きのバスが駅に到着した。


彩花は、バスに乗って初めて見る光景に心を踊らせていた。他の乗客には何の変化もないこの風景にまるで、初めてオモチャをもらった子供の様にはしゃいでいた。

外を歩く人々、建築途中のマンション、橋の下を流れる川の景色。全てが彩花にとっては物珍しかった。途中、お兄ちゃんには何度も恥ずかしいからと注意されたが気にも止めなかった。

駅から乗って三十分ぐらい経った頃、彩花の体調に変化が現れた。……気持ち悪い。

彩花の体調の変化に、横に座っていたお兄ちゃんはすぐ気づいた。


「大丈夫か、彩花」


「大丈夫じゃない。気持ち悪い」


お兄ちゃんはすぐに次の停留所でバスが止まる様に、ブザーのボタンを押した。

そこは、私立桜川女子学園前のバス停だった。


ただそこには女子学園以外は何もなく(住宅はあるが)、お兄ちゃんがどこか座れる場所があるか正門にいる守衛さんに聞いていた。

で、私はというと。バスの中よりは幾分マシになったもののぼーっと学園の壁にもたれかかっていた。


ーー凄く親切で優しいお兄ちゃんだなぁ。


ーーこれだって本当なら私がはしゃぎ過ぎてこうなったのに。


ーーまるで自分の事の様に動いてくれる。


彩花は何かすごく胸が熱くなる感覚がした。


ーーさっきのバスの中だって、はしゃぎ過ぎて他の乗客から注意されそうになった私に代わって、お兄ちゃんがすいません。俺の躾けが悪くてと頭をさげてくれてた。


ーー実の妹じゃないのにね私。

彩花は、涙がでてきた。悲しいのではなく、嬉しくて。


五分程してお兄ちゃんがこっちに走ってきた。


「守衛のおじさんが今、学生も夏休み中だから特別に入っていいって。」


私は恥ずかしながら、お兄ちゃんにおんぶされ正門をくぐった。正門をくぐる時、守衛のおじさんが「妹さん熱中症かい、それならその桜並木を過ぎたすぐ横に自販機があるからスポーツドリンクでも買ってあげな」と声をかけてくれる。

門をくぐると、若葉におおわれた桜並木が三百メートル程続き、ベンチが五十メートルぐらいの感覚で置かれていた。

お兄ちゃんは自販機に近いベンチに私を降ろし、ミネラルウオーターを買ってきてくれた。お兄ちゃんは、「熱中症ならスポーツドリンクだけど…乗り物よいだからなぁ」と呟いていた。ベンチに横になっているとベンチが硬いせいか頭が痛い。

「頭が痛ーい」と呟くとお兄ちゃんは膝枕を照れながらもしてくれた。

若い新緑の葉っぱに遮ぎられ日光が照らし出されないこの空間は心地よかった。

ときおり流れてくる爽やかな風と夏独特のセミの声こんな間近で聞いたのも初めてだった。

ベンチに横になって十分ぐらいかな、お兄ちゃんが話しかけてきた。


「少しは楽になったか、彩花」

「うん。迷惑かけてごめんなさい。」

「はしゃぎ過ぎだよバスの中で、そんなに楽しかったのか?」

「うん。私が今まで生きてきた中で一番楽しかった。」

「それは、大げさすぎだろ。」

お兄ちゃんは笑った。

「そんな事ないよ、今もお兄ちゃんとこんな風にお話ししてる時間がとても楽しくて、幸せなの。」

私は自分の言った事で胸が熱くなり手で押さえた。しかし、お兄ちゃんはなにを勘違いしたのか、「まだ、気持ち悪いのかそれなら、上のボタンを外したほうが楽だぞ。」などと言ってきたので「……お兄ちゃんのロリ、エッチ。変態」言い返してやった。

「や、違う。そんな変な意味で言ったんじゃない。」


ーー知ってるよそのくらい、わざといってるんだからねーだ、どうせ私の体なんかに興味ないんだから第二ボタンまではずしちゃえ


……予想以上に恥ずかしかった。日光しらずの白い私の肌がときおり漏れでてくる光に反射しハッキリ映る。そこから見え隠れするブラジャーがまた見事にエッチな感じを演出していた。私は真っ赤にした顔を両手で隠したがそれ以上にお兄ちゃんも真っ赤にしていた。


ーー何か、お兄ちゃん可愛い。


そう思った次の瞬間に私は、お兄ちゃんの首元に両手を回しお兄ちゃんの唇に私の唇をあげていた。

お兄ちゃんは驚いた表情で私を見ていた。

私のファーストキスだった。初めての割りに少し長かったかも10秒か、20秒ほどかな。

しばらく沈黙が続いたがそれを破ったのは私だった。


「お兄ちゃんは、病院に何しにいくの?」

全く持って関係のない話を振られたお兄ちゃんは少し黙っていたが、口を開いた。


「ああ、高校の時の先生が入院してるから見舞いと、先生と同じ道を選択しましたと言う報告に。」

「へぇー、高校教師になるんだー。お兄ちゃんならモテるかもよ?生徒さんに。」

「よせやい、大人をからかうんじゃない。」

「彩花は、どうして病院に?」

「うーん実は私、不二の病に冒され余命が残り一年もないと病院から言われてまして。」

「ふーん、それで、」

「わ、冷たー。私の初めて奪ったくせに?」

「いや、だって嘘だろ。不二の病って?それに初めてを奪ったてのは表現的にやばいからちょっと…。」

「バレてました。冗談ですよ。本当はおじいちゃんのお見舞いで名古屋から来てまして。母が厳しい人で今まで一人で外出させてもらえなく、今日初めて外出させてもらったら迷子になってお兄ちゃんに助けてもらいました。」

「今日はどうもありがとうございました。こんな、幼児体形の私に付き合ってくださって。一時間ほど寄り道しちゃいましたね。私もあまり遅いと母が心配するといけないのでもういきましょうか。お兄ちゃん。」

彩花は座っていたベンチから立ち上がった。

お兄ちゃんも一緒に立ち上がろうとしたので私は両手でお兄ちゃんの体に手を回しさっきよりも軽めのキスをした。

おそらく私の初恋であって、片思いになるであろう相手に。


バスに乗って病院に着いた私は、お兄ちゃんとの別れ際、

「学校の先生になって私の事思い出して他の生徒に手を出したらダメだからね、お兄ちゃん。」

と言い残し去って行った。


この後、私が生きている間にお兄ちゃんに再会する事はなかった……………。

生きている間は。

……………。

…なのに、

…あーもう、あんな事があったのになんであのゆっくんは思い出さないかなぁ。ボケてるの?

確かに、私も本名はとっさに別の苗字名乗りましたよ、体形も幼児体形から急に成長しましたよ。急に成長したのは、ゆっくんのおかげのようなきもするけど…。

でも、顔立ちや名前はいつわってないんだから思い出してもおかしくないはず。

この学園にきたときに思い出すかなぁと思ったのに風香にデレっとしてもうー。


『ゆっくんの、バカー』


何となく苛々する気持ちを抑えようと、彩花は久々に来た学園の風景をじっくり眺めた。

正門から入ると、学園の名前にもなっている桜並木が続いている。そして並木沿いの砂利道にはベンチが有り少し歩くと、右側には木立に囲まれたテニスコートがある。学生が朝早くから練習している。ずっと校舎まで続く砂利道の中央には噴水がありベンチが並んでいる。

ーー懐かしいなぁ。この感じ。

スポーツ公園ほど敷地は広くなく、周囲が住宅地なのに、少しもせせこましい感じがないのは、周囲も高級な住宅が多いせいなのかもしれない。何よりも、高い建物がなくて、青空がはっきりと写しだされているのがいい。

私は何となく晴れ晴れした気分になり、懐かしい鼻歌なんかを歌ってみた。

気分を良くした私を見て、ゆっくんが安心したのか話しをしてきた。

「ところで、彩花。この学園どこから校舎に入れるんだ。」

『さあ、どこから入るんでしたっけ?私も忘れちゃった。でも、先生なら私にわざわざ聞かなくても大丈夫じゃないですか?可愛い女の子も大勢いるんだしねー。』

私を何となく苛々させていた気持ちはもうなかったがわざと怒っている振りをした。


ーー可愛い女の子を一人除け者にしたゆっくんが悪いんだからねー。


「そんな事言わずに、本当は忘れてないよね?」

『忘れました。』ニッコリした顔で私は答えた。

「嘘つきはいけないよ、彩花さん。」


ーーしつこいなあー、先生。


『もー先生、あまりしつこいと女性に嫌われますよ。』

本当は、彩花も忘れていたのである。…だからしつこく聞かれても困るのであって、

どうしようかと悩んでいると視界に見たくない顔が入ってきた。

ーー栗本、あのエロオタク。まだいたんだ、

『先生、あそこにいるのこの学園の先生だから一緒に連れて行ってもらったら。』

彩花が指指した先にいたのは人と言うより、手と足だけが現れたダルマと言った方が正しかった。


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