悩み多き乙女

『あのね、ゆっくん』


食後の皿洗いも終わり、彩花が昌幸に話かけてきた。


「どうしたの?何かあったの?」

本屋で買った資料を読んでいた昌幸は、彩花の不安そうな声を聞き彼女を見つめた。


『えーっと、その…急にそんなに見つめられると困る…』


「あ、ごめん。なんだか彩花が深刻そうだったから」


『そこまで深刻な話でもないんだけどね…』

彼女はそこまで言うと口をつぐむ。


ーー言いにくい話しなんだろうか?


『うーんと、……明日から学校に行くわけじゃないですか』

『それで、あの学園って女子高だったから…』


「今年度から共学だけどね」

俺が否定をすると、彩花はムッとして言い返す。


『それでも、女子がほとんどなんです。』

『だから、私はゆっくんが、他の女の子に手を出さないかと心配で…』


ーー…この子は一体俺をなんだと思ってるんだ


「あのね彩花、仮にも俺は教師なんだよ生徒なんかに手を出す訳ないよ」

「…俺なんて何もかもが普通の冴えない平凡教師だよ。イケメンでも金持ちでもないんだから」

「こんな俺に女の子なんてわざわざ寄りつかないよ」

ーー…。自分で自分をディスるってなんだか悲しい。


「心配しなくても…、それに明日は彩花も俺についてくるんだよね?」

俺がそう言うと、沈んでいた彩花の顔が明るくなった。


『あ、そうでした。ゆっくんの側だったら私どこにでも行けるんでしたね。』

『長い間、このマンションから出られなかったから忘れてました』

そう言って、忘れてた事を誤魔化そうと照れ笑いする彩花。


ーー…おい昨日、一緒に買い物に行ったばかりだよね彩花。

ーーでも、しょうがないか。俺が部屋を借りるまでは、一人淋しくいたのだから。


彼女は俺が来るまでマンションから出られなかった。

その手の専門家でないから俺も何とも言えないが何かの縛りがあったのだろう。


俺が部屋を借りて彼女の存在を認めてあげた事で、初めてマンションから外に出られるようになった

…俺と一緒ならだけど。


世間的に知られている用語を使用するなら前までは地縛霊。

今は……。なんだろう。守護霊?背後霊?浮遊霊?

…よくわからない。


『ねェ、ゆっくん聞いてるの、ゆっくんってば』

彩花が何かを話していたが、彼女の存在が今は何だろうかと考えていたのでしっかり聞いてなかった。


「ごめん、よく聞いてなかった。もう一回最初から話して。」


『もー、せっかく私が気を使って話してあげたのに。…ゆっくんなんて知らない』

多分重要な事を話していたのだろう。完全に怒ってしまった彩花は横を向いて拗ねてしまっている。


ーー拗ねて怒った顔も可愛い。


「本当ごめん。今度はしっかりと聞くから。機嫌なおしてよ彩花」

ちらっとこちらの顔を伺う彼女。


ーー俺が真剣に誤ってるかどうか確認してるな。


「分かった。今度彩花の行きたい場所に連れてってあげるから」

彩花の顔が途端に明るくなる


ーー表情の変化が目まぐるしいな彩花はほんと。


『本当に?ぜったいだよ約束。守れるかなゆっくん。』


「絶対に守るから、それで何処に行きたいの?」


『うーん、今はまだいいかな』


「今はまだ、…何処に行きたいの?」


『内緒』


そう言って喜ぶ彼女を見て、俺は胸が痛くなる。

ついさっきまであんな事を考えていた俺が腹立たしい。

今の彼女が何か?そんなことどうでもいい。

まして彩花は幽霊だからなんて考えるのはよそう。

俺の目の前にいる彼女は普通の女子高生なのだから。



「それで、さっき彩花が一生懸命話してくれてたのは何の話?」

俺はてっきり殺人事件の話で何か思い出したのかと期待したが

『さっきの話しですか、えーっと、ゆっくん一緒にお風呂入りません?』

全然違っていた。


「…はい?」

俺は当然聞き返した。


『だから、お風呂に入りましょう一緒に。』


「……なんで?」


『なんでって、ゆっくん。私と一週間前にであってから…。』


「出会ってから?」


『あの、その、ほら男の人って色々と溜まってるんじゃないかなと、ゆっくんもまだ若いんだし。』

彩花が顔を赤面させて話すものだからだいたいは分かったが…。


『でも出会ってから一度もそんな光景見た事ないから私。我慢してるんじゃないかなって』


ーー…ああ確かに。彩花と出会ってからは一度も…って出来るかそんな事。

ーーっていうか彩花もそんな事いちいち確認しなくていいから。

ーーでも、彩花はいないものと考えれば……、

ーーいかん、いかん。ついさっき彩花を普通の女子高生として接するって決めただろう。

ーーこんなふしだらな理由で決心が揺らいでどうするんだよ俺。

俺の心が訳のわからない葛藤を起こしている。


「えーと、それは。その…。」

思春期真っ盛りの男の子のように何故か言葉につまる俺。


『だから、私の裸を見てゆっくんが少しでも楽になればいいかなと。』

『出会ったときのように、全身血だらけって事もないので安心してください』

ーー…全身血だらけでないのはいいけど、裸を見せられて何も出来ないってのは余計につらくなるだけだからね彩花。


「ありがとう。でもその彩花の気持ちだけで充分だよ、だから一緒に入らなくていいから」


『ほんとに大丈夫ですか?私なら見られても全然構いませんよ、…ゆっくんになら』


「大丈夫だから。本当に」

彩花が静かになった。諦めてくれたか…


『…やっぱりあれですか?私の未発達の体より明日から行く学園の子をおかずにしたほうがいいと思っているんですね。』

くれてなかった…。


「…はぁ、それも違うから」



なんだかんだで彩花をなだめ。風呂を済ませたら夜の10時を過ぎていた。

就寝には少し早いが明日からの学園生活の為ベッドに入る俺。

当然、彩花は俺の隣りで横になっている。

彩花は寝る時、お気に入りだったピンクのパジャマをいつも着ていた。


外は強い風が吹いてるのか、たまに窓がカタカタと音を立てている。

カーテン越しから漏れていた月明かりは徐々に雲へ隠れ寝室を静寂な闇へと変化させる。


俺がベッドに横になって少し経った頃、横にいる彩花が話しかけてきた。


『…ゆっくん、私がいて迷惑じゃないですか?』


ーーさっきの事をまだ気にしているのか、他の事を気にしているのか。


「迷惑なんて思ってないよ。それどころか感謝してるよ彩花には」


『そうですか。そう言ってもらえると嬉しいです。』


「どうしたんだい急に。そんな事。」

昌幸が問いかけると彩花は少し黙ってしまった。

……しばらくして彩花が話し始めた。


『……私ね、一番今が幸せかなと思って。』

『生きている時と死んでからゆっくんに会うまで全てを合わせも、今が一番かなって思う。』


「……それはどうして?」


『どうしてでしょうねー。……私の隣りに今、ゆっくんがいるからかな』


「…何だそれ。」


『なんなんですかね。ほんとに……。』

少しの間、静寂が訪れる。


『ゆっくん、明日から頑張ってね』


「ああ、頑張るよ」


『おやすみなさい。ゆっくん』


「おやすみ。彩花」


……再び現われた月明かりが二人を取り囲むように眩しく照らしていた……。

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