Int.14:二人と一人、そして彼女は独りきり

 そのまますぐにブレイズの連中と別れ、ステラに格納庫を連れ出された一真が彼女に従うがまま、連れて来られた先は。そこは何故か、士官学校の校舎地下にある、一真にとっても来慣れた手広いシューティング・レンジだった。

 此処に来るまでの間、道中でステラとも幾らかの言葉を交わしていた。話すのも久し振りだなと一真が言えば、ステラは「アタシの方でも色々あったからね、アンタの方まで気が回らなかったのよ」なんて言い。そんなステラの横顔も纏う雰囲気も、前と殆ど変わってはいなかった。

 しかし、何処か少しだけ、雰囲気が変わったようにも一真は感じていた。少しだけ影が差したというか、でも吹っ切れたようにも見えてしまい。何というか複雑だが、強いて言うなら……人間的な深みが出た、と表現するのが一番だろうか。

「悪かったわね、急に呼び立てたりなんかして」

「気にするなよ、それぐらい」

 と、こんな会話を交わしながらシューティング・レンジの中に入れば。事前に耳に付けておいたイヤーマフ越しにも聞こえてくるぐらいの激しい銃声が、断続的にレンジいっぱいに木霊していた。

 聞き慣れた9mmパラベラムの音じゃない。その銃声を聞いて、一真は本能的にそう感じ取る。あんなに軽くはなく、寧ろ重い。マグナム級の拳銃弾か、或いはライフル弾かと思うぐらいに激しい銃声が断続的に響き、レンジに踏み入った一真の骨までをも低く揺さぶっていた。

「連れて来たわよ、アキラ」

 ステラがそんな風に呼びかければ、銃声は止み。レンジの一角にあるブースに立っていた背中が、くるりと一真たちの方へと振り向いた。

「白井……」

 そこに立っていたのは、白井彰しらい あきらだった。

 イヤーマフを外し首に掛け、片手にはギラリといぶし銀に光る小振りなリヴォルヴァー拳銃を下げていて。そんな白井は振り向き、一真の顔を一目見るなりに「よう」と、ほんの少しだけ表情を柔らかく崩しながら、手振りを交えつつ挨拶なんか投げてきた。

「お、おう。何だか随分久し振りだな、白井」

 自分もイヤーマフを外して首に掛けながら、戸惑いつつも一真は礼に応じ、白井に挨拶を投げ返す。どうやらステラの目的は、自分と白井を逢わせることだったらしい。

「……もう、大丈夫なのか?」

 向き合う白井の雰囲気が、明らかに前のおちゃらけていたモノとは違っていて。あまりにヒトが変わって見えてしまったものだから、一真は思わずそんなことを口にしてしまっていた。

 まどかの死で、白井が随分と打ちひしがれていたのは知っている。そんな彼の為に、ステラが必死になって駆け回っていたことも。だからこそ一真は今の白井を見て、ガラにもなく心配になってしまいそんなことを問うてしまったのだが、しかし白井は「ああ」と、彼らしくもなくフッとクールな笑みなんか浮かべつつ、頷き返してくる。

「俺なら、もう大丈夫だ。……お前にも心配掛けちまったよな、弥勒寺」

「いや、俺は別に……」

「此処じゃあなんだ、ちょっと火薬臭くて場所が悪いぜ。

 ……ステラちゃんも弥勒寺も、一旦ちょっと外に出よう。どうせ長話になりそうなんだ、落ち着いた場所で話そうぜ」





 白井にシューティング・レンジの外、地下区画の廊下へと連れ出され。自販機近くにある横長のベンチに三人並んで腰を落ち着かせれば、各々缶コーヒーや缶コーラなんかを口慰みがてらに傾けつつ。一真は白井から、彼の今までの経緯を聞かされていた。

 彼から聞かされた話は、概ね彼自身があの戦いの後、どんな具合だったかに尽きる。まどかの死後、自分がどうなっていたのか。言ってしまえば荒んでいた自分にステラが手を差し伸べてくれて、そして彼が"兄貴"と慕う省吾とも出逢えたこと。まどかの墓前で彼女が自分宛に遺した遺書を読み、仇であるマスター・エイジに対しての復讐を誓ったことを。白井は大雑把にだが、何故かそのことを一真に話してくれていた。

「……ごめんな、弥勒寺。こんな話聞かされたって、面白くも何ともないだろうに」

 少し俯き気味な前傾姿勢でベンチに腰掛け、自嘲めいた笑みを横顔に浮かべつつ白井が言う。それに一真は「いや」と首を横に振る。そうすると、一真の横で白井はまた、フッと微かに表情を緩ませていた。

「でも、お前に話せて良かったよ。いい加減、お前にも話せって。ステラちゃんにそう言われたからなんだけど……よく考えたら、弥勒寺にも随分と心配掛けちまってたんだもんな」

「お前の中で解決出来たのなら、それで良いさ」と、一真がニッと口角を釣り上げつつ、白井に言い返す。

「それに、俺は今のお前の方が好きだ」

 続けて一真がそう言えば、白井は「……どういう意味だよ」なんて、苦笑いなんかしつつ困り気味の顔で反応を示した。「悪いけど、俺にソッチの気はないんだぜ?」

「違う違う、そういう意味じゃないっての。……雰囲気だよ、雰囲気」

「雰囲気?」

「そう、雰囲気」と、一真。

「なんつーかな、前までの白井には変に距離感を感じてたんだ。埋めようとしても埋まらない溝、ってえのか? 別にそれを飛び越えようだとか、ンなことは思っちゃいなかったんだが。それでも何だか気になって、態度の割に近寄りがたい感じがしてた」

「弥勒寺……」

「でもさ、今のお前は変わったよ。前までとは違う、明らかに自然体だって俺にも分かる」

「……だから、今の俺の方が良いって、弥勒寺はそう言いたいってことか?」

 困り顔で言う白井に、一真が「そういうこと」と茶化すような笑顔とともに肯定してやれば。白井は「何だよ、それ……」と軽く噴き出すような仕草を見せつつ、でも横顔は何処か嬉しそうな風でもあった。

「――――弥勒寺」

 それから暫く、言葉を介さずして皮肉っぽく笑い合って。その後に白井はポツリと呟くと、一真が「ああ」と反応するのを待ち、右腰のホルスターからさっきのリヴォルヴァー拳銃を取り出す。

「……俺は、何が何でもまどかちゃんの――まあちゃんの仇を討つ」

 手のひらの中に収まる、ステンレスが眩しいいぶし銀のそれ。スタームルガー・SP101を一真の方に見せつけるようにしつつ、自分もまた視線を落として。白井は独り言でも呟くかのように細く、しかし確かな決断と覚悟の垣間見える語気で呟く。

「野郎は、マスター・エイジは必ず、この俺が殺す」

「…………」

「責めてくれるなよ、弥勒寺。止めてくれるなよ、弥勒寺」

「止めやしないさ」と、一真。「その気持ちは、俺にも理解出来る……」

「弥勒寺、まさかお前……っ」

 お前にも、そんな経験が――――。

 と、ハッとした白井が顔を上げ、そこまで言い掛けた時だった。一真はスッと彼の方に手を差し出し、紡ぎ掛けていたその言葉を制す。そしてベンチの端、白井の隣に座るステラもまた、彼の手に自分の手を重ね、静かに首を横に振り。「やめておきなさい」と、しかし言葉は出さぬままで白井の口を止めた。

「……悪いな、白井。あんまり思い出したくないんだ、昔のことは」

 自嘲めいて綻ぶ横顔で一真が言えば、白井は「……悪い」と彼に詫びる。それを一真は「いいさ」と軽く赦した。

「…………まあ、つまり俺の方は色々と解決したってことさ」

 その後で「でも」と白井は更に言葉を続けて、

「そっちは、どうなんだ?」

「そっち……?」

「しらばっくれるなよ、この期に及んで」と、白井。

「綾崎のことだよ。……どうなんだ、そっちは」

「っ……」

 彼女の――瀬那の名が、まさかここでも出てくるなんて思ってもいなかったからなのか。一真は白井に言われた直後、言葉を詰まらせてしまう。

「どう、って……」

 数秒の後、短いながらも一真は何とか言葉を紡ぎ出す。彼の口から、予想だにしていなかった彼女の名が出てきてしまったものだから。それを問われてしまったものだから、一真は動揺して言葉が出なかったのだ。

「詳しいことは知らない。お前らに何があったのか、俺は知らない。俺自身がそれどころじゃなかったってのもあるけどさ、とにかく俺は何にも知らないよ。

 ――――けどさ、最近のお前らを見てても分かるんだ。何かがあったんだ、ってことぐらいは」

 やはり、表に出ていたのか。

 隠すつもりはない、しかし積極的に言いふらすつもりもなかったことだ。特に白井に関しては、よっぽど精神的ダメージが大きいだろうからと、敢えて巻き込むようなことは避けてきたつもりだった。一真も、エマも。そして多分、瀬那でさえも。

 それでも、今の自分たちを傍から見ていて、白井にも分かってしまったらしい。自分たちにまつわる関係に、何かの大きな変化があったことが。

 一真はそれを思うと、思わず自嘲じみた笑みを漏らしてしまった。彼にでさえ分かってしまうなんて、よっぽどのことだ。知らず知らずの間に、表に出てしまっていたのかも知れない。

「俺だけじゃない、ステラちゃんも。それに、言わないだけで他の皆もよく分かってる。だから、ここ最近のお前らに極力触れないようにしてるんだと、俺はそう思うぜ」

「……世話掛けちまったな、でも――――」

「何てことない、なんて言わないで頂戴よカズマ」

 そこで口を挟んできたのは、意外にもステラだった。白井を挟んだ向こう側に居る彼女が、軽く身を乗り出しつつ、相変わらずの強気な語気で一真の言葉を遮ってくる。釣り目気味な形をした、態度同様に強気な色を滲ませた金色の双眸から真っ直ぐな視線を注がれて、それを直視できずに、一真は思わずステラの顔から視線を逸らしてしまう。

「アンタたちに何かあったのは、最初から薄々分かってた。でも、アキラの方でそれどころじゃなかったから、今まで放っておくしかなかった。

 ……けれど、今は違う。ごめんってアンタにも詫びておきたい気分だけれど、後回しにしておくわ」

「…………」

「眼を逸らさないで、聞きなさいカズマ。アンタたちにだって何かあるのは、分かってるんだから。

 ――――多分、きっとその発端が瀬那だってことも」

「っ!?」

 ピタリと言い当てられてしまったものだから、一真は驚いて眼を見開き。思わずその見開いた眼で、ステラの方に顔を上げてしまった。

「やっぱりね」

 そうすれば、ステラは何故かフッとしたり顔を浮かべてみせる。どうやら今のがステラが仕掛けたカマ掛け・・・・だったことに気付けば、一真は己の迂闊さを呪うしか出来なかった。

「……何があったか、話せとは言わないわ。というか、多分カズマ自身もよく分かってないことなんでしょうね」

「ははっ……。ご明察だ、大正解だよステラ。百点満点の回答だ、負けたよ」

 半分ヤケになったみたいに、一真が乾いた笑いをする。ここまでピタリと的中されてしまえば、本当にもう笑うしか出来ないのだ。

「弥勒寺や綾崎、それにエマちゃんたちの関係が変わりかけてる。……そうだよな、弥勒寺?」

 白井に問われて、一真は黙ったままで頷き、無言の内に肯定する。これだけ内心を見透かされているのならば、もう隠す必要などないだろう。何故だかは知らないが、段々と一真はそう思えてさえきてしまっている。それはもしかすれば、相手が気心の知れた白井や、それにステラだからなのかもしれない。

「今のアンタをどうこう問い詰めても、それでアタシたちがどういう風に動いても。どうにもならない、解決のしようがないことだってのは重々承知しているわ。

 ……だから、これ以上は訊かない。けれど、覚えておいて欲しいの」

「俺はもう大丈夫だ。……心配することはもうない。俺とステラちゃんだって、今度は弥勒寺、お前の愚痴聞きぐらいにはなれるってよ」

「今まで、エマだけにアンタを任せっきりだった。あのきっと自分から、自分の意志でやってるんだとは思う。……だって、あのは誰よりもアンタのことを、カズマのことを愛してるんだから。

 ……けれど、そうじゃないの。それとは別に、アタシたちはアンタたちの力になりたい。馬に蹴られるのは御免ですもの、ヒトの恋路を邪魔するってワケじゃないわ。ただ、放っておけないだけ」

「ステラちゃんの場合、頑丈すぎて馬じゃビクともしないだろうけどさ」

「……アキラ、なんですって?」

「イエイエ、ナンデモゴザイマセンヨ」

「誰の筋肉が何ですってっっっ!?!?」

「いや別に俺っちそこまで言って――――へぶっ」

 と、最後の方はこんな風に阿呆なやり取りになってきてしまったものだから。二人の言葉を聞いている内に、二人を眺めている内に。一真は何だかおかしくなってきて、ぷっと軽く吹き出してしまった。

 その後で、一真は「……分かったよ」と諦めたように二人に向かって言い。大袈裟に肩を竦めるジェスチャーなんかしてみせると、疲れ気味の顔でこう言葉を続けた。

「正直、俺にも何が何だか、あんまり分かってない。だから今すぐにどうってことはないし、出来ない。

 ……ただ、もし何かあったら。その時は白井、ステラ。遠慮なく、二人にも力になって貰う。……これで良いか?」

「あたぼうよ、親友」

「アンタには幾つも借りがある、泥船に乗ったつもりで安心しなさいな」

「……ステラちゃん、それを言うなら泥船じゃなくて、大船」

「っっっ!! う、うるさいわねアキラっ!!」

 白井にステラ、いつしかお似合いになってきたこんな二人を眺めていると。いつの間にか随分と、心と心の距離が縮まってきたように見える、こんな二人からの言葉を胸に受けると。一真は何だか、ほんの少しだけ肩の荷が下りていくような気分だった。

 もしかしたら、自分は独りで何もかもを背負いすぎていたのかも知れない。瀬那が何にそこまで苦悩しているのか、何に対してそこまでの葛藤を巡らせているのか。そのことばかりを考えて、考えすぎて。自分独りで、何もかもを気負いすぎていたのかも知れない。今まで気付けなかったことでも、今こうして肩の荷が下りた中で冷静に見返せば、素直な気持ちでそう思える。

 頼っても良いと、あの雨の日にエマは言っていた。独りで抱え込むより、二人で一緒に背負った方が、きっと良いに決まっていると。彼女は、自分に対してそうも言っていた。

 きっと、こんな風に何でも抱え込んでしまう自分のどうしようもないさがを、彼女は見抜いていたのだ。彼女は見透かしていたのだ。だからこそ、孤独の海に沈みかけていた自分の傍へ、半ば無理矢理にでも寄り添ってくれていたのかも知れない。エマはこんな自分を気遣って、ずっと傍に居ようとしてくれていたのだ。

 それに、今になって気付けば。一真は何だか、胸が痛むような思いだった。それと同時に、彼女のくれた優しさが今になって胸に染み渡り、満身創痍といって良いほどに傷付いた心を、傷を埋めてくれる。癒やしてくれているような気がする。

(……また、俺は独りになりかけていた)

 でも、彼女たちは手を差し伸べてくれた。こんなどうしようもない自分に、白井もステラも。嘗て、その昔に舞依が差し伸べてくれたように。彼女たちは――そして、エマは。こんな自分を放っておけまいと、その手を差し伸べてくれている。

(だからこそ、瀬那)

 君は、何をそこまで悩んでいる――――?

 分からない。他人ヒトの心が思うことなんて、幾ら考えても分かるワケがない。互いに別々の存在として生まれ、身体という、どうしようもなく不自由な檻に閉じ込められ。言葉なんて不十分で不完全なツールを介してでしかコミュニケーションの取れない、心を通わせ合えない存在。人間ヒトというどうしようもない存在に生まれてしまった以上、そんなものは幾ら考えたところで、分かるワケがないのだ。

 まして、今の彼女の――瀬那のことならば、余計に分からない。いつしか、気付かぬ内に彼女との間に空いた大きすぎる距離を、深すぎる溝を、一真は知ってしまっていたから。すぐ傍に居たはずの彼女が、今はどうしようもないほどに遠くに行ってしまったことに、一真自身が気付いてしまっているから。

 自分はいい。こうして、白井もステラも二人の方から近づいてきてくれた。そして、すぐ傍にはエマが寄り添ってくれている。深い孤独の中に落ちていた一真を、彼女たちがその手で引っ張り上げてくれたのだから。

 ――――でも、彼女はどうだ?

 今の瀬那は、あまりに孤独なように思えて仕方がない。それなのに、手を伸ばそうとしても伸ばせない。一真が幾ら手を差し伸べようとしても、届かないところにまで彼女は行ってしまった。きっと、それは彼女自身が自ら…………。

(…………俺が君に出来ることは。瀬那にしてやれることは。ひょっとしたら、もう)

 認めたくはない。いや、認めるわけにはいかない。

 それでも――――彼の、一真の胸の中では、そんな思いが段々と燻り始めていた。

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