第七章『ティアーズ・イン・ヘヴン/復讐は雨のように』

Int.01:Shutterd Sky./閉ざされた空

 日本国防空軍、小松基地。民間の飛行場と併設される形で石川県の小松市某所へと構えられた、中部航空方面軍の隷下にある戦闘機部隊が配備されたこの基地が眠ることはない。

「――――貴方はいつも本ばかり読んでいるのね、玲二」

 そんな小松基地の、とある格納庫脇にあるアラート待機所。そこで飛行士の風見玲二かざみ れいじがソファに寝転んで読書に耽っていれば、抑揚の少ない透き通った声の同僚にそう声を掛けられた。

 玲二が視線を落としていた文庫本から視線をズラし、だらしなく寝転んだままで視線だけを横に向ける。玲二から見て右側のソファにちょこんと小さく腰掛け、珈琲を啜る彼女が、さきほど玲二に向かって飛んで来た声の主だった。

「良いだろ美希、俺にとっちゃ数少ない娯楽なんだ」

 彼女の方に流していた横目の視線を再び手元の本に戻しながら、玲二が言い返す。すると美希と呼ばれた彼女――長瀬美希ながせ みきはフッと微かに笑うと、手にしていたコーヒーカップを下ろし。綺麗な黒髪の短い襟足を艶めかしく揺らせば、寝転ぶ玲二の方にその端正な顔を振り向かせる。

「折角の相棒バディですもの。どうせこっちでもあっちでも一緒なんだから、少しぐらいお喋りしてくれたって良いと思うけれど」

「阿呆抜かせ」と、玲二。「同期のお前とは嫌ってほどくっちゃべって来ただろうが。それに、どうせ空に上がっちまえば、嫌でもお前と話さにゃならなくなる」

「空は空、こっちはこっちよ。任務上のことだけじゃなく、もう少し別のことを貴方と話したいわ」

「いつか付き合ってやるよ、気が向いたらな」

 尚も活字を追い続け、やはり彼女の方へは欠片たりとも視線を向けないままで玲二が言うと。そんな彼の素っ気ない態度に、美希は「……そう」とだけ、ほんの少しだけ残念そうに頷いて。そうして、冷め始めていた珈琲の注がれたカップに再び手を付けた。

「…………」

 そうして、何処か寂しげな横顔でカップを傾ける美希の方を、玲二はチラリとまた横目に見て。そうして彼女の方を一瞥すれば、「……はぁ」と小さく溜息をつく。何というか、彼女の相手にはどうにも慣れないというか、何というか。

 玲二と美希は、飛行士候補生時代からの同期だった。思い返せば長い付き合いになる。幾つかの基地と飛行隊を点々としてきた玲二だったが、異動の度に彼女は一緒だった。偶然か、或いは神とかいう、あまりに不確かでどうしようもないクソッタレな存在の悪戯か。どちらにせよ、彼女と同じタイミングでの異動が決まる度、その度に玲二はひどく苦笑いをしてしまっていた。

 そして、毎度のように彼女とは陸だけじゃない、舞い上がった空の上でも相棒バディを組まされる。玲二が先頭で、その後ろを美希の銀翼が続く。今こうして、領空侵犯に対応する為のスクランブル出撃に備えアラート待機している時だって。そのローテーションが回ってくる度に、常に美希と玲二とは一緒に組まされていた。

「領空侵犯、か……」

 目の前の本に刻まれた活字に眼を走らせながら、玲二は独り口の中で小さく、ほんの小さく呟いた。

 ――――領空侵犯。

 書いて読んだ通り、他国の航空機がこの日本の領空に接近、ないしは侵入することを指す。この国の防空識別圏(領空の外側にある、防空上の監視空域)に未確認の機影が防空レーダーに捉えられ次第、玲二のような空軍の戦闘機パイロットに出撃命令が下される。1973年に空から化け物が落ちてくるよりずっと前から続いてきた、いたちごっこのようなものだ。

 …………その行為は、未だに続いている。

 玲二たちがこうしてアラート待機の任に付いていることが、その何よりの証拠だった。

 嘗ての相手は、ソヴィエト空軍だった。そしてソヴィエトが崩壊した後は、中華連邦とロシア空軍。主にこの二国の航空機が玲二たちの相手だった。接近し、警告し、そして追い返す。それが、玲二たちの任務だった。

(結局のところ、ヒトはヒト同士ですら争い続けている)

 馬鹿馬鹿しいことだ、と玲二は溜息をついた。目の前に強大な宇宙からの敵が、侵略者の魔の手が迫っているというのに。それでも人類は未だ、人間同士で争い合うことすら終わらせられずにいるのだ。

 こんなことでは、倒せる敵も倒せやしない。

 本音を言えば、玲二はこんな任務に就きたくなどなかった。空対空ミサイルの代わりに、対地ミサイルでもJDAM爆弾でも何でもいい。そんなのを積んで最前線に飛んで行き、地上で必死に戦い続けている誰かの力になりたかった。少しでも良い、ほんの少しだって構わない。人間相手にターゲット・マーカーを向けるよりは、よっぽどマシな任務だ。

 しかし不運なことに、この小松基地に配備された第6航空団の主な任務は防空だった。玲二の望むような、そんな幻魔相手のFS任務にだって出ることはあるが、そこまで機会は多くない。そんな地上相手の任務はA-10D攻撃機が配備された飛行隊が担うのが大半で、玲二たちに回されてくる機会は稀だった。

 結局のところ、玲二が昔夢見ていたものは、今もまだ夢見ている理想なんてものは。そんなものは、この空の上には何処にだってありはしないのだ。

 まして、玲二の夢見ていた空は、玲二の手に入れた翼ではどうやったって届きなどしない。玲二が手に入れた銀翼では、とても届くような場所じゃないのだ。何せこの地球ほしの何処からも、ヒトが自由に飛べる空なんてものは、そんなものはとうの昔に消えてしまっているのだから。

(……だからこそ)

 だからこそ、敢えて玲二は飛ぶのだ。自らの手に入れたその銀翼で、嘗て夢見た理想を、幼き自分が夢見ていた空を取り戻す為に。その為に、玲二はここにいるのだ。

「……どうしたの、玲二」

 と、そうしていれば。またこちらの方に視線を向けてきていた美希が、怪訝そうな顔色で問いかけてきた。玲二は、やはり視線だけを彼女の方に横目で向ける。

「難しそうな顔……してたから」

 すると、美希はそう言った。玲二はフッと笑い、

「難しくもなるさ、こんだけ暇を持て余してちゃあな」

 何処か呆れたように、肩なんか竦めながら、大袈裟にそう言った瞬間だった。

 ――――アラート待機室へと、唐突にけたたましいベルの音が鳴り響いたのは。

「玲二っ!」

「分かってる!」

 全身の血液が、一気に沸騰する。うたた寝のようにリラックスしていた意識は途端に加速し、覚醒し。美希が言うよりも早く、玲二は本を投げ出しソファから飛び起きていた。

 スクランブル出撃の合図だ。あまりに聞き慣れたそのベルの音に、身体の方が早く反応する。国防軍の防空警戒システム・JADGEジャッジが防空識別圏内に未確認の機影を捉え、その迎撃に出よと玲二たちに出撃命令が下ったのだ。

 玲二も美希も、全速力で走り抜けていく。目の前の扉を肩で吹っ飛ばすように開ければ、その先はもう格納庫だった。

 アラート出撃に備え機体を暖めておく為の、アラートハンガーだ。その中には玲二たちの半身たる二機の彼女たち、F-16JA戦闘機がその翼を休めていた。

 同じようにアラート待機に就いていた整備兵たちが血相を変えて駆け回る中、玲二と美希は別れ、それぞれの機体へと駆け寄っていく。

 機体に掛けられたラダー(はしご)を駆け上り、キャノピーの開いたコクピットへと滑り込む。装備を着込み、ヘルメットを被り。コクピットの中に置いておいたチェックリストを膝に乗せつつ、手早く機体状況をチェックする。出撃までに許された僅か五分ばかしのときが、この時ばかりは永遠のように長く、そして閃光のように早くも感じてしまう。

 格納庫の扉が、ゆっくりと開いていく。JFS(ジェット・フューエル・スターター)始動。F-16Jの単発ターボファン・ジェットエンジンが唸りを上げる。その淑女のような外見に似合わぬほど獰猛な轟音を奏で、やがてその鼓動は甲高くなっていく。そうしながらキャノピーを閉じれば、コクピットの中に一種の閉鎖空間が出来上がった。

 その間に、玲二はチェックリストの項目を急ぎこなす。計器類、フラップにラダー、そしてトリムなどの動翼類。全てに問題はない、いつでもこの大空へと飛び出せる。

 整備兵たちが最終チェックを終え、翼端ランチャーに積んだAAM-3短距離空対空ミサイルの安全ピンを外した。車輪止めが外され、出撃準備が整う。誘導役の整備兵と最後に手信号を交わし、玲二のF-16Jがゆっくりと格納庫の外へと歩み出した。

「レイピア02、スクランブル」

 その先にあったのは、星々の煌めく闇夜だった。誘導灯が煌めく幻想的な空間に、この銀翼を携えた淑女とともに這い出していく瞬間を、玲二は毎度の如く何故か楽しくも感じてしまう。

『Rapier 02. vector260. Climb Angels 30, by buster. Contact channel 2. ……Read back』

 レイピア02へ、方位二六〇度、高度三万フィートまでアフター・バーナーを使い上昇。無線チャンネルは二番で接続せよ。繰り返せ。

 その意が込められた無線が基地の管制塔から届けば、玲二はその通りのことを復唱し。そうすれば管制塔から『Rapier 02 Read back is correct』と、その復唱内容が正しいことが告げられた。

『Rapier 02, Runway 24 Clear for takeoff』

 レイピア02、滑走路二四番からの離陸を許可する――――。

「Roger, Cleared for takeoff」

 離陸許可が告げられれば、玲二は了解の意を返し。そしてスロットルを一気に押し上げた。

 唸り声を上げていたエンジンが遂に火を噴き、最大推力のアフター・バーナー状態で以てその翼を一気に加速させる。やがて舞い上がれば、玲二のF-16Jは煌めく炎の軌跡を残しながら、凄まじい爆音と加速度とともに漆黒の空へと飛び立っていく。

『今度はロシアか、或いは中華連邦か。どちらにせよ気を抜かず行きましょう、レイス』

 そして、後方を追い縋るように離陸してきたF-16Jの美希へ向け、玲二は「どっちでも良いさ、フィックス。お前も気を抜くなよ」と短く言い返す。

 レイスにフィックス、両方ともがそれぞれに付けられたTACネームという……まあ、戦闘機乗り同士の仇名のようなものだ。各々のヘルメットや機体端にも書かれたその名で、二人は呼び合っていた。

(皮肉なモンだな、本当に)

 ――――レイス。

 その名が意味するところは幽霊、或いは生き霊といったところか。玲二という名前をもじって、そして彼が夜間戦闘を得意とする性質タチから、今の飛行隊に来てから飛行隊長に名付けられた名だ。今みたいな状況だと何ともまあ皮肉っぽくはあるが、玲二自身は今のTACネームを割と気に入っていた。

「急ぐぞ」

『……レイピア03、了解』

 西洋のレイピア剣を模った部隊章を尾翼へ誇らしげに掲げ、二羽の銀翼が暗闇の中へと飛び立っていく。第307飛行隊≪レイピア≫の二人が、各々が相棒たる銀翼の淑女・F-16J戦闘機とともに、今日もまた漆黒の空へと消えていった。抱いた夢のカタチとはまるで違う、閉ざされた空シャッタード・スカイの中へと…………。

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