Int.77:哀しみと屍を越え、託された戦友《とも》の意志を胸に

 ――――そして、また暫くのときが過ぎ。延ばされていた夏休み期間も漸く終了すれば、士官学校にも再び他の訓練生たちの気配が戻ってきた。

 当然、他の訓練生たちにもA-311訓練小隊の噂は広まっていた。毎回毎回あれだけの数の輸送ヘリを飛ばし派手に出撃していたのだから当然といえば当然だが、驚きだったのはまどかの戦死までもが訓練生たちの間で広く伝わっていたことだった。

 だからか、A-311訓練小隊として夏休み期間の間、戦場の中に身を置いてきた一真たちへ注がれる視線は、奇異と困惑の色が織り混ざっているようで。何処か話しづらいような重い雰囲気が流れる中、しかし当の一真ら本人たちは一切気に掛ける素振りも見せず、ただ目の前に迫る十三日のことばかりに追われていた。

 …………誰も彼もが、皆まどかの死から目を逸らそうとしている。

 忘れたい、というワケではない。寧ろその逆だ。志半ばに、若くして散っていった彼女のことを、忘れようだなんて思う者は一人たりとて存在していない。

 ただ、目の前の哀しみから眼を逸らしたかっただけだ。少しでも良い、目の前の楽しいことだけに眼を向けて、まどかを喪った哀しみから眼を逸らしたかった。未だに心にぽっかりと空いてしまった穴を、少しでも埋めたかっただけなのだ。

 だからこそ、知らぬ周囲の人間からは余計に妙な視線を注がれてしまう。大切な仲間を亡くしたというのに、哀しみもしないのか。中にはそんな、何処か彼女たちを責めるような視線すらあった。実際にそう罵声を浴びせられることこそ無かったものの、しかし沈黙と漂う雰囲気がそれを物語っていた。彼女たちもまた、それを悟った上で、しかし何も釈明することはなかった。

 所詮、他の者たちは知らないのだ。A-311小隊は既に、哀しむべき時期をとうに過ぎていることを。彼女の死を哀しみ、悼むべき時間は彼方へと過ぎ去っていて。この先はただ、彼女の分まで生きていくしかないのだということを。最期に想いを託し、そして散っていった彼女の分まで生きて、戦い抜くしかないのだということを、他の者たちは知らないのだ。

 こればかりは仕方のないことで、無理ないことだ。熾烈な戦火の中を潜り抜け、一つまた一つと夜を越えて。そうして、若すぎる身の上で今日まで戦い抜いてきたからこそ。これは、だからこそ分かることなのだ。未だ実戦に身を投じていない、一介の訓練生でしかない他の面々に、それが理解出来るはずもないのだ。親しかった者の死を、戦友の死を。愛していた者の死に直面し、経験していない彼らには……。

 故に、A-311小隊の面々はそれを甘んじて受け入れていた。仕方のないことだと、心の何処かで割り切りながら。今はただ、それぞれが生きるこれからのことだけを考えるしかなかった。散っていった彼女の意志を、生命いのちの欠片を、哀しみに打ちひしがれた背中に背負い。その上で、生きられる限りを生きていくだけなのだ。目の前にある楽しげなことで、胸に空いた穴を必死に埋めようとしながら、ただひたすらに…………。





 国防陸軍・中部方面軍司令部から辞令が下り、A-311訓練小隊の面々に正式な階級が授与される運びになったのは、そんな夏休み明けの直後のことだった。

 その日の過程を終え、放課後になって小隊の一同は普段通りにA組の教室へと呼び出される。そこで待ち構えていた西條と錦戸、二人の教官から彼女らが受け取ったのは、階級章だった。

 軍司令部から与えられた階級は、准尉のモノだった。士官学校に未だ在学中の身の上で軍務に、実戦に駆り出されたが故の特例的措置か、或いはA-311小隊の戦功が認められたか。恐らくはその両方だろうと西條は語っていた。

 本来なら、士官学校を正式に卒業した身であれば少尉の階級が与えられるはずだ。人型機動兵器T.A.M.Sも、そしてそれに類する支援要員であるCPオフィサーも、全て士官に任命された者らが担う。西條たちはあくまで教官という立場上の都合で一等軍曹の階級を得ているだけなのは、西條の元階級が少佐、そして錦戸が大尉ということを思えば理解出来るだろう。

 が、一真たちA-311小隊はほぼ全員、訓練生の身分で軍務に就いていた。それが故に特例として准尉という、准士官の階級を授けられたのだ。寧ろ今になってこの辞令が下るのは遅すぎたぐらいだが、瀬戸内海絶対防衛線が半ば瓦解しかけているほどに切迫した戦況の現状、それも仕方のないことかもしれない。現に今、淡路島では尚も熾烈な攻防戦が繰り広げられているのだから。

 そうして西條の手から、一人一人へと階級章が手渡された。原隊で既に少尉階級を得ているエマとステラは除いた七人に准尉の階級章が手渡されれば、各々はそれを手の中に硬く握り締める。渡された階級章の重みは、既に全員が痛すぎるほどに身に染みて理解していることだった。

「……白井、これは君が持っておけ」

 と、最後に西條は白井へと、階級章をもう一つ手渡す。受け取った自分の手の中にある、余った一つの階級章。それが暗に示すところを理解すれば、白井は無言のままにそれを握り締めるしかなかった。強く、強すぎるほどに。

「出来ることなら、アイツにも直に手渡してやりたかったよ」

 眼を細め、遠い眼をした西條が小さく懺悔するように呟けば、白井は「いいんスよ」と言葉を返す。

「……俺が、コイツは俺が渡してきますから」

「白井……」

「大丈夫っスよ」気遣うような西條の視線に、白井は敢えて笑顔を向ける。

「笑ってて欲しいって。俺には、笑ってて欲しいって。それが、あのの願いでしたから。

 ……だから、もう大丈夫っスよ。これでも俺っちだって男の子なんで、そういつまでも立ち止まってはいられないっスから」

 ニッと、嘗てのような笑みを見せる白井。しかしもう一つの――橘まどかに渡すはずだった階級章を握る手が、あまりに強く握り締めていることに。歯を食い縛るかのように強く握り締められていることに気付くと、西條はただ「……そうか」とだけしか言えなかった。

「済まない、私が不甲斐ないばかりに……」

「……教官のせいじゃ、ないっスよ。アレは全部、あの色男のせいっスから。アレは全部、アイツのせいですから」

 その言葉の裏に、マスター・エイジの存在を暗に仄めかす白井の言葉の裏には、確かな復讐心が宿っていた。暗闇の中に浮かび上がる炎のように燃え滾る、ドス黒い復讐心が。確かに今の白井の言葉と笑顔の裏には、それが宿っていた。

「アキラ…………」

 そんな白井の傍らで、ステラはただ小さく彼の名を呟くことしか出来ない。彼の思いを、彼の意志を誰よりも理解わかっているからこそ。だからこそステラは、それ以上の野暮な言葉を紡ごうとはしなかった。彼の決意を、そして傍に居ると決めた自分の決意を、そんな些細なことでブレさせたくなかったから。

「必ず持ってくよ、俺がさ」

 白井の握り締めた手の中で、小さな階級章が微かに軋む。本来なら彼女の手に握られるはずだったそれが、彼の手の中で独り寂しく軋んでいた。

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