Int.76:忍び寄る戦火の影、胸中に抱くは一抹の疑念

「ふおぉぉーっ!! こ、これで終わりか……!?」

 それから数時間後、二人は大量の荷物を抱えて錦戸の待つコインパーキングまで戻ってきて。それら大量の荷物群の最後の一個をギャランGTOのトランクに詰め終えれば、一真は息も絶え絶えになりながら思わずそんな声を漏らしていた。

「うわあ、ホントにギリギリだね」

「ホント、我ながらよく入れたって感じだよ」

 それこそ隙間が無いといったぐらいギチギチに荷物たちが詰め込まれたトランクルームを前にして、何処か楽しげな顔のエマと疲れ顔の戒斗とが見下ろしそれを眺める。

 こうして改めて見てみると、凄まじい量だ。冷静に考えてみれば、とても二人ぽっちで買い出しに行かせるべき量じゃない。一真の肩がやたら凝って仕方ないのも納得というものだ。変に格好付けて荷物の大半を自分が抱えなどしたが、正直今になって半分後悔している。しかもこの炎天下ということもあって、疲労度も汗の量も完全にレッドゾーンだ。冷たい水かスポーツドリンクの類が妙に恋しい。

「まあいいや、これで俺たちの仕事も終わり。さっさと乗ろうぜ?」

「うんっ」

 バタンとトランクリッドを閉じ、一真はエマとともに助手席側へと回る。ドアを開ければ「お疲れ様です」と錦戸がいつもの温和な笑顔で声を掛けてくれた。

 助手席をズラし、先にエマを通してから一真も後部座席へ。二ドア特有の少しばかりやりづらい後部座席へのアクセスを済ませ、二人並んでリアシートに腰をお落とすと、冷房の効いた車の中で流れていたのは先程までのカセットテープの音源でなく、AMだかFMだか定かでないラジオのニュース放送だった。

「…………」

 助手席側のドアを閉じてから少しの間、錦戸はカーステレオから流れてくるそのニュース放送、キャスターの読み上げる内容に黙って耳を傾け続けている。一真もエマも何か声を掛けようとしたが、しかし錦戸の横顔が何処かシリアスな色を見せていたから、何も言わず黙って同じようにラジオ放送へと聞き耳を立てることにした。

『――――繰り返し、お伝えしております。現在、淡路島南西部では上陸した幻魔の大規模集団と軍が交戦状態に突入しています。島民の避難は進んでおりますが、依然として混乱状態にあり、避難状況は芳しくないとのことです。

 また大阪、神戸を初めとした近隣地域にも避難勧告が発令されており――――』

「……戦況は、やはり芳しくないようですね」

 ステアリングに掛けた両腕へ、枕にするみたく顎を預ける錦戸がポツリ、とひとりごちる。流れる報道の内容に、一真もエマもただ、黙って息を呑むしかなかった。

 ――――淡路島への侵攻。

 良くない知らせだ。G06四国幻基巣を有し、その全域が敵性支配下に置かれている四国。そこから鳴門海峡を挟んでほど近く、それでいて面積の大きな淡路島は本州防衛戦略、或いは四国奪還の両面に於ける軍事的要所なのだ。

 それが故に、今や敵地と化した四国に面する西部の海峡沿いには強固な要塞陣地が構築されていて、守りも強固なはずだ。しかしその淡路ですらもが突破されたともなれば、戦況はいよいよ芳しく無くなってきているのかもしれない。

 今となっては巨大な浮遊基地に変貌した淡路島には、空軍用の航空基地を初めとした様々な軍施設が整備されている。それらが必要とする大量の物資や兵員を効率よく運ぶ為に、明石海峡には本州と淡路島とを繋ぐ明石海峡大橋も渡されている。その為、もし仮に淡路島全域が敵の手に落ちたとなれば、この橋を伝って敵が一気に本州へと雪崩込んでくる可能性は非常に高い。

 当然、国防軍としてもそんなことは看過できず、いざとなれば橋を爆破するなりして落とすだろう。しかし仮にそうして本州への侵攻が免れたとしても、淡路島奪還後の橋の再建や、それまでの間の物資輸送に大きな支障を来すことは眼に見えている。そうなってしまうこと、ひいては淡路島が敵の手に落ちること自体、今後の国防戦略を根本から揺るがしかねないほどの事態なのだ……。

「このまま、粘りきってくれれば良いのですが」

 また錦戸はポツリと独り言を呟くが、本当にその通りだと一真も同じ気持ちだった。

 そんな傍ら、元は欧州連合軍の為に、日本の国土防衛事情に詳しくないエマは、何となくピンとこないような様子だった。とはいえ一真と錦戸、二人の雰囲気から何となく事態の深刻さを悟っているのか、ラジオに聞き耳を立てる彼女の表情もまた、やはりシリアスな色をしていた。

「おっと、申し訳ない。少しばかり聞き入ってしまいましたな。お二人のことを蔑ろにしてしまったようで、申し訳ない」

 錦戸はハッと我に返ると、穏やかな笑顔で振り返りながら後部座席の二人に詫びてくる。それに一真たちが「いえ」「大丈夫ですよ、教官っ」と返せば、錦戸は途端にカーステレオをラジオ放送から再びカセットテープの音源に切り替えた。

 流れ始めるロックンロール・ミュージックは『Good Times Bad Times』。どうやら錦戸、よほどレッド・ツェッペリンがお好みらしい。歳を考えれば世代直撃ぐらいの頃だから、無理ないことかもしれないが。

 サイドブレーキを下ろし、クラッチを切りながらギアを入れ、再びクラッチを戻す。サターン・エンジンの駆動力が伝わった後輪が回り始めれば、三人を乗せた白いギャランGTOはゆっくりと進み出した。

 コインパーキングを出て、帰路をひた走る。相変わらずの日差しは少しばかり西の方へと傾き始めていたが、しかし変わらぬ強烈さでギャランGTOの年代物な白いボディを熱く焦がす。

『あーあー。どうだ買い出し組、聞こえてるか』

 そうしてコインパーキングを出て、五分もしない頃だった。一真が懐に抑えていたハンディタイプの軍用無線機から、唐突に西條の声が響いたのは。

「はいはい、どうかしたのか?」

 一真がそれに応答する。双方向のみで使うようにセットした暗号化周波数だから、他の無線機に話が漏れることはない。だからか一真の口調も、「教官と訓練生」としてのものでなく、あくまで素に戻った昔馴染み同士のラフな具合だ。

『そっち、もう終わったかい?』

「終わりも終わり。今そっちに戻ってる最中だ」

『そうかい、なら丁度いいや。折角だから、ついでにもう少しおつかいを頼まれてくれないかな?』

「……舞依、ソイツは何かの冗談のつもりか?」

『冗談のつもりなら、もう少し小粋なジョークを言わせて貰ってるよ?』

 無線の向こう側で、西條が不敵に笑う顔が容易に想像できる。きっと今頃も、いつもの白衣のままでマールボロ・ライトの煙草を吹かしているに違いない。

 そんな西條を思い浮かべながら、一真は諦めたように大きな溜息を吐き出し。その後で「……分かったよ」というと、用済みだったはずの買い出しメモの裏側へ、新たに買ってこいと西條に言われた物々を走り書きで書き留めた。

『じゃあ一真、しっかり頼んだよ』

「仕方ないから頼まれてやるよ、畜生め」

 最後に皮肉っぽい言葉で返してやれば、西條は『ははは』と笑い。そうして通信が途切れると、一真は無線機を懐に仕舞いながらまた、一等大きな溜息をついた。

「あはは……」

 ったく、と独り毒づく一真の隣で、エマがそんな彼を眺めつつ苦く笑う。

「そういえば、カズマと西條教官って付き合い、長いんだっけ?」

 すると次にエマはそんなことを訊いてくるものだから、一真は「君に話したこと、あったっけか?」ととぼけたように首を傾げる。エマは「うん」と頷き返し、

「前にね、君から聞いた覚えがあるよ?」

 と、答えた。

「そうだったっけか……。で、エマ? それがどうしたんだ?」

「いや、少し気になっただけ。何だかカズマって、西條教官と話してる時はいつも、何だか気が楽そうだったから」

「……ま、そうかもな。アイツとは物心付く前ぐらいからの付き合いだし、楽っちゃ楽なのかもしれない」

 一真はフッと笑いながら、にこやかなエマの言葉にそう答える。

 ――――本当に、懐かしい思い出だ。

 西條には、あまりにも色々なことで世話になった。そして、今もなっている。彼女からは様々なことを教わった。サヴァイヴァル技術や、銃火器の扱い。生き抜く為の方法を、何を思ってか西條は幼少の折より一真に教え込んでいた。銃火器の扱いは大分忘れてしまったが、しかしステラが少し前まで頻繁にガン・トレーニングをしてくれていたお陰で、何とか勘は取り戻せつつある。

 本当に、感謝してもし切れない。こうして彼女と同じ軍人の、パイロットの道を歩み出したことだって、彼女の背中を追いかけたいという気持ちが大きすぎたからなのかもしれない。勿論、ただただ彼が力を欲した先にこの道があったということもあるが、何にせよ一真の人生に於いて、西條舞依の及ぼした影響は計り知れないのだ。

「はっはっは、実は私も弥勒寺くんと昔、お逢いしているのですよ?」

 そうして一真が何故か昔のことを思い返していれば、ギャランGTOを走らせる運転席の錦戸がそう、大きく笑いながらで言った。

「マジっすか?」

 眼を丸くした一真が訊き返せば、バックミラー越しに錦戸と眼が合う。錦戸は「ええ」と笑顔で頷いて、

「といっても、弥勒寺くんが赤ん坊ぐらいの頃ですから。覚えていらっしゃらなくても、仕方の無いことです」

 と、言った。

「へえ、カズマが小っちゃな頃かぁー……」

「あの頃の赤ん坊が、今や私の教え子の立場ですから。未だに不思議な感覚ですよ、私としては」

「あははっ、かもしれませんねっ」

 エマと錦戸がにこやかに言葉を交わしている横で、独り一真は一抹の疑問を抱いていた。

(……錦戸教官が、なんでまた昔の俺と?)

 冷静に考えてみれば、あまりにも不自然だ。考えられる唯一の可能性としては西條が連れてくるぐらいだが、それでも変な話だ。というより、それは養子に出される前なのか、それとも後の話なのか? どちらにせよ、西條越しの接触にしてもそうでないにしても、妙な不審点がある。

 とはいえ、今それを錦戸に問う気にはなれなかった。ただただ胸中に深い疑問を抱いたままで、しかし一真はそれを口に出さぬまま車に揺られ続ける。路面のわだちを一つ越える度、その疑問もまた煙のように霧散していった。

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