Int.20:Lonely Heart/夢幻、少女の去り往く朝
「あっくん」
まどかが、そこにいる。
あり得るはずの無い光景に、白井は己の目を疑った。そして此処は何処だろうかと見渡すと、何処かの公園のようだった。妙に見覚えのある、しかし長く足を運んでいなかったような、何処かの公園。
「まあちゃん……? それに、此処は……」
ああ、思い出した。此処はあの公園だ。昔、子供の頃に彼女とよく遊んだあの公園。昔のままの、思い出の中にあるままの風景が辺り一面に広がっている。
そして、白井は気付いてしまう。これは夢なのだと。泡沫に
「強くなりましたね、本当に」
昨日のままの姿で、彼女は優しげに語り掛けてくれる。夢幻のように、ふわふわと輪郭を不安定に揺らしながら。
「……強くなんか、ない」
「いいえ、貴方は強くなった。私はもう必要無いぐらいに、貴方は強くなった」
「俺はただ、誤魔化してただけだ。自分を、周りを誤魔化して。誤魔化したまま、ただまあちゃんの背中を追いかけてただけなんだ」
「私のことは、忘れて生きてください」
「忘れることなんて、出来ない」
「貴方ともう一度逢えて、あっくんともう一度逢えて。私は……幸せでした。本当に、悔いのないほどに」
「嫌だ……! 俺は嫌だよ、嫌なんだ!! まだ返事も返してない、俺の気持ちも何一つ伝えられてない! それなのに、それなのに……!」
気付けば、走り出していた。走りながら、追い縋るように手を伸ばす。しかし幾ら手を伸ばしても、まるで彼女には届かない。自分がそこから一歩たりとも動いていないように、周りの景色も動かない。
「後のことは、ステラちゃんに任せました。……もう、私の役目は終わりです」
「終わりなんかじゃないっ!!」
「ううん、此処で終わりなんです。私がすべきことも、役目も。全部終わってしまった。貴方を、あっくんを、白井彰を縛り付ける楔は、私と共に消え去ります」
「そんなの……! そんなの、あんまりじゃないかっ!」
「出来ることなら、私ももっとずっと、貴方の傍に居たかった。……けれど、もう時間切れなんです」
「嫌だ!」
しかし、まどかは黙って首を横に振る。瞼を伏せて、少しだけ哀しそうな顔をして。
「愛していました、ずっと貴方のことを。そして愛しています。この先も永遠に、貴方のことだけを愛しています。
…………お別れは寂しい。けれど、きっといつか、また逢えますよ。十何年越しにまた逢えたんです。ならきっと、次だってまた必ず逢えますから」
「そんな……! そんなぁっ!!」
追いかけても追いかけても、距離は縮まらず。寧ろ遠ざかっていくような感覚の中、白井は独り無様に泣きじゃくり、それでも走り、手を伸ばし続けた。
そんな彼の姿を見て、まどかは少しだけ寂しそうな顔を浮かべ。それでも微笑んでみせると、やはり寂しそうな瞳で彼と視線を交わす。
「生きてください。生き続けてください。私のことは忘れて、貴方は生きてください。
…………それが、私の最期の願いです。貴方が幸せであることを、祈り続けています――――」
そして、彼女は消えてしまった。差し込んだ光の中に輪郭を薄め、その中に溶け込んでいくように…………。
窓の隙間から差し込む真夏の朝日に刺激されて白井彰が目を覚ますと、しかし瞼を開けた先にあったのはまるで見覚えの無いような低すぎる天井だった。
「此処、は……」
ワケも分からずに頭上に手を伸ばしていると、すると此処がどこぞのベッドの上だと知り。そうすれば、自分が寝かされている此処が何となく二段ベッドか何かなのだろうと白井は何気なしに理解する。
と、横を見ると。自分の寝かされているベッドの傍の床へ座布団を敷き、そこでベッドの支柱に預けるようにしてこちらにもたれ掛かっている背中があるのが白井の眼に映った。すぅすぅと寝息を立てて漕ぐ舟に、真っ赤な紅蓮の焔にも似たツーサイドアップの尾を小さく揺らす背中が。
「……ステラちゃん」
そんな彼女の――――ステラの背中を見て、そして白井は漸く思い出した。此処が何処で、そして昨日何がどうなったのかを。
昨日、飛び出した先のあの公園でステラに拾われ。そしてそのまま、彼女に言われるがままに彼女の部屋に
「心配、掛けちまったかな」
ベッドから上体を起こしつつ、寄りかかるステラの方を見ながら白井が小さくひとりごちる。自分の寝ていたベッドのすぐ傍ですぅすぅと今も安らかな寝息を立てている彼女は、きっと夜通し傍に居てくれたのだろう。まるで熱にうなされる子供を見守る母親のように、ずっと此処で見守ってくれていた。
そう思うと、何故だか胸が痛む。ステラに此処までの心配を掛けさせてしまった自分の不甲斐なさに苛立ち、ポッキリと折れてしまった自分の心に腹が立ってしまって。
「…………」
彼女は、橘――いいや、間宮まどかは今際の際に言っていた。自分のことは忘れて生きてくれと。白井彰の背負う十字架は、全て自分が持って逝く。だから、自分のことは綺麗さっぱり忘れて生きてくれと。
「ごめんな、まあちゃん。でもさ、やっぱり俺、まあちゃんを忘れて生きるだなんて無理だよ」
まどかは、幸せだったと言っていた。自分ともう一度逢えて、少しの間だけでも一緒に居られて、幸せだったと。
彼女は言っていた、白井彰のことを愛していたと。ずっと昔から、あの
「…………」
結局、返事を返すことは出来なかった。自分を騙し続けてきた末、結局自分の想いを伝えることは出来なかった。
「なら、俺は」
苦しいときほど、笑って過ごせ。笑っていれば、いつかそれを本当に笑える日が来る。
「俺は、戦うよ」
だから、白井彰はフッと小さく微笑んだ。彼女の言葉のままに、間宮まどかの望みのままに。泣き顔は見たくないと言ってくれた彼女の為に、白井は影を落とし沈んだ顔の中に、少しだけ無理のある笑顔を浮かべてみせた。
「まあちゃんに拾って貰った命、使い切るまで俺は戦う」
そして、白井はベッドから立ち上がる。此処に来る前に着替えた制服、その上着のブレザー・ジャケットを、寝息を立てるステラにそっと被せてやって。
「必ず、仇は取る。……何をしてでも、野郎は俺が殺す。君の為に、俺がこの手で殺してやる」
だから、見ていてくれよ――――俺が終わる、その瞬間まで。
すり減らした心に小さな決意を秘め、白井彰は部屋を出て行く。その背中を、薄目を開いていた金色の瞳が眼で追っていたことにも気付かないまま。
「……馬鹿」
被せてくれたジャケットをぎゅっと胸元に抱き締めて、ステラは悔やむみたいに小さく呟いた。
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