Int.14:Forget me/遺された者たち②

 あれから、どれぐらいが経っただろうか。

 とめどなく溢れ出てくる感情の大波を、彼女の華奢な身体にぶつけるようにして。そうしてひとしきり吐き出し終えれば、一真は屋上の出入り口がある出っ張りの傍に座り込み、壁に背中を預けるようにして夜明け前の夜空を仰いでいた。

「……落ち着いた?」

 隣り合ったエマが顔を覗き込むようにして問うてくれば、一真は「ん」と微かに頷く。

「なんか、悪かったな」

「いいさ」と、エマ。「君の気持ちは、僕にもよく分かる」

「……君は」

「ん?」

「エマは、こんな思いを何度も味わってきたんだよな」

「……まあね」

 微かな微笑みと共に小さく肩を竦めながら、自嘲するみたいにエマが肯定する。

「死んでしまったら、それで全部終わっちゃう。けれど、遺された僕たちには、まだしてあげられることがある」

「してやれる……こと?」

「うん」ぽかんとした顔の一真にエマは小さく頷いて、そして紡ぐ言葉を先へと進めた。

「忘れないことだよ」

「忘れない……」

「そう、忘れないこと」

 隣り合った彼の手に、自分の掌をさりげなくそっと添わせながら。エマは想いを深いところまで巡らせ、郷愁に浸るかのような遠い眼をして言う。

「まどかが生きていたことを、忘れないこと。間宮まどかという彼女がどういう風に生きて、どんな時間を僕らと過ごして、どんな言葉を交わして、そしてどんな顔をしていたか。

 …………どんな些細なコトでもいいんだ。ほんの少しでも良い。僕らがそれを忘れない限り、まどかのことを忘れない限り。そうしている限り、生きている僕たちこそが、彼女の生きた証たり得るんじゃないかな?」

 少なくとも、僕はそう思う。そう思って、今日まで生きてきた――――。

 その言葉は、確かな重みを伴って一真の奥の奥にまで沈み込む。エマの言葉の端から滲み出すこの筆舌に尽くしがたい重みは、彼女があまりに酷いモノばかりを見過ぎたが故なのか。この世の地獄と揶揄される欧州戦線で、それでも戦い生き続けてきた彼女の言葉だからこそ、胸の奥底にまで沈殿し。そして一真は、そんな彼女の言葉を深々と噛み締めた。

「忘れないこと、か……」

「そう、僕たちが忘れない限り、あのが確かに生きていたという証は生き続ける。少なくとも君と僕の中で、間宮まどかが確かにこの世界に生きていたことが真実であり続けるんだ」

「…………エマは、やっぱり強いな」

「強くなんかないよ、僕は」

 微笑みの中に微かな苦笑いを織り交ぜつつ、エマが言う。

「人よりも色んなモノを多く見過ぎて、何を間違えたのか、皆よりも長く生きすぎただけだから。流さなきゃいけないはずの涙だって、もうとっくに涸れちゃってる。幾ら哀しくても、どれだけ哀しくても涙一つ零れやしない。哀しいはずなのに、心の何処かで「仕方ない」って割り切ってる自分が居る……」

 小振りな唇から独白みたく紡ぎ出すエマは、もう片方の手を自然と首元へと寄せていて。そこに吊している小さな金色のロザリオを、知らず知らずの内に掌の中でぎゅっと握り締めていた。

「……きっと、この先もこんなことは起きる。これが戦争である以上、どうしても仕方の無いことだから。

 だから、カズマ。その時にまだ君が涙を流せるのなら、流せる内に目いっぱい泣いておくんだ。独りが寂しいのなら、僕も傍に居てあげるから」

「……ああ」

「でも、願わくばこんな思いは二度と味わいたくないな……。僕の前からこれ以上、誰かにいなくなって・・・・・・欲しくない」

「ああ……」

 それは、きっと叶うことのない願いなのだろう。彼女の、エマ・アジャーニの願いは、きっと未来永劫叶うことのない夢物語。戦う以上は犠牲をどうしても避けられないことは、誰よりも彼女自身が一番身に染みて理解しているはずだ。

 でも、だからこそ。そんな彼女の願いだからこそ、一真はそれに頷いた。純粋な願いを否定したくはなかったし、何よりそれは一真自身の願いでもあった。もうこれ以上、誰かにいなくなって・・・・・・欲しくはないというのは…………。

「――――白井っ!」

 と、そんなタイミングだった。屋上の扉がバンッと乱暴に開かれ、途端にステラの聞き慣れた声が二人の耳朶を打ったのは。

「アキラなら、此処には来てないよ?」

 そうすれば二人の姿を見つけたステラがスタスタと何か訊きたそうに近づいてくるものだから、そんな彼女を見上げながらエマが先んじて回答を告げる。

「ああもう、此処だと思ったのに……!」

「アイツがどうかしたのか?」と、焦り顔のステラに一真が首を傾げながら訊く。

「まあ、ちょっとね……。それより二人とも、アイツの行きそうなとこって分かる?」

「行きそうなところ、か」

「うーん、急に訊かれてもね……」

 一真とエマ、二人が頭を捻らせる。いきなり訊かれたって、そんなパパッと思い付くようなことでもない。

「もう家にでも帰ってんじゃないか?」と、一真。しかしステラは首を横に振る。

「あの状態で、アイツが帰るとは考えにくいわ。……もしそうだったら、別にそれはそれで良いんだけれど」

「だよなあ」

「この時間だし、電車は動いてない。何処かに行くにしたって、アキラはそんなに遠くには行ってないと思うよ?」

「って言っても、この辺でアイツが行きそうな所だなんて……」

「強いて言うなら、あそこの公園かなあ。この辺りで独りになれる場所っていえば」

「「公園?」」

 唇に人差し指を押し当て「うーん」と唸るエマが何気なしにそんなことを言うと、一真とステラは二人揃って首を傾げながらエマに訊き返す。

「ほら、カズマなら分かるんじゃない? この間行ったあそこだよ」

「あー……」

 言われてみれば、士官学校の近くにそんな場所があった気がする。確かにあそこなら此処からそう離れてもいないし、この時間なら他に誰も居ないだろう。傷心の白井が飛び出して独りきりになれる場所といえば、確かにこの周囲であの公園を置いて他にはない。

「エマの言う通りかもだ。敷地内に見当たらないんだったら、あそこが一番可能性としては高いんじゃないか?」

 と、納得した一真がエマの言葉に同意を示すと、ステラは「分かった!」と言って訓練生寮の屋上から飛び出していってしまう。

「何かあった……んだろうな、ステラのあの様子じゃあ」

「だね」頷くエマ。「今回のことで一番ダメージ受けてるの、間違いなくアキラだから」

「折角見つけた例の幼馴染み、結局すぐに死んじまったってコトだからな……」

 遠い眼をした一真の言葉に、エマも「うん……」と頷く。

「でも、僕らがアキラにしてあげられることは何も無い。カズマなら何かしらあるかもしれないけれど……少なくとも、僕は彼に何もしてあげられない」

「…………」

「出来るとすれば、それはきっとステラだ」

「アイツが?」

 一真が首を傾げれば、エマは「うん」と微かに頷く。

「今のアキラに必要なのは、多分僕でもカズマでもない。……アキラの傍に今、一緒に居てあげるべきなのは、きっとステラなんだ」

「……俺には、どうにもピンとこないんだが」

「いつか、分かるさ。それまでは、二人のことはそっとしておいてあげよう」

 こうして、夜は更けていく。男を追って駆け出した彼女のことを案じつつ、しかし一真とエマの二人は、もう少しだけ此処で夜空を仰いでいようと思っていた。静かな夜の中で二人、互いの傷を埋め合うように。

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