Int.49:After that/刻みつけるは刹那、儚き一瞬のインターバル⑤

 そうして、彼女に手を引かれるままに士官学校の敷地を出て。他愛のない言葉を交わしながら暫く歩いた後に小休止といって訪れたのは、ちょっとした公園のような所だった。

 住宅地の真ん中にポツンとある、取り立てて言うような特徴も無い平凡な公園。士官学校からは五分ぐらいしか歩きでも掛からない距離のはずだから、随分と遠回りして此処に来たことになるだろう。

 まだ早朝ということもあってか、そこに人の気配はほぼ無いに等しかった。聞こえるのは、雲ひとつ無い蒼く澄み切った朝の蒼穹そらを背景に飛び往く、幾羽かの小鳥たちの羽音と囁きだけ。

「ほい」

 そんな公園内の、良い具合に腰を落ち着かせられそうな真四角の広いベンチ。東屋あずまやめいた木造の屋根のような構造物が頭上を覆うそこに腰掛け待っていたエマに近寄りながら、一真は傍の自販機で調達してきたミネラル・ウォーターのペットボトルを手渡してやった。

「うん? ……あっ、ありがとねカズマ」

 小さく微笑みながらそれを受け取るエマに「いいのいいの」と返しながら、一真も彼女の真横に腰掛け。自分の分の水を開栓すれば、それをグイッと煽り喉に流し込む。

「――――っふぅ、冷たくて気持ちいいね……」

 そうしていると、隣のエマもまたちびちびと飲みながらそんな独り言を呟いていた。伸ばした両足を何故か小刻みにぱたぱたさせるような仕草も見せながらなものだから、それを横目に眺める一真も、思わず顔色を綻ばせてしまう。

「…………で、俺に何を話したい?」

 少しの沈黙を置いた後に、横目を流しながらの一真がそう訊けば。エマは「うん?」と首を傾げ、微笑みながら「何のことかな?」と逆に訊き返してくる。

「隠さなくても良い。――――何か、俺に話したいことがあったから。だから、こうしてここまで連れて来た。エマ、そうだろ?」

 そんな彼女の、核心を突くみたいなことを一真が小さな笑みを添えつつ告げてやると。「あはは……」なんて具合にエマは苦く笑い、

「……やっぱり、バレてた?」

 そう訊いてくるものだから、一真は「途中から」と半笑いで頷いてやる。

「まあ、カズマと出くわしたのは、ホントに偶然なんだけどね。でも、良い機会かなって」

「良い、機会?」

 一真が訊き返すと、うんとエマが小さく頷く。

「実はね、今朝……彼のお見舞いに、少しだけ顔を出したんだ」

「……国崎の?」

「うん」もう一度頷き、一真の問いかけを肯定するエマ。

「まだ、眼は覚ましてなかった。それに美桜も一緒に寝ちゃってたから、ちょっと覗いただけで出てきたんだけどね」

「そうか……」

 ――――美桜の奴、あれからずっと傍に居たのか。

 そう思えば、一真は自然と軽い笑みを零してしまう。美桜、あれでいて余程、国崎のことが心配だったのだろうと。

「――――カズマ」

 あの二人のことを思い出し、一真が小さな笑みを零していると。いつの間にかこちらへ振り向いていたエマが、真っ直ぐな、それでいて少しだけシリアスな色を織り交ぜた蒼い瞳を、こちらへと向けてきていて。だからか一真も「……どうした?」と、少しだけ声音を低くしながら、そんな彼女の瞳と交錯させるように横目を流す。

「君に、言っておきたいことがある」

「……俺に?」

 一真がきょとんとしていると、エマは「うん」と真っ直ぐに頷いて、

「――――戦う以上、人の死は避けられない」

「っ……」

 そんな彼女の言葉に、妙な厚みがあったせいで。一真は一瞬だけ、言葉を失ってしまった。

「きっと、君たちはまだそれを分かっていない。……分からなくても、当然だ。僕だってそうだった、嘗ての僕も、そうだったんだから」

 しかし、エマはそんな一真の反応を意図的に無視するようにして話を続けていく。ベンチに突いていた彼の右の掌に、上から覆い被さるようにした自分の華奢な手を添えてやりながら。

「僕たちがやっているのは、あくまで戦争だ。……そうである以上、いつか誰かが必ず死んでしまう。尊くも哀しい犠牲サクリファイスになって、居なくなっちゃうんだ」

「……分かってるさ、それぐらいのこと」

「頭の中ではね」一真が低く呟いたことを、やんわりと否定するようにエマが言う。

「でも、実際そうなってしまえば、ひどく哀しいものなんだ。哀しいし、頭がぐちゃぐちゃになって、ワケが分からなくなる」

 錯乱状態、って奴なのかな――――?

「そうなった時に、出来るだけ混乱しないように。君までどうにかなって欲しくないから、敢えて話しておこうと思ったんだ」

「…………エマ、君は」

 そういう君は、一体どれだけの死を見てきたんだ……――――?

「それ以上は、言わなくても大丈夫だよ」

 そう言い掛けた一真だったが、しかしエマが半ばでそれを制した。

 ――――エマの出身はフランスで、そして欧州連合・フランス空軍の少尉殿だ。即ち彼女が経験してきた戦場という奴は、この世の地獄と揶揄される欧州戦線なのだ……。

 そこでの戦いがどれだけ凄惨で悲惨なものだったかは、想像に難くない。いや、きっと己の想像の範疇なんてのは軽く超えていることだろう。それほどまでの激戦区が、欧州戦線という奴なのだ。

 一真は、それを知っているからこそ――――彼女の言葉の裏に隠された凄まじい重みに、圧倒されていた。それこそ、言葉も出ないほどに。

「……今回の彼は、本当に運が良かった。美桜の前では絶対に言えなかったけれど、一歩間違えれば確実に彼、死んでたはずだから」

「…………だろうな」

 それぐらいは、一真にだって分かる。国崎がどれほどの幸運の元で、ああして五体満足で生きて帰って来られたのかは。

「きっと、こういうことはこの先、多々あることだと思う。……いや、最早これは必然かもしれない」

「…………」

「だから、カズマ? 君だけでも良い。もしそういうことになって、皆の頭が滅茶苦茶になり始めたら。その時は君だけでも、正気を保っていて欲しいんだ」

 そうすれば、正気を保てているのが一人でも居れば。きっと、それ以上のことは防げるはずだから――――。

 そんなエマの言葉が、やはり凄まじい重みを伴っていて。きっとこれは彼女の経験則なんだと思えば、一真はただ短く「……ああ」と頷いてやることしか、彼女にしてやれることは無かった。

「……ふふっ」

 すると、エマは何故か小さく微笑み始めて。そうして「大丈夫だよ」と耳元に囁きかけるような至近距離で一真に囁くと、

「カズマは、ちゃあんと僕が護ってあげるから。――――だから君は、何も心配しなくていい」

 諭すようにそう言いながら、スッとごく自然に、エマは自分の両腕を一真の首へと回し。そのまま、自分の方に抱き寄せるようみたいに彼を引き寄せる。

「……普通、こういうのは逆だろ?」

 されるがままになりながら、一真が自嘲めいた笑みを浮かべてそう言うが、しかしエマは「逆じゃない」と、やはり諭すみたいな柔らかな声音で言う。

「なんで僕が、今になってこういう話したか……分かる?」

「いや……」ほんの少しだけ首を横に振って、一真がやんわりと否定をする。

「ふふっ、簡単なことだよ。――――君が、あんまりにも辛そうだったから」

「えっ――――?」

(辛そうだった……? 俺が……?)

 自覚は、無かった。無かったからこそ、一真はきょとんと目を丸くした。

 すると、エマは「多分、君自身も分かってない」と言いながら、右の掌でそっと一真の後ろ髪を撫でる。その手つきも、そして囁きかける声音も。彼女の仕草一つ一つが、まるで赤子をあやす・・・母親のように優しさに溢れていて。それでいて、何処か羽毛のように柔らかく感じてしまう。

「きっと、彼が危ない目に遭ったことで、君の心は随分と痛んでいたんだと思う。……昨日から、そうだったから」

「だから、昨日はずっと俺に……?」

 一真がそう訊くと、エマは「うん」と小さく頷いて、それを肯定した。

 ――――昨日、デブリーフィングが終わった後。西條たちと話があるといって瀬那が別行動を取った後も、エマだけは延々と一真の傍に付いてくれていた。国崎を見舞いに行く前も、その後も。部屋に戻れば、瀬那が戻ってくるまで203号室に何故か居座り続けていたぐらいだ。

 不思議に思ってはいたが、その意図が、まさか自分を心配してのことだっただなんて、一真は欠片も想像していなかった。想像していなかったからこそ――――なんだか、胸が痛んでくる。

(心配、掛けちまったのか)

 もしかすれば、無自覚の内に顔に出てしまっていたのかもしれない。仕草の細かいところに、出ていてしまったのかもしれない。

 それが、何処に滲み出てていたといえ――――結果的に、自分は彼女に、エマにこんなにも心配を掛けてしまった。だからなのだろう、こうも胸が痛んで仕方ないのは。

「…………あの時の君は、独りにしちゃいけないって。なんだか分かんないけれど、そう思ったからさ」

「…………」

 ――――その優しさが、却って今は胸に辛く響く。

「君は、優しいから。あまりに、優しすぎるから……――――だからこそ脆く、そして何処か危うい」

「俺は、優しくなんて」

「嘘は、言わなくていい。僕の前で、強がらなくたって良いんだ」

 やはり諭すみたいな声音でそう言いながら、エマは一真の頭を深く抱き寄せ。そうして、やはり赤子をあやす・・・ような手つきで彼を優しく撫でる。触れた彼女の肩から、触れた素肌から香る淡い彼女の匂いが、何処か優しく鼻腔を撫で、まるで己を包み込むようだった。

「…………エマ、俺は」

 そうされながら、ポツリポツリと一真の紡ぎ出す言葉は、やはり今にも崩れそうな程に脆く儚くて。しかしエマはそれに「もう、何も言わなくていい」と言いながら、彼の髪を、頭をそっと撫で続けていた。

「僕の前では、もう強がらなくていい。どうせ、今は君と僕しか、此処に居ないんだから……」

 そう、エマに囁きかけられてしまえば。一真はただ一言「……そうか」と短く頷くだけで、そのままゆっくりと瞼を閉じた。その隙間から流れ落ちる、僅かな涙粒にも気付かぬまま。

「よく頑張ったね、カズマ。――――でも、もう良いんだ。僕と二人きりの時だけは、君は強がらなくたっていい。

 だって僕は、もう知ってるから。君の強さも、優しさも。全部全部、知ってる。全部知った上で、それでも君が愛おしくてたまらない。ここまで君を愛して仕方ない女の前でぐらい、君はそのままの君で居ても、良いんだよ…………?」

 囁かれ、そんなエマに深く抱き締められてしまうと。一真はもう、そこからは彼女にされるがまま、全てを預けるように、張っていた肩肘からちからが抜けていってしまっていた。

「…………君は、そこにいてくれるのか?」

 瞳を閉じたまま、途切れそうな程に脆い声音で一真が呟く。

「大丈夫、心配しなくていい。僕はここにいる、君と、ずっとここにいるから…………」

 そんな彼女もまた、瞼を小さく閉じて。そうして彼の身体を抱き寄せると、小さく彼に囁きかけた。

「そうか――――」

 なら、安心した――――。

 今は、今だけはこの優しすぎる温もりに包まれていたいと、一真は素直にそう思えていた。

 だからこそ、握り締めていた拳からは、ゆっくりとちからが抜けていき。そうして、握り締めた拳が、ゆっくりと解かれていけば、一真はふとした時に、こうも思ってしまっていた。

 ――――もし、赦されるのならば。今だけは、この安らぎの中で揺蕩たゆたっていたいと。

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