Int.42:深淵の藍、胸中に交錯するは憂いと思惑
「――――やはり、奴らの横やりが原因であったか」
医務室で一真たちがそんなやり取りを交わしている頃、屋上では。西條と錦戸、二人の吹かす紫煙が吹き付ける夜風に掻き消えていく中、同じくそこに居た瀬那がそう口にすれば、西條はマールボロ・ライトの煙草を咥えたままで「ああ」と頷き、そんな彼女の言葉を肯定していた。
「そもそも瀬那、君らがこんな状況に置かれていること自体、
「倉本……? 何者だ、
西條の口から飛び出してきた聞き覚えの無い名前に首を傾げる瀬那へ、「陸軍少将です」と答えるのは、同じくラッキー・ストライクの煙草を吹かす錦戸だった。
「少佐とは、昔から犬猿の仲と言っても良いぐらいでしたから。……正直、綾崎さんというよりも、少佐への嫌がらせ半分といった感じでしょうね」
「舞依への、か……」
「昔から、ああいう奴だったよ」
至極呆れたように肩を竦めながら、紫煙混じりの白く濁った吐息を吐き出しつつの西條が言う。
「第一、私たちの≪ブレイド・ダンサーズ≫を解体し、教官職にまで追いやったのも、奴の仕業だ」
「……!」
そんな風に西條が口走った言葉に、眼を見開く瀬那。すると西條はフッと皮肉めいた笑みを浮かべ「驚いたかい?」とわざとらしく首を傾げながら言えば、
「私怨だけでここまでするなんて、冗談みたいな話だろう。分かるよ、私だって何度も笑いそうになった。
――――だが、残念ながらこれは事実だ。本当に、残念な話だけれどね」
ふぅ、と小さく溜息めいて息をつく彼女に、「ならば、早急に対処をした方が
「私らだってね、何度奴を引きずり下ろそうとしたか。
…………しかし、倉本少将という男は存外に狡猾な男でね。中々、尻尾を掴ませちゃくれない。野郎のクラスになれば、引きずり下ろすにも大義名分ってのが必要なんだ」
「……面倒な、話だ」
「だろ?」唸る瀬那に、西條は皮肉めいた、冗談みたいな薄い笑顔を見せる。
「とはいえ、奴も
「……舞依、何を申したいのだ?」
「簡単な話だよ」咥えた煙草を口から離し、小さく息をつきながら西條が口を開く。
「私を追い落としたい、そしてあわよくば瀬那、君を亡き者にして、
――――それが、倉本の思惑だ」
実に、単純な思考だろう――――?
「…………もし、それが
続けて西條が投げ掛けてきた問いかけに答えるように、瀬那は呆れたみたいにそうやって言い、深く肩を竦めた。
「そういう意味で、訓練生小隊は絶好の機会、というワケですな」
すると、今まで口を閉ざしていた錦戸も再び口を開き、そんなことを言い出す。
「どちらにせよ、綾崎さんが既に何度も暗殺され掛かっているのも事実。早急にこちらも手を打たなければ、やがてジリジリと足元を削られていくだけです」
「そのひとつが、例のハンター2か?」
「ええ」西條に問われ、錦戸は頷いて肯定した。
「間に合って、何よりでした。尤も、柳沢中将とてアレが我々に出来うる、最大級の助け船だとは仰っていましたが」
「柳沢中将か……。錦戸、お前のコネか?」
「はい」もう一度、錦戸が頷く。
「……コブラが、たった三機か。居てくれるだけでも有り難い話だが」
「仕方ありませんよ、少佐。中部方面軍内での倉本少将の
「そうなのか?」
「そうなのです。……尤も、私とて中将からの又聞きでしかありませんが」
「権力闘争は複雑怪奇、か……。ったく、こんなご時世だってのに内ゲバの権力争いか。人間というのは、何処まで行っても愚かしい生き物らしい」
「ええ、全くです」
呆れきったような西條の言葉に頷きながら、錦戸は手持ちの携帯灰皿へと吸い殻を落とし。そして胸ポケットからもう一本のラッキー・ストライクを取り出せば、口に咥えたそれへジッポーで火を付けた。
「……こんな時勢に於いても、人間はひとつに成れぬのか」
そんな中で、瀬那がポツリと呟けば。すると錦戸は「仕方ありませんよ、綾崎さん」とそれに答え、
「人が人である以上、知能を持った動物である以上、争いは避けられないことですから。……例え、それが種全体の存亡が危うい状況だとしても」
「……愚かであるな、本当に」
「ああ、本当に愚かだ」
浮かぶ星空を見上げながら、西條が瀬那の一言にそう、頷き返す。
「一握りの愚かな連中に
私は私自身を、決してマトモだとは思っちゃいない。思っちゃいないが……。それでも、あんな愚かしい奴らに、マトモな奴らが食い潰されていくのを見るのは、あまりにも辛すぎる」
「戦場では、マトモな人間から先に死ぬとよく言います。或いは、運が悪かったか。
…………戦い続ける以上、我々もマトモではいられない」
「戦士の哀しき
相槌を打つ錦戸の言葉に、西條が皮肉めいた語気でそう言い返す。すると錦戸は「ええ」と頷きながらフッと小さく笑い、
「……ですから、綾崎さん。貴女は、こうはならないで貰いたい。私たちのように、ならないで欲しい」
「私が、
困惑する瀬那に、錦戸は「そうです」と深く肯定の意を示す。
「貴女は、我々のようになってはいけない
「瀬那。王ってのは、ただ座していれば良いのさ。何事にも動じずに、ね」
それは哀しく、辛いことだけれど――――。
「しかし、君が生きている限り。君がそこに居る限り、周りの連中は戦い続けられる。御旗たる君が潰えぬ限り、何度だって立ち上がれる」
西條は煙草を咥えたままの口でそう言いながら、チラリと瀬那の方に横目を流していた。哀しげなような、少し複雑な顔色の彼女に向けて。
「…………私は」
「っと、深くまで突っ込みすぎたか……。悪いね瀬那、今はまだ、そこまで考える時じゃなかった」
すると、西條は敢えてそう詫びて。詫びながら、懐から取り出した携帯灰皿に咥えていた吸い殻を投げ込む。そして、
「……でも、君の周りには。君を護り、君と共に歩んでくれる人間が出来た。…………それだけで、私は嬉しいよ」
深々と、噛み締めるようにそう言いながら、西條は新しいマールボロ・ライトを吹かし始める。
「瀬那。――――君は、君にしか出来ないことがある。君だけの戦いを戦い抜いて、そして生き続けてくれ。
――――もう、大丈夫だからさ。昔みたいに、もう瀬那は一人きりじゃないんだから」
紫煙混じりの吐息と共に、霧散していく、そんな西條が言い放った刹那の言葉は。しかし瀬那の胸には深く、深く刻みつけられていた。
(…………一真、私は)
私は――――。
そして思い返すのは、あの男の顔ばかり。いつだって、彼のことだった。
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