Int.41:灯明、今だけは緩やかなまどろみの中で
「――――よっ」
ガラリと医務室の引き戸を開けた一真がそうやって声を掛ければ、しかしベッドの周りを囲うカーテンから顔を出した美桜は唇の前に立てた人差し指を押し当て、「しーっ」と静かにしてくれという仕草を向けてくる。
「っと、悪い悪い……」
美桜に小声で詫びながら、一真は足音を立てないようにそろりそろりと医務室に入り。一緒に付いて来たエマを続いて入れれば、そっと引き戸を後ろ手に閉めた。
「……彼の、容態は?」
カーテンを捲り、その向こうへ足を踏み入れながらエマが聞けば。美桜は「一応は、大丈夫みたい」と、とりあえずは安堵したように頷いて、
「身体の方は、何とも。ただ……」
「ただ、何だい?」
「……精神的なダメージは、やっぱり大きいみたい。過労気味だったこともあって、暫くは起きないだろうって、先生が」
一瞬口ごもりながら、俯き気味に美桜がそう言う中、一真もまたカーテンを捲りその向こうに立ち入って、ベッドに横たわる国崎の姿を見た。
安らかだ、とも思える寝顔だった。しかし、額の辺りから包帯を巻く顔は、今でも何処か苦痛と悲壮に歪んでいるようにも見えた。
「…………仕方ないさ、あんな目に遭っちゃあ」
そんな風にベッドへ横たわる国崎を見下ろしながら、美桜と横並びになってベッド横の丸椅子に腰掛けるエマの背後を抜け、一真はベッド・サイドのちょっとした棚に手を掛けようとした。
だが、もたれ掛かろうとした手が何かに触れて、一真は踏み留まる。手の触れた方を見てみれば――――そこには、彼がいつも掛けているフレームレスの眼鏡が無造作に置かれていた。レンズのひび割れた、少し歪んだその眼鏡が。
「……止めるべき、だったのかしら」
そんな国崎の眼鏡を避けながら、棚に片手を突いて一真がもたれ直していると。すると、俯く美桜がポツリ、と小声で、国崎を起こさない程度の小声でそう、呟いていた。
「彼の、暴走を?」
相槌を打つエマに、うんと美桜は頷く。
「……もしかしたら、あのまま国崎くんに付いて行ってあげてたら。一緒に行ってあげてたら、あの二人を助けられていて。それで……国崎くんも、きっとこんな目に遭うことは無かったんじゃないかって。何でかは分からないけれど、何だかそう思っちゃうのよ」
おかしいと、思わない――――?
疲れたような色を満たす顔の上に、小さく儚い笑みを浮かべながら。そんな美桜がそう言えば、しかしエマはフッと小さな笑みを浮かべながら「かもね」と頷いて、
「でも、それは結果論だ」
「結果論……」
「そう、結果論」強調するように、反芻して言うエマ。
「美桜、君の気持ちは分かるよ。僕にだって、痛いほどね……。
――――でも、それは結果論で、
諭すようなことを美桜に言うエマから、最後に振り向かれてそう訊かれた一真だったが、彼にもどう答えていいものか分からず。一真は一瞬だけ、答えるべき口を口ごもらせてしまった。
「……俺には、分からない」
故に、一真はそんな、何処か微妙な色で言葉を返した。こちらに振り返り見上げる、彼女の蒼い瞳をぼうっと見下ろしながら。
「エマ、君は正しい。それは分かるよ、分かる。事実、俺だってそう思う。
……でも、美桜がそう考える気持ちだって、分かっちまうんだ。あの時、あの二人を見捨てる選択肢を取ったのは、他でもない俺たちなんだ…………」
「…………カズマ」
胸の内につっかえていたモノを吐露するように、そうやって言葉を紡ぐ一真を、エマは神妙な、何処か心配そうな顔でただ、黙って見上げていた。
「あそこで救出を優先してたら、確実に俺たちは全滅してた。だから、正しい選択だったのは分かる。俺だって、そう思う。
――――だからといって、国崎を責めれやしない。俺たちは、決して。コイツの純粋な衝動を、責める資格なんて。そんなの、見捨てた俺たちにゃ最初から、あるわけがない…………」
「……カズマ、君は」
「言うな、エマ」見上げる蒼の瞳を見下ろし、見据えながら、一真は彼女が言おうとしていたことを視線で制する。
「今は、今だけは、そっとしておいてやるのが一番なんだ。コイツ一人が背負うには、哀しいことが多すぎる」
そうして、眠る国崎の横顔を眺めながら呟いた、そんな一真の声に。一瞬小さく瞼を伏せたエマは、ただ一言「……そうだね」と彼の言葉に頷いた。
「何にせよ、無事で良かった。――――生きているのなら、また立ち上がれるさ。国崎なら、きっと」
「……だね」
相槌を打ちながら、同じように国崎の方を見るエマ。そんな彼女の指先は無意識の内に、一真の羽織る制服ブレザー・ジャケット、その裾を指先で小さく摘まんでいた。
「機体は幾ら壊れても、また直せる、作り直せる。でも……パイロットは、人間だ。作り直すことなんて、出来ない」
「"一番高価で代えの効かない部品は、パイロットだ"って。三島のおやっさんも、耳にタコが出来るぐらいに言ってた」
「…………」
「……生きて帰ってきただけで、それだけで十分さ。結果がどうあれ、こうしてまだ生きてるだけで、パイロットとしちゃあ合格点だ。……だろ、エマ?」
「うん、そうだね」一真の言葉に、深く、噛み締めるようにエマが頷き、そして肯定をする。
「……国崎くん」
そんな二人の横で、美桜はそっと両手を伸ばし。横たわる国崎の、その
「貴方は、よく頑張ったわ。それが正しいとか、間違いだとか……そんなのは、関係ない。
だから、今だけは――――ゆっくり、お休みなさい」
疲れ切った顔で、しかし彼女が浮かべるのは、曇りの無い聖母のような慈愛に満ちた笑顔。
そんな美桜に見守られ、彼女の両手の温度を感じながら――――未だ眠り続ける国崎の横顔が、苦痛と慟哭に強張る横顔が、何処か少しだけ安らかになったような。そんな風に、一真たち二人の眼には映っていた。
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