Int.29:謀略と策謀、矮小なる愚者と氷鉄の蒼

「――――情報を、遮断した?」

 その頃、首都の摩天楼たちの間を縫うようにして走る高級車、黒塗りのトヨタ・センチュリー。その後部座席に座るマスター・エイジが少しばかり怪訝そうに首を傾げながらそう問いかければ、隣に座る倉本は「ああ」と、ド高い葉巻を無遠慮に吹かしながら堂々と頷いていた。

「タイミングとしては、中々に丁度良かったのでな。上手くいけば、奴らの手で忌々しい女狐とその子狐たちを、両側から押し潰してくれるやもしれぬ」

 クックックッ、と喉を鳴らしながら嗤う倉本の顔は、いかにも悪巧みをしていますといった風で。ここまで言葉に似合うほどの悪い横顔を見せられてしまえば、流石のマスター・エイジといえども吹き上がる笑いを堪えきれなくなってくる。

「……何がおかしいと言うのだ、マスター」

 そんな、笑い出すマスター・エイジの反応を怪訝に思ってか、妙な横目を投げ掛けてきながら倉本にそう訊かれれば。マスター・エイジは「いえいえ……」と浮き上がる笑みを抑えながらやんわりと首を横に振り、

「別に、面白がっているワケではありませんよ」

「では、何故貴方は笑う」

「ふふっ……。何、簡単なことです」

 そう言うと、マスター・エイジは不敵に笑い。口角の釣り上がるその口でマールボロ・ライトの煙草を咥えれば、古びたジッポーでそこに火を付けた。くすんだ銀色の、年季の入ったいぶし銀の、古びたそのオイルライターで。

「――――その程度の策略で斃れるほど、少佐も。大尉の子供たちも、甘くはない」

 葉巻の上品な香りに混ざる、少し雑なマールボロ・ライトの匂い。そんな二つの紫煙が入り交じる中で――――マスター・エイジはニィッと、凄まじい笑みを浮かべてみせた。

「っ……」

 その笑みが、自分に向けられたマスター・エイジの顔に浮かぶ笑みが、人当たりが良さそうな笑みなのに、しかしそれがあまりに不気味で。それを直接浴びせられた倉本は本能的におののき、咥えていた葉巻を思わず口から取り落としそうになる。

「それに、少佐たちも何やら独自に動いているという話もあります」

 しかしマスター・エイジの方は、そんな倉本の反応を敢えて無視して。そうやって、一方的に話を続けていく。

「……女狐が、何を?」

 倉本が尚も戸惑いながら、何とかそうやって反応を返せば。マスター・エイジは「はい」とやはりにこやかな顔で頷いて、

「詳しいことは、私どもの方でも把握はしていません。噂では、特派分室が動いているという話もありますが」

「特派分室……!?」

 その単語を聞いた倉本が、激しく狼狽した。「まさか、諜報局の!?」

「ええ」頷くマスター・エイジ。「彼らに動かれるともなれば、我々としてもかなり困る事態に陥りかねません。流石に諜報局は、幾ら我々でも手が出せませんから」

 国防省諜報局・機密諜報部一課・特派分室――――。

 様々な思惑蠢く国防省の中でも、独自の立場を取る諜報局。密偵のエリート部隊である機密諜報部の、特派分室というのは更にその対楽園エデン一派に特化した特務部隊だ。

 つまり、楽園エデン思想に傾倒する倉本はおろか、"マスター"の位を持つ、楽園エデン派そのものの高位権力者であるマスター・エイジにとっても天敵である連中だ。それを、西條は動かそうとしている……。

 そんな話を聞かされてしまえば、幾ら噂話の与太話程度の次元の話だとしても、倉本は激しい狼狽を覚えざるを得なかった。奴らに尻尾を掴まれ叩かれれば、権力の失墜は必定。それどころか軍事裁判の後、牢獄入りだってあり得るのだ……。

 ともなれば、それは権力欲の塊である倉本にとって、自身の破滅にも等しい。今まで必死に覆い隠しながら、必死に築き上げてきたモノが全てパアになる。それを想像するだけで、倉本は猛然とした吐き気すら覚えてしまう。

「ふふふ……」

 そんな倉本の顔を横目に眺めながら、それと対照的にマスター・エイジは小さく笑みすらも浮かべていた。まるで、この状況を楽しんでいるかのように。

「この噂が本当にせよ、嘘にせよ。あの少佐たちがタダでやられっ放しとは思えません。事態がどう転ぼうが、何かしらを画策しているのは必定」

「なら、私にどうしろというのだ……。マスター、貴方は」

「簡単なことです」実にグロッキーな顔で小さく振り向きながら訊いてくる倉本に、マスター・エイジはわざと満面の笑みを浮かべながら、人差し指なんかを立てる仕草を見せつつ、そう前置きを置いてから口を開いた。

「倉本少将。貴方は貴方で、貴方の思う通りにコトを運んで頂ければ結構です。大局的な目線からの策は、私の方で勝手にやらせて貰いますから」

 即ち、貴方は大局的にはモノを視られない――――。

 そんな皮肉をも織り交ぜた一言だったが、しかし倉本はそれに気付かず。「そ、そうか……」と戸惑いながら、やはりグロッキーな顔で頷くだけだった。

(やはり、貴方はその程度の器なのですよ)

 倉本の横顔をチラリと眺めつつ、顔はにこやかなままで。しかし心は氷のように冷ややかにしながら、マスター・エイジは胸の内でひとりごちる。

(さてさて、私の策が何処まで少佐に通じるか)

 ――――勝負といきましょうか、少佐。

「貴女と私、正々堂々とね…………?」

 窓の外に流れる景色を眺めながら、ニッと小さな笑みを浮かべてマスター・エイジが呟く。その不穏な一言は倉本の耳にも届かぬまま、紫煙の色の濃い空気の中に霧散していった。

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