Int.06:白と藍、鉄火場越えようとも過ぎ往く刻は安息か

「ふぃー、疲れた疲れた」

 そして、訓練生寮・203号室に戻ってくるなり、一真は制服のブレザー・ジャケットを雑に投げ捨てれば、そのまま二段ベッドの下段へ大の字になって寝転がってしまっていた。

「これ、行儀が悪いぞ一真」

 そんな一真を見咎めるようなことを言いながら、瀬那も入ってくると。「全く、其方は……」なんてブツブツと言いながら一真の放ったジャケットを拾い上げ、クローゼットを開けば、キッチリと伸ばした後でそのジャケットをハンガーに掛けてクローゼットの中に仕舞った。

「いやー、流石になんもやる気起きねえって。っつぁー、マジで疲れたぜホント」

「気持ちは分かるが、湯浴みぐらいはしておくがい。食事などは、最悪明日の朝にでも摂ればいが」

 肩を竦めながら、床の上の丸く背の低い座卓めいたテーブルの前にスッと座りながら言う瀬那に、一真は「でもさぁ」なんて風に言い返し、

「風呂なら、更衣室のシャワーでとりあえず浴びといたぜ?」

「とりあえず、の話であろうに。気持ちを入れ替え、疲れを取るという意味でも、一度入っておくに越したことはない」

「そんなもんかねえ」

「そんなものだ。――――仕方ない。どれ、私が入れてきてやろう」

 そう言いながら立ち上がり、風呂場の方に歩いて行く瀬那の方を見ないままで「ん、頼むわ」と手だけを振って見送った一真はふぅ、と小さく息をつけば、挙げていた腕を降ろし、それを力なく額に押し当てた。

 ――――本当に、疲れた。

 ここに来るまではそんなこと無かったのに、いざ203号室の部屋に入った途端、今まで何処かに放り捨てられていた疲れがドッと一気に押し寄せてきた気分だ。ここから立ち上がることもままならないといったぐらいに、一真の身体は物凄い疲労感に支配されていた。

 今日で、一体何度目の実戦だったのだろうか。回数を数えることなんて、三回目から向こうはもうやめている。数えるだけ無駄だと、知らぬ間にそう悟っていたらしい。

 だが、どれだけ重ねても、やはり身体は中々慣れてくれない。戦闘中でも精神的には割と余裕が出てきているが、しかしあの空気に、戦場に漂う独特な空気に、身体は未だに慣れてはくれない。戦場という究極の非日常にして非常、そして非情の空間に漂うピリピリとした毒気のある空気に、一真の身体は未だに慣れてはくれていないのだ。

 今日までに屠ってきた敵の数は、大小問わなければ二百を優に超えている。だが、それでも――――身体は、未だに拒み続けていた。戦場の空気を吸い、それに慣れてしまうことへの、本能的な拒否反応を示し続けていた。

「…………」

 鼻の奥に、未だにこびり付いている。戦闘終了後、コクピットから出た時に嗅いだ、あの血生臭いような、そうでないような……。そんな、あの戦場バトル・フィールドに漂っていた、筆舌に尽くしがたい嫌な刺激に満ちた臭いが、鼻の奥にこびり付いて離れない。

 しかし、いずれはあの臭いにも慣れていくのだろう。十、二十と死線を潜り抜けて行く度に身体は麻痺し、慣れていくのだろう。あの臭いにも、戦場に漂う空気にも。

 いっそ、慣れてしまえばいいとすら思っていた。大人たちの思惑を知らぬまま、一真は何の気無しにそう、思ってしまっていた。

「暫し、待つがい。じきに風呂も沸く、今日は其方が先で構わぬ」

 なんてことを考えていれば、風呂場から戻ってきた瀬那がそんなことを呼びかけてくる。それに一真は「いいよ、いいよ」と首を横に振って、

「俺は後で良い。それより、瀬那の方が先で良いんじゃないか?」

「そんなことは」

「――――顔に、出てるぜ。瀬那だって、十分疲れてるっぽいじゃないのさ」

 少しだけ起き上がりながら一真がそう言えば、瀬那は「む……」と唸るだけで、どうやら図星を突かれたらしいことを暗に示していた。

「お互い疲れてんだ。なら、敢えてここはいつも通りって感じで。どうだ?」

 ニッと小さく笑みを浮かべながら一真がそう言えば、瀬那は少しだけ唸った後で、

「…………其方が、それで構わぬのなら」

 曖昧な形ではあるが、一応そうやって一真の提案を呑んでくれた。

「んじゃま、それで決まりってことで」

 なんて具合に話を締め括ろうと一真が言い出した矢先、唐突に鳴り響く部屋の呼び鈴の音が、二人の耳に飛び込んで来る。

「む?」

 怪訝そうに振り返る瀬那が、立ち上がりながら来客を出迎えようとする。それを一真は「いいよ、俺が出る」と制しながら、やっとこさベッドより起き上がった。

(万が一があっちゃ、洒落にならねえ)

 そんな風に苦笑いしながら、一真は廊下へと歩いていく。歩きながら右腰へと手を這わせ、制服スラックスのそこへ引っ掛けられていたカイデックス樹脂のホルスター、そしてそこに収まるポリマー樹脂フレームの自動拳銃、グロック19の銃把へと手を伸ばした。

 仮にこの来客が瀬那への刺客だったとしたら、たまったもんじゃないからな――――。

 考えすぎかも知れないが、しかし用心しておくに越したことはない。彼女の生い立ちと身分を承知していれば、そして今も命を狙われ続けている事情を知り得ている一真にならば、自然と思い当たることだ。

 だから一真は、瀬那に見えないような角度で素早くグロックを腰から抜き、左手でスライドを鋭く引いた。弾倉から拾い上げられた9mm口径パラベラム拳銃弾が薬室に収まるのを目視してから、用心深くそれをホルスターに戻す。これで、後は引鉄を引けばブッ放せるというワケだ。

 右手は銃把に這わせたままで、いつでも抜けるようにしながら、一真は用心深く玄関扉のドアスコープを覗き込んだ。すると、そこに立っていたのは――――。

「……考えすぎ、だったか」

 短いプラチナ・ブロンドの髪に、文字通り白磁の如く透き通った白すぎる肌。少しだけ見上げるようにしながらドアスコープの方を眺めてくるあのアイオライトめいた蒼い瞳は、エマ・アジャーニのそれに間違いなかった。

 どうやら、完全に杞憂だったらしい。一真ははぁ、と小さく息をつきながらグロックを抜き直すと、弾倉を一度抜いてからスライドをもう一回引き、飛び出した弾をもう一回弾倉に収めれば、それからホルスターに戻した。

 ――――呼び鈴が鳴って刺客だと思うだなんて、やっぱり随分と疲れているらしい。

 一真はそう思い、フッと自嘲するような笑みを静かに浮かべた。何処の世界に、わざわざインターホンを鳴らしてから行儀良く殺しに来る刺客が居るというのか。全く、疲労という奴は思いのほか、人の思考とやらを鈍らせてくれるらしい。

『……? カズマー、瀬那ー? 居ないのー?』

 そうしていると、いい加減痺れを切らしたのか、首を傾げながらのエマが呼びかけてくる声が扉の向こうから聞こえてくる。

「はいはい、今開けるよ」

 フッと小さく笑いながら、一真は扉の向こうに向けてそう言い返すと。ガチャッと扉の鍵を開けてチェーン・ロックも外し、そして玄関扉のドアノブを捻った。

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