Int.77:ファースト・ブラッド/It's a long road.

 ――――そうして、幻魔たちの死骸なんかの後始末役である国防陸軍の工兵部隊の到着を待って、一真たちは行きと同じ"コンボイ1"のCH-3ES輸送ヘリ小隊に回収された。

 十機のTAMSと一両の指揮通信車。その全てが欠けることなく、彼ら京都A-311訓練小隊は一路、京都へと帰還していく。夕立が晴れ、雲の合間から西方に見える茜色の夕陽を傷付いた装甲に浴びながら、疲れ切った鋼鉄の肩を落とし、彼らは帰り路を急いだ。

 そして陽が落ちれば、疲れた身体も休む暇無く、西條の超強引な提案で祝賀パーティが執り行われることとなった。尤も、場所は士官学校のすぐ傍にある、例の三軒家食堂でだが……。

 十数人で押し掛け、しかも西條が店を丸ごと貸し切れなんて言い出したものだから、一時はどうなることかと思ったが、しかし食堂の大将と女将さんはそれを快諾。昼過ぎ頃に飛び立っていったヘリ小隊の姿を、どうやら食堂の二人も何事かと仰いでいたらしく。だから、西條がこんな真似に出た事情は、何となく察してくれていたらしい。

「ぶわはははは!! 呑め呑め!」

 ――――そして、店を貸し切っての祝賀パーティが始まっておおよそ一時間と半刻ぐらい。言い出しっぺである西條はといえば、酒瓶片手に既にこんな具合で完全に出来上がってしまっていた。

 ビール片手に煙草を吹かしながら、隣席の錦戸に物凄い絡みつつ呑みまくる西條。そんな西條の調子は、祝賀パーティと言いつつ、要は酒宴がしたかったのではないかと勘ぐってしまうぐらいの豪胆っぷりだ。まあ、支払いは全部彼女が持つと宣言しているので、幾ら呑もうが好きにしてくれ、って感じではあるが……。

「いやはや、本当にめでたいですなあ」

 とまあそんな西條に絡まれながら、厳つい顔に似合わずニコニコと相も変わらぬ好々爺のような温和すぎる笑みを浮かべているのは、やはり錦戸だ。彼もまた煙草を吹かしながらビールと洒落込んでいるのだが、流石に落ち着いた様子だ。とはいえ語気は何処か普段よりも上機嫌で、西條の鬱陶しすぎる絡みにも「ええ、ええ」とにこやかに相槌を打っている。

「…………アレでいてスーパー・エースなのだから、人間どういうものか分からんものだな」

 そんな西條の様子を少し離れた所から眺めながら、呆れたようなそうでないような。そんな溜息交じりのような声を漏らすのは、国崎だ。ちなみに彼らは、流石に未成年ということもあって酒は傾けていない。気分的には傾けたい気分であるのは、一同変わりないことではあったが。

「人は見かけに寄らないって言うもの、ねぇ? かくいう国崎くんだって……♪」

 なんて具合に国崎の横から普段の二割増しぐらいな姉貴風を吹かしながら絡んでいくのは、美桜だ。どうやら当初の予想通り本当に二十歳はたちを越えていたらしく、教官二人以外では彼女が唯一、酒瓶片手に酔いまくっている。

「いぃっ!?」

 とまあ、肩に腕を回されながら美桜に絡まれれば、国崎は物凄い複雑な顔で奇妙な声を上げるしかなく。掛けていたフレームレスの眼鏡を傾けさせながら、物凄い戸惑った顔で美桜の方に視線を移す。

「あ、哀川……! 少しはき、気を付けろよ……っ!?」

 なんでまたこんなに国崎が戸惑っているかといえば、まあ男であるならば理由はただひとつ。これだけの至近距離にほろ酔い顔の美桜が近づいていて、しかも肩に手を回されているせいで身体も近づき、その豊か過ぎる双丘が二の腕に思い切り当たっているが故、だ。ステラ級に近いような標高の連山、そんなものを押し当てられてしまえば、特に初心うぶな国崎にはあまりにも刺激が強すぎる。

「んー? これのことぉ?」

 とすれば、美桜は自分の胸元を思い切り指差す。それに国崎が「そ、そうに決まってるだろうがっ!?」なんて具合に、顔を真っ赤にしながらぷいっとそっぽを向きつつ言えば、

「ふふっ、当ててんのよぉ。わざとよ、わ・ざ・と♪」

 なんて具合にからかうみたく言うものだから、国崎はどう対応して良いかも分からず、言葉すら出てこなくなってしまう。

「……だ、大体! 俺の何がみ、見かけに寄らないってんだぁ!?」

 慌てて話題を変え気を逸らそうと国崎がそうやって話の向く先を強引に軌道修正すれば、美桜は「んー?」とわざとらしく首を傾げた後で、

「意外と怖がりで、臆病なとこ、かなぁ?」

 とまあ、国崎にとっては完全に図星のことを言われてしまうものだから。国崎は「ぐ……!」と、文字通りぐうの音も出なくなってしまう。"ぐ"の音だけは出ているような気もするが、細かいことを気にしてはいけない。

「あらあら♪ ほんとに可愛いんだからぁ♪ そんな国崎くんには、お姉さんからご褒美あげちゃわないとねっ」

 すると、そんな国崎の反応を見た美桜はまたニコニコと聖母のような笑みを浮かべてみせ。そう言いながら、国崎の頬に手を当てて無理矢理顔をこっちに向かせれば――――。

「むっ――――!?」

 驚いて眼を見開く国崎に美桜が一気に顔を近づけさせ、勢いのままに唇を重ねてしまう。

「…………っぷはぁ。うんうん、ご馳走様♪」

 重なっていた時間は、およそ数秒。小さく息をつきながら美桜は離れれば、至極満足したような顔でそんな風に礼を言った。

「な、な、な……!??!」

 そうすれば、国崎は思わず椅子から立ち上がりながら何歩か後ずさり、自分の腕で口元を覆い隠しながら、信じられないような顔で美桜の方を見下ろす。その顔が茹でたタコみたいに真っ赤になっているのは、最早言うまでもない。

「ぶわはははは!! いいぞいいぞ! やれーやれー! もっとやれー! 無礼講だ、無礼講! ぶはははは!!」

 とまあ、そんな二人の様子を眺めながら、止めるどころか煽り始めるのは西條だ。ビール如きで完全に出来上がってしまっているのは、余程彼女が上機嫌だからなのだろうか。

「ははは。ほどほどにしてくださいね、皆さんも」

 そんな具合の西條に便乗するかのように、同じく美桜たちの方を眺めながら言うのは錦戸。流石に錦戸の語気は普段と変わらないが、やはり何処か上機嫌そうだ。

「きょっ、教官まで!? や、やめてくださいよホントにっ!!」

 焦り当惑する国崎が振り返りながら言い返すが、しかし西條は「ぶわははは」と笑い続けるのみだった。





「…………国崎、後で殺す」

 なんて感じな国崎の様子を遠巻きに眺めながら、白井が恨み言のように呟く。酒は入っていないものの、眼は完全に死んでいた。視線だけで猛獣が狩り殺せそうなぐらいの殺気立った視線を絶え間なく注いでいるが、しかしそれに国崎は気付かない。

「見た目通り、美桜ってば積極的なのね。今のは完全に遊びだったんでしょうけれど」

 そんな殺気立った白井の隣で、疲れ切った声音で相槌を打つようなことを言うのはステラだ。水の入った氷入りのグラスをカランコロンと傾けながら、呆れたような視線を国崎たちの方に向けている。

「遊びでもなあ! 羨ましいんだよお!」

 とすれば、半分涙目になって白井がステラに向かって言い返す。それにステラは「はぁ」と小さな溜息をつき、

「……アンタ、相変わらずなのね」

 何故か立ち上がっていた白井の顔を見上げながら、呆れたような顔をして呟いていた。

「…………そうです。不潔ですよ、白井さん」

 そんなステラの言葉に続き、追い打ちを掛けるように冷え切った言葉を投げ掛けるのは、ステラとは反対側で白井の隣に座るまどかだった。お茶の入った湯呑みをズズッと啜りながら、顔色は怒ったような呆れたような、そんな複雑な面持ちだ。

「ひでえ! まどかちゃんまで!?」

「あははは……。まあ、白井さんですしねぇ」

「美弥ちゃんっ!? 美弥ちゃんまでそんなこと言っちゃうのぉ!?」

 続いて対面に座る美弥に苦笑いを浮かばれてしまえば、白井は失意のままに肩を落とし、そのままおいおいと泣きそうな勢いでテーブルの上に顔を突っ伏す。

「皆ひでーよぉ! 俺っちってば、これでも一応今回の功労者の一人だぜぇ!? もう少しこう、役得があっても良いじゃねえかよぉ……!」

 とすれば、本当に突っ伏した下で涙目になりながら白井がぼやきはじめるものだから、ステラは「……はぁ」と小さく溜息をつき、

「はいはい、悪かったわよ。助けて貰った立場で、ちょっと言い過ぎたわ」

「いいよいいよ、ステラちゃんは謝んなくて! だって悪くないし? 実際ステラちゃん悪くないし? 悪いのは俺だもの! まるでモテない駄目なおっさんな俺だもの!」

「お、おっさんでは無いですけれどね……」

 あはは、なんて苦笑いをしながらな美弥の的確すぎるツッコミに、ステラは思わず吹き出しそうになりながら。しかし未だ突っ伏し続ける白井の方を見ると、小さく溜息をつきながらも、仕方ないと思いつつ彼の肩を叩くことしか出来ない。

「……ホントに、不潔な人です」

 そんな白井の方を見ないまま、ズズッと湯呑みを啜り続けるまどかがそう、呆れたような声音で呟く。しかしその後で、

「ですけど。…………ですけど、実力だけは認めてあげます」

 少しだけ頬を朱に染めながらそんなことを口走ってしまうものだから、これ好機と見た白井は「おっマジで!?」と、今までの態度は何処吹く風。物凄い満面の笑みでガバッと起き上がれば、凄まじい勢いでまどかの方に振り向く。

「かっ、勘違いしないで貰えますっ!? べっ……別に、貴方の人間性そのものを認めたワケじゃないですから! あ、あくまで実力! そう、パイロットとしてのウデを認めてあげただけですから! 変な勘違いしないで貰えますかねっ!?」

 とすれば、まどかは更に顔を紅くしながら「しまった」と思いつつ、慌てて取り繕うにそうやって白井に捲し立てる。しかし白井の方はといえば「うんうん」と満面の笑みで頷くのみで、それをマトモに受け取ろうとしない。

「分かった分かった、やっぱり可愛いなぁまどかちゃんは。結婚して」

「嫌に決まってるでしょうが!? ――――あーもう、やっぱり不潔ですっ!!」

 まどかの肩を掴みながらの白井と、顔を紅くしながらそれを全力で振りほどこうとするまどか。そんな二人のやり取りを横目に眺めつつ、「あはは……」と美弥は反応に困った苦笑いを浮かべ。ステラの方はは大きすぎる溜息をつきながら「ほんっと、現金な男……」と、物凄く呆れたように呟いていた。





「……相変わらずだね、あの二人は」

「で、あるな」

 ――――場所は変わり、そこから少し離れた別のテーブル。一真と共に席に着いていたエマと瀬那の二人は、一連の皆々のやり取りを遠巻きに眺めていれば、エマは苦笑いを浮かべながら。瀬那は呆れたみたいに肩を竦めながら、そう短い言葉を交わし合う。

「アイツの場合、らしいっちゃらしいけどな」

 白井の方を見ながら一真が言えば、「だね」「うむ」とエマ、瀬那の順で同意の頷きが返ってくる。ちなみにその間にも、一真が突っつくのは普段と同じ唐揚げだ。よく飽きもせずとエマも瀬那も共通の思いを抱いていたが、しかし今更口に出したところで意味のないことだった。

「いやー、でも美桜は意外とあっち狙いだったかぁ。意外といえば、意外だよね」

「む? どちらかと言えば、遊びでやっているように見えたが」

 エマの他愛の無い呟きに首を傾げる瀬那に「そうかな?」とエマが訊き返せば、瀬那は「うむ」と即答する。

彼奴あやつは、恐らくはああいう性分なのであろう。我らとは付き合いが浅い故、何とも言えぬところはあるが」

「あー、確かに。それは言えてるかもね」

「で、あろう?」

 ふふっと小さく笑い合いながら言葉を交わす二人を横目に、一真は独り黙々と唐揚げを突っつき続ける。やはり三軒家食堂の品も捨てがたい旨さだ、なんて独りで阿呆みたいなことを一真が思っていると、

「……カズマ?」

 そんな風にエマが唐突に話しかけてくるものだから、一真は「ん?」と反応しかけて。しかし慌てて飲み込もうとしたものだから、軽く喉を詰まらせ掛けてしまう。

「あっと、水、水!」

「全く、其方は……!」

 横から瀬那に差し出されたグラスを受け取り、水を流し込めばなんとか喉の詰まりも解消され。そうすれば一真は「はぁ」と大きく息をつきながら、一気にドッと押し寄せてきた疲れに思い切り肩を竦めてみせた。

「慌てすぎだぞ、一真」

 呆れたように瀬那に言われ、一真は「悪い悪い……」と、苦く笑いながら頷き返す。

「カズマ、意外に慌てん坊さん?」

 ふふっと柔らかく笑いながらエマが言えば、瀬那は「意外というか、その通りだ」と呆れた顔で瀬那がそれを認めてしまう。

「……っふぅ。ところでエマ、何だったんだ?」

 やっとこさ落ち着いた所で一真が訊き返すと、エマは「えっ? あ、うん」と今思い出したみたいに反応し、

「いや、お疲れ様って言おうと思ってね。なんか、ちゃんと言ってなかった気がしたから」

 ニコッと微笑しながらそう言うものだから、一真もフッと小さく笑みを浮かべる。

「……二人には、世話ばっか掛けちまったな」

 それから、語気を少しだけシリアスな色に塗り替えて一真が言えば、「気にするでない」と瀬那が即座に頷く。

「其方も我らも、こうして生きて帰って来た。それだけで、十分だ。……エマ、そうであろう?」

「だね」瀬那の言葉に、頷き返すエマ。「貸し借りなんて僕らの間では無し。お互い生きてるだけで、それで十分さ」

 すると、一真はフッと笑みを浮かべて。その後で「……そうか」と小さく頷けば、目の前にあった飲みかけの、水が半分ぐらい入ったグラスを小さく傾けた。

「あらあら、こっちはこっちで楽しそうねぇ♪」

 なんてやり取りを交わしていると、いつの間にかこっちに近づいていた美桜がそう、一真の背中越しに上機嫌そうな声を掛けて来る。

「ありゃ? どうしたのさ」

 振り返りながら一真が訊けば、美桜は「だってねぇ」なんて言って、

「国崎くんがあんな風になっちゃったし、流石に向こうじゃあ退屈しちゃいそうだったから。だから、こうしてお邪魔しちゃったってわけ♪」

 うふふっ、なんていつもの聖母じみた柔らかすぎる笑みを浮かべながらの美桜に言われて、一真たち三人が一様に向こう側へと視線を向ければ。

「――――っでよぉ、分かるか国崎ぃ?」

「は、はあ……」

「教官って言っても、そんな楽な仕事じゃないんだぞ? えぇ? 唯でさえ忙しいってのに」

「ははは、まあ仕方のないことですから、少佐」

「馬鹿、少佐は余計だって何百回言わせるんだよ、えぇ錦戸ぉ?」

 ――――そんな具合に、いつの間にか教官組の席に引っ張られていた国崎は、酔っぱらい二人の絡み相手として生け贄に捧げられている有様だった。

「…………」

 そうしていれば、一真と国崎の眼が合い。国崎は視線だけで助けを求めてくるが、

「…………お前の犠牲は、無駄にはしない」

 しかし、一真はビシッと敬礼をするのみで。そうすれば、途端に逃げるように国崎から視線をそらしてしまった。

「みっ、弥勒寺ぃぃぃ!!! こんの薄情者ぉぉーっ!!」

「あぁ? なんだって? 聞いてんのか国崎ぃ?」

 涙目になって叫ぶ国崎だったが、しかしまた西條の手で酔っ払いフィールドに引きずり込まれ。そして彼は、帰らぬ人となったのだった……。

「……カズマ、あれ助けなくて良いの?」

「気にするんじゃない。エマ、アレを気にしてはいけない。分かったね?」

「しかし、流石に国崎が気の毒では」

「見るな瀬那、アレは君が見ちゃいけないモノだ……。尊い生け贄なのだよ……」

「う、うむ……」

 苦笑いするエマと、当惑する瀬那。そして全力で眼を逸らす一真の後ろで、相変わらず美桜は「うふふ……っ♪」なんて具合に、至極上機嫌そうに微笑み続けていた。

「あ、そうだっ」

 としていれば、美桜は何かをハッと閃いて。確実にロクでもないことだと察しつつも、一真は「ど、どうした?」と、振り向きながら美桜に訊き返す。

「そういえば、カズマくんにもご褒美、あげなくちゃいけなかったわよねぇ♪」

 ――――おい、まさか。

 ヤバいと思ったが、しかし一真は避けるのも逃げるのも間に合わず。美桜の両の掌で両頬をガッチリとホールドされてしまえば、後は為されるがまま――――。

「ん……♪」

 ――――そのまま、美桜に唇と唇とを重ねられてしまった。

「なっ……!?」

 驚きのあまり声も出せず、目を見開く瀬那。

「っ……!?」

 それはエマも同様で、ガタッと立ち上がりつつも、しかし目を見開いたままで動けはしない。

「――――っぷはぁ。うんうん、カズマくんもご馳走様♪」

 二秒か三秒ほどで美桜の唇が離れていけば、満足げな顔の美桜とは裏腹に、一真は唖然としたままで彼女を見上げるしか出来ない。

「あー! あー! み、弥勒寺ィィィィィ!! て、テメェェェェェ!?!?!」

 とまあそうすれば、一連の出来事を見ていたらしい白井が立ち上がりながらこっちを指差し、そんな風に騒ぎ始めるものだから。それを皮切りにして、食堂の中は一気に騒がしくなり始めてしまった。

「みっ……! きっ、貴様ぁ! わ、私の一真に……!! ええい、そこに直れッ!!」

 こんな具合に真っ先に騒ぎ出しながら、顔を真っ赤にしつつ傍に立て掛けていたいつもの刀を片手にバッと立ち上がるのは、やはりというべきか瀬那だ。

「な、なんてことするんだ美桜っ!? カズマは僕の……! ああもう、酷いじゃないかぁ!!」

 そんな瀬那を「待て待て、落ち着け……」と宥めながら一真が抑えていると、続けてエマがそんな風に、同じように顔を赤くしながら立ち上がる。

「弥勒寺ィィィィィ!! お前は、俺の――――」

「シャット・ファック・アップ(黙りなさい)!! アンタが絡むと、余計面倒になるじゃないっ!!」

「ヌッ、ヘァッ!」

 更に白井が飛び出そうとしていたが、しかしステラに首根っこを捕まれ引き倒され、敢えなくそれは未遂に終わる。明らかにヤバいような声が白井の口から漏れていたが、まあ大丈夫だろう。だって、白井だし。

「もう、こうなったら……!」

 そんな白井の様子を横目で眺めていれば、何故かエマは決意したみたいに独りで深く頷けば、急ぎ足で一真の方に近づいてきて。

「恋は先手必勝、一撃必殺……!」

 妙な独り言を呟いているかと思えば、ほんのりと紅く染めた頬を見せながら、エマは両手で一真の頬に触れて来る。それに物凄いデジャヴを感じていれば、やはり彼女の顔が近づいてきて――――。

「んっ……」

 ――――そして、柔い唇が重なってきた。

「弥勒寺ィィィィィ!!」

 白井の叫び声が、遠くにも聞こえる。しかし白井の声がどうでもよくなるほどに遠くて、一真に伝わる感触は、甘美で緩やかな、何処か間延びされたような感触だった。

 きっと、それは二秒にも満たない短い接触だったのだろう。しかし唇が離れていけば、その時間は永遠だったようにも思えて。そして何処か、一抹の名残惜しさすらも一真は感じてしまっていた。

「……ふふっ。流石に、美桜には渡せないからね……♪」

 小さく頬を紅く染め上げながら、首を傾げニコッと柔な笑みを浮かべるエマの顔を見上げていれば、一真も「……ふっ」と、諦めたように小さく笑みを浮かべるしか出来ない。美桜の時とは違い、エマとの一瞬の触れ合いは、確かな安息に満たされていて。それでいて、何処か肩の力が抜けるような感じがしてしまっていた。

「む……! え、エマまで……!」

 顔を真っ赤に、ぷるぷると小刻みに震えながら当惑する瀬那だったが、

「…………」

 しかしエマはそんな彼女に向かって、小さくウィンクなんかを投げてみせた。

 ――――僕たちが、遅れを取るわけにはいかないからね。

 そんな意味を織り交ぜたウィンクだと瀬那は気付けば、顔を赤くしたままで「……うむ」と独り頷き。そして邪魔な刀を左腰に差し直すと、一真の方へ一歩近づく。

「……今度は、瀬那ってわけか」

 無言のままに、何処かそっぽを向きながらで差し出してきた瀬那の手を取りながら、一真はその手を取って立ち上がりながら、いい加減諦めたような口振りでそう、言ってみせた。

「わ、悪いか!?」

「いや、全然?」顔を赤くしながら、一真の顔を至近より見上げる瀬那の声に、一真がフッと小さく笑いながら頷いてやる。

「寧ろ、やっとかって感じさ」

「何を――――――っ!?」

 瀬那が何かを言い掛けた、その瞬間。

 右腕を腰に回され、左手が軽く己の後頭部に添えられたかと思えば――――気付かぬ内に、瀬那は己の唇が重なり合っていることに気付いてしまった。

「…………」

(そうか、そうであったな)

 ――――其方は、そういう男であった。

 先手を取るつもりが、彼の方から先手を取られてしまった。

 それに気付けば、瀬那は見開いていた眼を小さく閉じ。瞼を閉じたまま、されるがままに彼へと身体を預けた。今は、今だけは、他の情報は必要無かった。寧ろ、無粋だった。

 今だけは、これを感じていたい。彼も己も、確かに生きてここに在るのだと――――それを、感じていたかった。

「――――」

 それは、時間にして一体どれほどのときだったのだろうか。永遠にも思えるときを過ごした後で、重なり合っていた唇同士が漸く離れていく。

「…………この間の、お返しだ」

 離れていく一真の、しかし至近にある顔でそんなことを言われてしまえば。瀬那も「……ふっ」と小さな笑みを浮かべながら、「……左様か」とそれに頷くことしか出来ない。

「弥勒寺ィィィィィッッ!!」

 白井の叫ぶ声が、そしてステラに引き倒された後の悲鳴が、遠くに聞こえる。

「そういえば、戦いが終わった後に言いたいことって、何だったんだ?」

「……ふっ。こうしてしまえば、今更言葉など、無粋なものは必要無い。であろう? 一真」

「ヘッ、言われてみりゃあその通り。伝わったか、言葉なんて無くても……」

 しかし一真も瀬那も、それに構うことはしない。喧噪を遠くに聞きながら、言葉を介し魂と魂とで触れ合い、語り合い。そして、そのままの格好で二人はただ、延々とそこに立ち尽くすのみだった。

「……いい加減、僕も混ぜて欲しいんだけどなっ」

 そうしていれば、そんな風に少しだけ拗ねたようなことを口にしながら、エマが一真の後ろからドッと背中に抱きついてくる。

「お、おいエマ……」

「そろそろ、良いでしょ? 少しぐらい、僕にも分けて欲しいな」

 一真の背中から半分だけ顔を出しながら、エマがそんなことを口走れば。すると瀬那はフッと小さく頬を緩ませ、

「……かろう、エマ。他でもない、其方ならば」

 なんてことを言いだすものだから、一真は「せっ、瀬那ぁっ!?」なんて素っ頓狂な声を上げてしまう。

「やったっ♪」

 しかし、当のエマ本人といえば、そんな一真の反応など何処吹く風。ニコニコと微笑みながら更に両腕を引き寄せ、思い切り一真に抱きついてくる。





「…………なぁ、錦戸」

 そんな彼女らのやり取りを遠巻きに眺めながら、未だ酒を傾け続ける西條がそう、隣の錦戸に語り掛けていた。ちなみに国崎はもう解放しているから、この場には居ない。

「はい」

 咥えたラッキー・ストライクの煙草に自前のジッポーで火を付けながら、錦戸が頷いて反応する。

「若さってのは、良いものだな」

「全くです。まるで、昔の少佐を見ているかのようで」

「ん? 私ってあんなのだったのか?」

「概ね。少し違いますが、大体はあんな感じです」

 にこやかに好々爺めいた笑みを浮かべる錦戸がそう言えば、西條も「……そうか」と頷いて、

「…………生かして帰してやれて、良かった。本当に、そう思う」

「……ええ、全くで」

「きっと、この先も倉本の狸は無茶な命令ばかりを下してくるだろう」

「間違い、ありませんでしょうな。あの男は、そういう人間だ」

「……私たちで、護り抜こう。アイツらは、まだ死ぬには早すぎる」

「ええ、そうですな……」

 頷き合う西條と錦戸。そこには何処か、悲壮な決意があるように……そんな風な、面持ちだった。

「…………私の方でも、使えるだけの駒は用意しておく」

 自分も咥えたマールボロ・ライトの煙草に火を付けながら言った西條の言葉に「駒?」と錦戸が訊き返せば、西條は「ああ」と頷いて、

「すぐに動かせそうなのは202特機の連中と、それに情報局のエージェントぐらいだけどな」

「……倉本少将への、対抗策というわけですか」

「そうだ」頷きながら、ジッポーを白衣の懐へと戻す西條。「諜報局の機密諜報部一課、それも特派分室ともなれば、幾ら倉本とておいそれとは手が出せまい」

「いやはや、人の繋がりというものは、大事にしておくべきですな」

「全くだ。――――それと錦戸、悪いがお前の方でも、やれることはやっておいてくれ」

 紫煙を吹かしながらの西條にそう言われ、錦戸は「分かりました」と二つ返事でそれに応じる。

「……まあ、今日の所は、ひとまずみなの無事を祝おう」

「ですな」

 目の前の灰皿に吸いかけの煙草を置きながら、西條と錦戸は二人揃って飲みかけのグラスを掴む。

「――――子供たちの無事と、初陣に」

 西條はそう言って、グラスを錦戸の方に差し出す。

「無事の帰還と初陣に、乾杯」

 そして、錦戸も応じ、コンっと自分のグラスと彼女のグラスとを軽く重ねてみせた。

 ――――こうして、ひとつの戦いが幕を下ろした。

 しかし、それはほんの始まりに過ぎない。彼らの進む長い、長い道のりの、そのほんの始まりに。失望と虚無に打ちひしがれ、夢も希望も打ち砕かれてしまう、長い長い、それは長い、戦い続ける道のりの……。

 心は痛み、休息は無く。何処を見渡しても勝者は居らず、昼も夜も、生き残る為に戦い続ける。その戦いに終わりは無く、あるとすれば死という救済のみ。しかしその救済すら赦されず、若き戦士たちは戦いを強いられる。降伏の無い、終わりなき戦いを。

 求めるとすれば、それは安らぎ。安息のみを求めて、少年少女たちは戦火の中に身を投じていく。永遠とわの安息を求め、人が人で在るために。

 若者たちは、戦い続ける。しかし、今だけは、今このときだけは、安らかであるように。――――そうであるように、穢れきった白の死神はただ、祈るしかなかった。





(第四章、完)

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