Int.59:ファースト・ブラッド/京都A-311小隊、西へ(前篇)
クレーン・ワイヤーで吊られながら飛んでいる影響か、ブランコみたくふらふらと小刻みに揺れる≪閃電≫・タイプF機内での空の旅は決して快適とは言い難かったが、しかし割と平穏なものであった。
だが、平穏なのは見た目だけだった。データリンク通信間といえ小隊内に漂う雰囲気はやはり重々しく、実戦前の緊張に張り詰めた空気感が支配している。こんな中でも平静を保っているのは実戦経験者のエマと、後は霧香ぐらいなものだ。前者はともかく後者に関しては、最早元の性分からアレなのだが……。
「…………」
そんな雰囲気の中、狭いコクピット・ブロックの中に独り閉じ込められる一真は、シームレス・モニタの中で流れる景色を無言のままに眺め見下ろしつつ、口ではチューブ状の何かを吸っていた。
パイロット用の、携行食糧だ。半固形のゼリー状のものがチューブの刺さった柔らかい容器に入っていて、それを吸って腹に入れる。こうした巡航移動間や、長期待機中のパイロット用食糧としてコクピットのサイド・パネル、丁度肘当てかってぐらいな所を捲った裏にあるコンテナの中に数袋がワンセットで常備されている物であり、TAMSパイロットたちの間では皮肉を込めて"機内食"と揶揄されている。
激しい戦闘前後の栄養補給を想定しているパイロット用の食糧だけあって、そのカロリー量は目が飛び出るぐらいに凄まじい。だからか女性パイロットからは嫌がられるコトが多いこの機内食であるが、どのみち身体を極限まで酷使する戦闘状況になれば、この程度のカロリー量は一瞬で吹っ飛んでしまう。故に、幾ら熱量が凄まじかろうが然したる問題ではないのだ。
『…………』
無言なのは、他の面々の同じようなもので。格好こそリラックスしているものの、しかしそのすべからくが表情を強張らせている。あのステラでさえも、だ。
(……そうか、アイツ実戦は……)
そんなステラが映るウィンドウを視界の端に眺めながら、一真はふと思い出していた。彼女の原隊がアグレッサー部隊――即ち、後方での仮想敵部隊であったことに。
やはりあの時の推測通り、ステラは直に幻魔と戦うのは、これが初めてなのだ。こんな辺境の地で、それも他国軍に混ざっての初陣とは何とも皮肉というか不運というか、多少の哀れみを感じてしまう。
だが、腐っても正規軍人だ。米空軍少尉の肩書きは伊達でなく、ステラの顔色は緊張こそすれど、恐怖の色はまるで無かった。いや多少は感じているのかもしれないが、少なくとも表には出していない。
『…………』
ステラですらこんな顔色になる中、心底落ち着いているのは元々変人な霧香を除けば、後はエマぐらいなものだ。ウィンドウに映る彼女は瞼を閉じている辺り、アレはやっぱり戦闘前に行う彼女特有の儀式、癖のようなものらしい。
『一真』
そうしていれば、瀬那が唐突に声を掛けてくる。その通信回線が双方向限定のプライベート回線なのを怪訝に思いながら、一真が「どうした?」と反応すると、
『……いや、何でもない』
何故か押し黙った後で、呼びかけたこと自体を撤回するように瀬那は首を横に振る。
「なんだよ、それ」
苦く笑いながら一真が言い返せば、瀬那は『……
「言えることは、暇な内に言っといた方がいいんじゃないのか?」
しかし瀬那は『……構わぬ』と首を横に振り、
『これは、帰ってから改めて話すとしよう。帰った後の楽しみを残しておけば、少しは其方の無茶も抑えられるというものだ』
フッと小さく笑いながら、そんなことを一真に言ってきた。
「無茶? 俺が?」
そんな瀬那の言い草に首を傾げつつ一真が苦い顔で言い返すと、瀬那は『うむ』と当然のように頷く。
『其方の戦い方、実に頼もしいのではあるが、
「マジでか?」
『マジで、だ。……もしや其方、自覚が無かったのか?』
きょとんとする瀬那に、「うん」と一真が平然とした顔で頷いて肯定してやれば、瀬那は『……はぁ』と呆れたように小さく溜息をついた。
『……まあ、
――――だが、あまり無用な無茶はしてくれるでないぞ。私の騎士である其方に真っ先に死なれては、この先どうしていいか私も分からなくなる』
「分かってるって」
何処か案ずるような視線を向けてくる瀬那に、一真は敢えて表情を崩しつつそうやって言葉を返してやる。
「一度言われた以上、自覚はしたさ。瀬那の言う通り、酷い無茶はしない」
『その約束、
「分かってるって」
『本当にか?』
「ホントにホント。男に二言はないって、だろ?」
すると、瀬那は『……うむ』と一瞬の間を置いた後に頷いて、
『私の命、そして
そう、普段のように凛とした声音で、一真に告げてきた。
『――――弥勒寺くん、ちょっといいですか』
なんてことを瀬那と交わしていれば、次にプライベート回線の通信を飛ばしてきたのは、意外にも錦戸だった。
「っと……」
戸惑う一真の微かな視線移動と表情の機微で、それを何となく察したらしい瀬那は『話はこれまでだ。ではな一真』と言って一方的にプライベート回線での通信を切れば、新たに着信した方へと一真の意識を専念させてくれる。
(気、遣わせちまったかな)
そんな瀬那の気遣いを若干申し訳なく感じつつ、しかし一真も意識を切り替えて「あ、はい」と錦戸の方の回線に応答する。
『私は教官という立場ですから、一応小隊長という立場になっています。
…………しかし、小隊の実質的なリーダーは、弥勒寺くん。貴方であることを憶えておいてください』
「俺が、小隊の?」
あまりに唐突すぎる錦戸の言葉に戸惑いつつ、一真がそう反応すれば、『はい』と錦戸は頷いて、
『彼女たちのことに関しては、きっと貴方の方が詳しいでしょう。それに、戦術レベルでの指揮統制能力に関しては、ある程度の素養があると判断できます』
「でも、俺みたいなのじゃあとても」
『ええ』頷く錦戸。『ですから、学んでください。今の内に、部隊長という立場がどういうものかを』
「はあ……」
錦戸は、深いことを言わなかった。敢えて言わなかったのかどうかは分からないが、少なくとも背中を見て覚えろ、と言っているような気はしていた。一真は、そう感じていた。
男は背中で語れとはよく言ったもので、正にその通りだ。たかが五十数文字の組み合わせでしかない、言葉なんていうチャチなコミュニケーション・ツールじゃあ、とても全てを伝えきることなんて出来やしない。
それを一真は、既に痛いほどに知っていた。他でもない西條が、それを昔、己の背中で以て教えてくれたのだ。……尤も西條の場合は、男ではないのだが。
とにかく、錦戸が己に何かを伝えたがっていることぐらいは、今の一真にも分かることだ。だからこそ、一真は少しの間を置いてから「……はい」と、錦戸に向かって小さく頷いた。
『貴方をヴァイパー02の位置に選んだ少佐の判断、やはり少佐はまだまだ衰えてはいないようで』
「えっ?」
錦戸の妙な呟きにきょとんとした一真が訊き返すが、しかし錦戸は答えないままで『それでは』と言うとプライベート回線を切り。回線を広域通信のものに切り替えれば、今までの話が何も無かったかのように顔色を切り替え、小隊の面々に向けてこう告げる。
『間も無く、降下ポイントに到着します。小隊各機、準備のほどを』
小隊の指揮役である錦戸がそう言えば、部隊内から次々と了解の応じる声が返ってくる。それに合わせて一真も「了解」と短く頷き返した時、彼らを運ぶコンボイ隊の傍にもう一機の見知らぬヘリが近づいてきたかと思えば、唐突にそのヘリから無線通信が飛んできた。
『――――ヴァイパー各機、こちらスカウト1。無線チェック、送れ』
『スカウト1へヴァイパーズ・ネスト、感明良好ですっ。送れ』
『ヴァイパーズ・ネストへスカウト1、こちらも感明良好だ』
そうやって小隊
一真たちA-311小隊を吊り下げ運ぶ、六機のCH-3輸送ヘリ部隊。そのすぐ真横に接近し、横並びに飛ぶ偵察ヘリの姿があった。森林迷彩塗装が施された細身なシルエットのソイツは、国防陸軍のOH-1"ニンジャ"偵察ヘリコプターだ。
細身な格好は一見するとAH-1コブラのような対戦車ヘリの類にも見えるが、しかし武装の類は一切積んでいない。あくまでも偵察と観測に特化した二人乗りの偵察ヘリで、今回は"スカウト1"というコールサインで呼称される機体が、一真たちA-311小隊の偵察支援に当たってくれるという。
『ヒヨっ子諸君も元気そうで何よりだ。スカウト1、これよりそちらに合流し、偵察支援に当たらせて貰う。微力ながら、初陣のお手伝いというわけだ』
『構わない。……助かる、スカウト1。感謝するぞ』
何処か冗談めいた口調のスカウト1の声に西條が割り込んで礼を言えば、スカウト1は『礼には及びません』と無線を返してきて、
『伝説の白い死神と一緒に飛べるなんて、寧ろ光栄ですよ』
そうやってスカウト1が続けて言えば、西條も『……ふっ』と小さく笑う。
『これより先行し、
最後にそう報告すれば、コールサイン・スカウト1のOH-1偵察ヘリコプターはその機首を急激に下に傾け、若干下降しながらその速度を増せば、エンジン出力を上げつつ加速度的にCH-3部隊の前に出る。
先行するその細身なシルエットを遠くに眺めながら、一真は改めて操縦桿を握り直した。火器の安全装置であるマスターアーム・スウィッチを弾く準備は、既に出来ている。
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